2017/02/02 大江健三郎「遅れてきた青年」(新潮文庫)-1 1961年 の続き。
第1部の終わりで教護院に入院されることになった「わたし」。「うまくたちまわって、騙して良い子になってみせるぞ」と宣言した通りに、優秀な生徒として卒業し、あまつさえ東大文学部に入学するのであった。仮面をかぶって他人をだまし、手段として利用する方法を教護院時代に獲得したわけだ。
このあとのおよそ一年間が第2部で語られるのだが、話は錯綜する。複数の事件が同時進行するので、メモを取らないと混乱するだろう。
1.保守政治家・沢田豊比古の娘、育子のフランス語家庭教師になる。18歳の育子はロカビリー風の不良青年(1960年当時大流行)の子を孕む。父に知られないように堕胎する。不良青年(にせジェリー・ルイス)は男娼でもあり、のちに「わたし」は育子と結婚するが、にせジェリー・ルイスは育子と離れず、三角関係が継続する。
2.堕胎先を見つけるために自治会中執(中央執行委員)の学生に近づく。その返礼として、全学連とは別のノンセクトラディカル(闘う日本の会)のメンバーになり、路上蜂起の秘密計画にかかわる。実行の寸前に、沢田からの20万円の小切手が見つかり、スパイ容疑の査問を受ける。このとき、ひき逃げ事故や浮浪者の拷問が行われる。
3.沢田はスパイ容疑で拷問をうけた「わたし」に国会で証言させることで、保守党から都知事候補の承認を得ようとする。「わたし」は沢田と近づいての政治家としてのし上がろうとする。思惑が一致して、国会でリンチ事件を証言。「わたし」の証言のあいまいなところをつかれたが(20万円の小切手の意図:当時の平均所得の20年分)、事故や浮浪者への拷問が明らかになって勝利する。
4.幼年時代の友人・康の行方がわかる。交通事故で子供を失い、抗議のために単身でダンプを停めていた(という事件が実際にあって、著者は強い印象を受けたとエッセイに書いている)。このころ「わたし」はへロイン中毒にかかりつつあったが、康によって止めようとする。一方、インポテンツに悩みだす。ときに深夜に都内を徘徊して、男娼を買ったり、浮浪者風の男娼を衝動的に絞殺したりする。
5.沢田の秘書となり、その妻の支援でテレビ番組の制作に取り掛かる。時代を象徴するような青年のインタビューを行うというもの(著者はそのようなインタビューを雑誌連載して、「世界の若者たち」新潮社にまとめた)。第1回放送の直前、都知事候補のライバルを蹴落とすために、沢田はライバルのスキャンダルを放送させようとする。それを憤然と拒否して、「わたし」は沢田と消れる。
6.神戸の康の下で自堕落な生活をしているとき、にせジェリー・ルイスが育子と心中しようとして失敗、育子が重症を負う事故を起こす。沢田がスキャンダルのもみ消しの条件を出す。育子と結婚することと、10年間フランスに二人で行くこと。フランスで「わたし」は麻薬中毒になり、治療所に入院する(そこで書いた自己回復の手記がこの小説である)。
「わたし」は自分をスタンダール「赤と黒」のジュリアン・ソレルになぞらえたいと願う。ジュリアンは貧困体験をばねにのし上がろうとしたのだが(高校時代に読んだきりなので記憶があいまい)、「わたし」の感情はもっと複雑。他者を手段とし、自身を重要な人間にしたいというのは共通していても、「わたし」はむしろ復讐の感情が強い。家族、村、地方都市などの幼年時代の自分を受け入れず排除してきたシステムに所属する人々が対象であり、都会の学生になってからは他のエリート学生や性的マイノリティがさらに含まれる。彼らを軽蔑し、彼らを権威の上から侮蔑するために、のし上がろうとする。
そこには強い自尊心が由来しているのだが、彼を支える思想はないし、依存する観念もない(なにしろ幼年時代に光り輝いていた純粋天皇は彼を助けなかったし、それこそ純粋天皇の呼びかけに「遅れてきた」のでなにもできなかったし)。なので、彼は他人の視線に恐怖を感じる。得体のしれない視線を持つ者、自分と同じ他者を手段とするがより強いメンタルを持っているものが自分の近くにいるのを恐れる。それが雑誌記者の吉備であったり、学生運動の指導者である北田であったり、なによりも幼年時代に自分で忠実であった弟である(弟は家に残り、家の仕事をしている。兄に対して冷ややかであり、さげすみ、兄に敵対する行動をよるようになる)。彼らの視線に合うとき、彼は臆病。そのうえ、過去の自分の言動に対して反省的であり、過失や失敗に対して恥辱感を強く感じる。そのうえ、性的欲望が強いにもかかわらず、恐怖の感情(闘う日本の会のスパイ査問の経験以降)でインポテンツになる。強い自尊心とは裏腹に、弱い感情やパニックになりやすい心情を持っている。それは彼を傲岸不遜にするばねにならず、衝動的な行動は自分の欲望が挫折するように働く。こういう複雑なパーソナリティは彼の自己破壊、破滅の願望に結び付いている。ドラッグや性的倒錯を押さえつけられず、秘密に活動することがかえって自分の未来を閉ざすことになる。
(沢田という保守政治家。権力を持っていて、金もあり、他人を手段としていかようにも動かせる力を持ち、心服させるカリスマ性ももっている。パターナリズムを持つキャラクターはこれまでの著者の小説に登場してきたが、たいていは主人公とそのグループに敵対するいやな「大人」として表れてきた。ここでは主人公と制御し、抑圧する存在として表れ、主人公は容易に逃げ出せない。このようなキャラクターもこの後の小説に頻出。「万延元年のフットボール」のスーパー事業主、「洪水は我が魂におよび」の妻の父、「ピンチランナー調書」の大物A氏など。同時にこれらの長編の合間に書かれた小説には、少年にメッセージを伝えて死んだ父の意図を推し量る短編が書かれている。現実の権力者と象徴的な父のイメージがこれらの小説に反映していると思う。)
2017/01/17 大江健三郎「万延元年のフットボール」(講談社文庫)-1 1967年
2016/02/04 大江健三郎「みずからわが涙をぬぐいたまう日」(講談社文庫)-1 1972年
2016/02/01 大江健三郎「洪水はわが魂に及び 上」(新潮社)-1 1973年
2016/01/21 大江健三郎「ピンチランナー調書」(新潮文庫)-1 1975年
2017/01/31 大江健三郎「遅れてきた青年」(新潮文庫)-3 1961年に続く。