odd_hatchの読書ノート

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イマヌエル・カント「啓蒙とは何か/永遠平和のために」(光文社文庫)-2

2016/06/30 イマヌエル・カント「啓蒙とは何か/永遠平和のために」(光文社文庫)-1 1795年 の続き


 つづいて「永遠平和のために」を読む。政治哲学ではあまり言及されることがないようだが(おいらの偏見)、別の分野の本で言及されることがある。この国では、中江兆民「三酔人経綸問答」(岩波文庫)大江健三郎「同時代ゲーム」(新潮社)、井上ひさし吉里吉里人」(新潮社)、柄谷行人「世界共和国へ」(岩波新書)など。いずれも国家や現在の体制に対する批判とオルタナティブとして引用されている。

永遠平和のために 1795年 ・・・ 「世界市民という視点からみた普遍史の理念(1784年)」で構想した世界共和国を実現するためのプロセスを検討する。まずは6つの予備条項が実現されねばならない。
1)将来の戦争の原因と含む平和条約は平和条約とみなしてはならない。
2)独立して存続している国はその大小を問わずほかの国家の所有とされてはならない。
3)常備軍は撤廃されねばならない。
4)国家は軍事国債を発行してはならない
5)いかなる国も他国の体制や統治に暴力を持って干渉してはならない。
6)卑劣な敵対行為(暗殺、暴動扇動、降伏条約破棄など)を行ってはならない。
 国家間には支配―被支配の関係が大小を問わずあってはならないのであるから。
 これらの後に確立される世界市民の確定条項は
1)共和的な体制(各人が社会の成員として自由であり、各人が共同の法に従属し、各自が互いに平等である)
2)国際法は自由な国家の連合に基礎を置くことができる(持続的な国家の連合が世界共和国となる)
3)世界市民法は普遍的な歓待の条件に制限されるべき(奴隷貿易に対する反省から)
 以上に補足するのが
4)諸物を巧みに創造する「自然」が人類の客観的な究極目的(そのひとつが永遠平和)を実現するように定めている(ことを認識せよ)。一方自然状態では諸物は戦争と支配―被支配の関係にあるから、人類は世界市民法に基づく統治と、商業によって戦争を防止しなければならない。
5)国家は哲学者に助言を求めるべきである。
の追加条項である。


 18世紀のドイツ。「神聖ローマ帝国」があったが実質は名ばかりで、小王国に分裂。その中でプロイセンが周辺の王国を併合、侵略して拡大していく。オーストリアは男系が絶えたために、継承者をめぐって戦争があった。他にプロイセンオーストリアはロシアとともに1772年から三度にわたるポーランド分割に加わり、それぞれ領土を広げた。このような具合に、市民が戦争に参加することはなかったとはいえ(いや傭兵による被害と税金や賦役を被っている)、小競り合いも含めれば戦争状態は身近なものであり、絶対封建制身分制度では戦争に反対することもできない。1789年にはフランス革命がおこり、1792年4月、革命政府はオーストリアに対して宣戦布告し、フランス革命戦争が勃発している。1793年にはイギリスを中心に第一次対仏大同盟が結成され、各国の軍がフランス国境を越えた。この小著が書かれたのはそういう時代。
 なので、戦争廃絶、平和状態の継続は理念といよりも政治的な要求であるとみたほうがよい。国家がほかの国に少輔されてはならない、国家は他国に暴力的に干渉してはならない、卑劣な敵対行為を行ってはならないも、ドイツの小王国の乱立状態にあっては、現実的な提案に他ならない。あるいはフランス革命(カントがどう考えていたかは自分は知らない)への介入や革命の輸出で、戦争状態が起こり、カントの住まいも巻き込まれる可能性が高かったときに、
 予備条項は具体的、実践的。カントの構想のあと250年弱の歴史を振り返って、戦争や国家間の抗争、あるいは国内の市民弾圧などのさまざまな事例がカントの指摘に当てはまることを見いだせる。もちろん個別には異論反論などもあり、そう簡単にうなづけないこともある。自分には、カントの考える国家がよくわからないのと、世界共和国になったときの国家の形態がイメージできないので、そのまま首肯するのはなかなか困難。もしかしたら、現在の国家が持っている機能をできるだけほかの組織や仕組みに委譲するイメージを持つほうがよいかもしれない。たとえば、民族間の紛争や経済政策を扱うには国家は小さすぎるので世界共和国が対応したほうがよさそうだし、教育・福祉・医療・人権保障などを扱うには国家は大きすぎるのでもっと小さな公共体で対応したほうがよい。国家であるべきなのは、公共インフラの整備とメンテナンスくらいになるのかもしれない。カントの時代の国家の機能は今よりずっと小さかったので、カントの構想は上のようになったのだろう。機能と役割が変わったので、そこは適宜修正を加えることになる。たとえば、21世紀のEUのような実験を検証することによって(まあ、EUがカントの世界共和国の理念を共有しているかもしれないが、さて、国家間の支配―被支配の関係を解消するものには向かっていないようなので、そのまま世界共和国のモデルにはならない)。
 あとは、人間の権利や法に最も適合した体制は共和制というが樹立も維持も困難であるとか、法や道徳の実現には公開性が必須であるとかの指摘は興味深かった。ここは現代の民主主義の実現においても重要。
 もうひとつカントの分かりにくさは、世界共和国の構想が政策的、政治的なところにはむかわず、道徳の実現として考えられていること。この本に記載されたところだけでみると、カントは諸物を巧みに創造する「自然」は人類の客観的な究極目的(そのひとつが永遠平和)を実現するように定めているというのが出発点。神とか超越的創造者を想定しないで、個としての人間や類としての人類そのものには道徳の根拠がないとすると、日常で使う「自然」とは別の意味を持つらしい自然の定めに道徳の起源があるらしい。それは多分宇宙的な究極目的の実現に向かう運動があって、その流れの一部に人間は乗っかっているみたいなのだ。どうも道徳の起源はこの宇宙的な究極目的に合致しているかどうかにあって、カントの道徳律などはこの目的をおのずと知る能力があるようであり、人間は行動にあたって道徳を介した究極目的と照合して正義を見出すものらしい。どうやらきわめてオカルティックな読み取りをしてしまったようだ。そのうえ、カントの観察には18世紀の科学や知識の制約もあって、たとえば生物は人間の役に立つようにあらかじめ配慮されているとか戦争で人類の生存範囲が北極のような寒冷地や砂漠などの生息が困難な場所まで広がったという「トンデモ」な説明を取り入れたりする。このあたりの説明は難解で、自分はいい加減に読み飛ばしたので間違っているだろう。
(訳者による100ページもの章ごとの解説があるので、正確な読解を望む人は参考にしてください。ただ、自分は、正義の根拠は内面に由来するとか目的で判断されるべきであるというカントの説明では正義や道徳を語るには不十分だと思っている。そこはアリストテレスの「共通善」やアマルティア・センの「人間の安全保障」を使うほうがよいと思うので、カントの思想には深入りしません。)
 字義通りに理解しても実現困難であって、読者は批判的に読むことと、現代に当てはめて修正・追加を加えながら読むことが必須。その意味で、これは古典。