odd_hatchの読書ノート

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エドゥアルド・ハンスリック「音楽美論」(岩波文庫)

 本書の議論にはいるまえに、ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)で当時の状況を確認していおこう。図式化すると、ドイツは西洋諸国に比べ遅れていて、民主主義の未成立と宗教の世俗化によって情熱の持っていき場が哲学と芸術に向かった。社会の格差、民族の未統一などを政治や宗教で満たすことができず(政治運動はことごとく弾圧されていた。プロテスタンティズムは内面化を要求するので儀式や祭りで発散できない)、その代替物として哲学と芸術に情熱が向かった。そのふたつをよりよくすることが、人間の解放と高貴化を達成するのであり、民族的な統一と政治的な統合の理念になると考えられた。芸術の中でもとくに音楽が重視された。これが議論の前提になっている。さらに、芸術には創作者のイデーが反映されていて、イデーの質が作品の価値を決めるとする。
ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-1
ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-2


 そのとき、一つの雄ワーグナーは音楽こそ思想の高度な表現であり、言葉と音楽の融合が音楽の進むべき道であると論じた。楽劇に表現されるこの全体芸術、統合芸術が民族的な統一となり、政治体制のあるべき姿の表出であり、人間の理想であるとする。
リヒャルト・ワーグナー「芸術と革命」(岩波文庫)


 もうひとつの雄がハンスリック。エドワルド・ハンスリックは19世紀ドイツの音楽評論家(1825-1904)。たいていはワーグナーに敵対した評論家としてしか知られていない(「マイスタージンガー」の書記ベックメッサーという役のモデルとされた)。音楽観がワーグナーとハンスリックで異なったということであるが、どの程度の差異かはあまり書かれていない。そこで、1854年初版、1891年第8版の「音楽美論」を読む。


感情美学について ・・・ 音楽の美学は自然科学的方法をとるようにしよう。音楽の美は喚起された感情にあるとされるが、生理学に照らしておかしい。美は目的を持たないし、形式にある。
「感情の表現」は音楽の内容ではない ・・・ 音楽のイデーはメロディだけど、あと運動性と象徴性もある。音楽の構成素材にはそれ自身に性格がある。なので読み取り可能。
音楽美 ・・・ 音楽美は原要素である快音と本質であるリズムと内容であるリズムからなり、総体として性格(キャラクター)つけられる。音楽は精神的で、ものだから、言語のしるしより高次な本質である。
音楽の主観的印象の分析 ・・・ 音楽作品はその時代の社会とか政治とかとは無縁。あと創作、演奏、鑑賞における心的過程を描写。
音楽の美的享受と病的享受 ・・・ (なにを言っているのかよくわからない)
音楽芸術の自然に対する関係 ・・・ 自然と音楽の関係は薄い。
音楽における「内容」と「形式」の概念 ・・・ 音楽の内容を問うことは無意味。音楽に「内容」はないよう。


 サマリーをつくってみたけど、支離滅裂になってしまった。もともとの主張が曖昧模糊としているので、こうなってしまうのだよ。
 振り返れば、19世紀は音楽の変革期で、転調・和声・カデンツ・音程進行などどんどん実験され、それ以前の禁足事項が破られていって、美とされなかった音楽が美とされるようになっていった。そのうえ音楽する場が変わり、作品が商品として流通するようになるなど、変化と多様化がどんどん進んでいった。とくにドイツでの実験と成果はめざましく、音楽の本場をイタリアからドイツに移行させることに成功したのだった。そういうわけで、当時のドイツで音楽にかかわる人はドイツ音楽の優位を無条件の前提にしていたのだろう。ドイツの器楽作品がめざましかったので、ハンスリックは器楽の「純粋」さに音楽の理想をみたのだろうね。
 そこで、イタリアの歌を否定するし、ワーグナーやリストのように音楽とロゴス(まあ言語と物語を包含するもの、ていどに思ってくだせえ)の融合を図るやり方もよくないとなる。あらかじめ器楽と精神性を優位にするという主張があった。で、いろいろ否定するために、アドホックな議論を周りにくっつけていったので、なにをいっているのかわからない主張になった(曖昧模糊な主張はワーグナーも同じで、たぶんこの時代の文体がもったいぶった衒学的なものだったのだ)。
 ハンスリックの議論では、器楽が最高位、宗教作品が次、オペラはその下。民謡や歌謡曲などの通俗作品は音楽と認めない。そういう芸術のヒエラルキーをあらかじめ設定。そのために、バッハ以前の作品とかモーツァルトらの機会作品(儀式や舞踏や行進や食事などのための作品)などを評価する軸がなくなってしまった。
(そういえば、ハンスリックの晩年、20世紀初頭で起きたワンダーフォーゲル運動は民謡の再評価と合唱運動を起こしたのだった。 上山安敏「世紀末ドイツの若者」(講談社学術文庫)。ハンスリックの主張の逆転がおきたのだね。)
 ワーグナーの敵役ということでしばらく名前は残りそうだが、まったく今日的でない。21世紀の音楽ファンやマニアは読む必要はない。この時代の哲学に関心のある向きは手に取ってみてもよいかも。(もしかしたら、ハンスリックの継承者はアドルノではないかと妄想する)