前回(オーパ アラスカ編で、たぶん1984年)の翌年1985年に、アラスカ再訪。目的はキング・サーモンとブラックバスのトロフィーサイズ。場所を変えてレッドサーモン。これらの魚がわれわれの食卓に上るとき、サイズはフライパンに入る程度で、このサイズが最もうまいらしい。しかし、数年を海と河ですごすと、体長1m、重量数十㎏になる化け物としか言いようのないサイズにまで成長するらしい。それをねらう。さらにコスタリカにいってターポンという巨魚をねらう。以前ブラジル、アマゾンでピラルクを釣ったのであるが、それと同じくらいのサイズであるらしい。それぞれ1-2か月をアウトドアで過ごすという、都会のビジネスマンにはまず体験できない旅をする。
まあ釣果については、本を読んで確認してほしい、としか言いようがない。この釣りエッセイの記事が(たぶん)異色なのは、釣れないこと、ボーズであること、うなだれることを執拗にかつ入念に書くこと。1か月のコスタリカ旅行で、ターポンがヒットしたのはわずか4回、ファイトは1時間弱。その至福の時間の他は、焦燥やらあきらめやら煩悶やら思索やら、まあさまざまな感情の湧くものであるらしい。多くのページはそれに費やされる。ヒットしてからボートに乗せるまでは、2ページにも満たない。なにも起きていないときの心の動きこそが、作家のとらえるべき重要な時間になる。それを書くことはなるほど作家のいうように「文体の練習と縄跳び」というものなのだろう。
自分は釣りの本は、ほかには井伏鱒二のいくつかとウォルトンの「釣魚大全」しか知らない。釣りの雑誌やテレビ番組を見ても、数ページで退屈し、あるいは数分と視聴することができず熱のチャンネルに回してしまうのは、記事の書き手や番組に登場する釣り師から、釣れないこと、ボーズになることの思索が一切ないことにあると思う。彼らが釣果を誇る姿から、おれは彼らの自己満足を見、肥大した自尊心に辟易するから。まあ、釣りの楽しみを知らないおれのやっかみでありやつあたりであるのだろうけど。
で、この作家、富豪の関心を引いて、信じられないほどの厚遇を得られる名人でもある。たしか「フィッシュ・オン」あたりでもベトナムだったかカンボジアだったか香港だったかの富豪に無人島を借りた記録があったはずだが、アラスカでもベトナム戦争時のタリスマンであるジッポのライターを介して富豪に声をかけられ、彼のコテージで鹿狩りに出るという機会にめぐまれる。このスケールの大きな話、ほら話に思えるような出来事に世知辛い年の住民は体温を上昇させ、読み終わってほっと溜息をつくしかない。ここがこの一冊のクライマックス。
その直後に、自力で流木だけでコテージをつくったヒッピーの話があり、半年の間雪と冷気に閉じ込められた都会人が「キャビン・フィーバー」にかかるという戦慄するような話が淡々と語られ、何とも人間の心理の複雑さにどきとするのであった。
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