odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

浅井香織「音楽の〈現代〉が始まったとき」(中公新書) 1848~1871年の第二帝政時代フランスの音楽事情。王宮、貴族の占有・ブルジョアの簒奪から大衆と労働者の消費へ。

 フランスの音楽史を作曲や作品からみると、19世紀は妙に空白なのだ。18世紀には、ジル、カンプラから始まってラモー、リュリ、クープランなどの名が綺羅星のように現れるのに、19世紀ではベルリオーズショパンを除くといきなり、サン=サーンス、フランク、フォーレらに飛んでしまう。とくに、第二帝政時代は何も記載がない。せいぜい「ベルリオーズの無視、マイヤベーヤの賛美、オッフェンバックへの熱狂」と三行で済まされてしまう。本当にそうなのか。著者はフランスにいって、第二帝政時代の新聞や音楽雑誌などを読みまくる。そこから見えてきたもの。
 第二帝政時代は、1848年の2月革命とルイ・ボナパルトの即位、1871年パリ・コミューン普仏戦争、プロシャのパリ占領までの間の時代。前後を挟む革命や反動の記録は以下のエントリーを参照。
<2月革命>
笠井潔「群衆の悪魔」(講談社)-1
カール・マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」(岩波文庫)
パリ・コミューン
ジュール・ヴァレース「パリ・コミューン」(中央公論社)-2
 この時代の前からの音楽の流れを簡略にまとめると、音楽は宮廷がパトロンになって消費する者。作曲家兼演奏家は宮廷や貴族に雇われ、注文に応じて作曲し、王宮や貴族の館で演奏するものだった。それが1789年フランス革命で、王室と貴族の資産が没収され、音楽家は解雇される。音楽家が向かったのは、ブルジョアの好きなオペラハウス。彼らの上流指向と無知があいまって、単純でわかりやすい音楽が受けたのだった。ロッシーニベッリーニドニゼッティなど。新政府は音楽学校をつくったが、もっぱら声楽(オペラ関係者の育成)と軍楽に注力。そのために、器楽や指揮法の演奏者教育がおざなりにされ、演奏レベルは下がる。ベルリオーズの作品も不協和音、複雑な構成、暴力的な音響、などで忌避されていた。いっぽう、パリでは労働者に合唱運動が起きて、多数の男声合唱団ができ、コンテストで雄を競っていた。
 ルイ・ボナパルトが即位した後、経済的には自由主義(レッセ・フェール)、政治的には民主主義の抑圧となる。それは久方ぶりの長期間続いた好況になった。ブルジョアは文化的なステイタスの確保とオペラの踊り子のパトロンになることを目して、オペラハウスに通う。通俗的なストーリーと単純な構成の音楽が望まれる(なので、ワーグナーのオペラ上演は最初から敗北が運命つけられていた)。パリにはいくつかのオペラハウスがあり、政府の援助を受けられる特権劇場では質の向上を求める人がいて、国産オペラを望む(オベール、トマ、アダン、グノーなど)。そこには「さくら(成功請負業者)」の組織があるなど、面白い話がたくさんあるが割愛。
 政府の音楽教育機関で育成された演奏家を雇って、「難しい」ベートーヴェンの啓蒙に注力する人が出てきた。最初はブルジョア向けに演奏会を開いていたが、5000人も入れる会場で開いたら大衆・労働者にうけて(合唱運動でドイツやフランスの古典を理解できるようになっていた)、商業的な成功をおさめる。今度は自国の最新作を聞かせろという要求もでて、若い作曲家の新作が次第に上演されるようになった。
 王宮、貴族の占有からブルジョアの簒奪という流れにあったのが、第二帝政時代に大衆、労働者が消費するようになったというのが大きなできごと。同時に、それまでオペラ歌手が好き勝手に改編していたのを止めたり、交響曲を休憩なしで聞く聴衆が生まれたり、それにおうじて作曲家も作品の自立を目指し要求するようになった。これらは20世紀の「あたりまえ」ではあるが、その源流はフランスでは第二帝政時代になる(ほかの国ではたぶんもっと緩やかに変化したと思う)。このあたりのまとめは、初出当時に新聞に出た書評に詳しいので、参照してください(画像)。

 これは労作。クラシックオタクとしてはどうしても音源になっている作品や辞典にのっている作曲者にフォーカスしてしまい、ドイツ風の教養主義でできごとをみてしまう。そうすると、「ベルリオーズの無視、マイヤベーヤの賛美、オッフェンバックへの熱狂」に納得する。でも、そこに社会や政治、経済を補助線で加えると、とても豊かな生きている世界が見えてくる。音楽史では退屈とされそうなフランス第二帝政期がこれほど面白い時代とは思わなかった。なるほど、その時代の作品には見るべきもの、聞くべきものはすくない(とはいえオッフェンバックの喜歌劇は重要)。しかし、そこで動いていること、生きていた人が次の世代になって爆発的な活動をしていったのと思うと、捨ておくわけにはいかない。こういう社会学の視点を加えて、その時代を描いたことが素晴らしい。自分はさらに左翼革命運動、博物学、文学などの知識も外挿できたので、とても面白く読めた。

 もとは著者の修士論文。提出したら大学教授に酷評されたので、出版社に持ち込んだら、1年かけて推敲して出版されたそうだ(1989年)。長い途切れのない文章、断定的な口調などどこかで読んだことのある文体だなと思ったら、著者は蓮實重彦さんの指導を受けていたとか。なるほど。バブルの時代のニューアカ風で懐かしかった。