odd_hatchの読書ノート

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フィリップ・K・ディック「アルベマス」(サンリオSF文庫)-2

2018/07/02 フィリップ・K・ディック「アルベマス」(サンリオSF文庫)-1 1985年

 ニコラスに起きた神秘体験には白けるのだが、彼らを取り巻くアメリカの状況はすさまじく迫真的だ。すなわち1968年までのアメリカは史実通りに進んでいたのだが、60年代の暗殺の時代(JFKキング牧師マルコムXロバート・ケネディなど)は立派な候補者を一掃し、すっかり政治を萎縮させてしまった。民衆の関心が失われたときにあらわれたのが、フェリス・フリマントという二流の政治屋。だれもが当選しないだろうと思っていたのに、最下位で上院議員になるとワシントンに居を構え、自分の一党をつくってしまった。対抗候補がいないために、大統領になってしまう。さっそく「アメリカの友」という若者の翼賛団体がつくられ、警察権を持つようになってしまった。政治的な主張は皆無であり、「アラムチェック」なる陰謀組織がアメリカの内外でアメリカ壊滅の陰謀を企んでいる。ソ連共産党と共闘したその秘密組織は全貌がつかめないが、スパイが暗躍している。したがって、国民は国家に忠誠を誓い、「アメリカの友」の捜査に協力しなければならない。協力しないもの、容疑が少しでもあるものは逮捕され、収容所に隔離されなければならない。このような荒唐無稽な主張がそっくり政策となってしまった(恐怖政治、監視社会はマッカーシズムの反映。フリマントはニクソン大統領の戯画。自分はこの愚劣な大統領がナボコフ「ベンドシニスター」の大統領に重なる。暗愚な独裁者の心理分析はナボコフの小説のが有効)。
 作家フィルとニコラスは「アメリカの友」の監視対象にはいる。ニコラスが軍事教練を拒否し、共産党シンパの女性と結婚しているため。フィルはその作品の傾向(親ドラッグで、共産主義志向という捏造)のため。「アメリカの友」はスパイになるよう勧めるが、ニコラスは拒否。フィルはうっかり女性監視者と寝てしまい、より強化された監視体制下に入る。ニコラスはVALISの啓示(フレマントを失脚させろ)にもとづき、フレマントが子供の頃共産党員であることを暴露することを計画する。ニコラスの制作するレコードにメッセージを仕込むのだ(執筆時にサブリミナル効果の本が売れていた)。ニコラスと同じVALISの啓示を受けているタバサを社員にして、計画をすすめたが、それは「アメリカの友」の知るところとなる・・・。
 ニコラスとフィルは「アメリカの友」とFBIの監視下におかれる。「アメリカの友」はカルト的な愛国主義(かつ排外主義)の団体。若者が率先して加入して、隣人や住民を自発的に監視する。とくに、インテリ、自由業、独身者を標的にする。そのうえ、フレマントの支持があったのか、警察より上の権限を持つまでに至る。この陰鬱な組織には、ナチスヒトラーユーゲントソ連のコムソワール、中国の紅衛兵の記憶が反映しているだろう(似たような組織は独裁国家全体主義国家にもれなく作られる)。PKD自身の体験もあって、この組織は怖い。イザベル・アジェンデ「精霊の家」の後半プイグ「蜘蛛女のキス」にでてくる秘密警察なみ。初読の1987年では、この監視体制はおとぎ話であって、考え過ぎと笑い飛ばせたが、2015年以降の「戦争法案」「共謀罪」の施行や審議を見ると、この国にリアルになりそうで、強い恐ろしさを感じた。
 このストーリーは「暗闇のスキャナー」だ。「アルベマス」は刊行こそPKDの死後だが、書かれたのは「暗闇のスキャナー」のあと。「暗闇のスキャナー」ではめられたのはジャンキーであり麻薬捜査官であるのだが、ここではたんなる神秘主義者と愚痴っぽいSF作家。後者はとくに社会的な問題を起こしていないのに、警察や愛国団体にはめられ、スケープゴートに仕立て上げられる。そのうえ、彼らは忠誠をちかっていたはずの組織(麻薬取締局やアラムチェックなど)にもはめられている。二重の仕掛けをもったスパイや歯車として使い捨てられる。最後には、社会から隔離された収容所に収監される。ほぼ脱出の可能性はない。そこには徹底的に救いがない。
 1976年8月19日原稿SMLA受理。「当初はおおまかな草稿として買い取られた作品。数年かけてこれを改訂できなかったPKDは、そのかわりに『ヴァリス』を執筆。1985年、オリジナル原稿のかたちで刊行」とのこと。
 再読すると、救済のモチーフを「アルベマス」にいれようとして、それができずに断念。フリマント大統領の抑圧・監視社会のイメージを背景におき、薬物治療センターに収容された「ボブ・アークター」に救済を与えようとしたのが、次作「ヴァリス」ということになるのか。社会的な救済モチーフはPKDにはあまりなくて(「高い城の男」が典型。あっても荒唐無稽なデウス・エクス・マキナが登場する)、ここでも子供に期待というあいまいなことしか提示できない。

 フィリップ・K・ディック「アルベマス」はサンリオSF文庫で出た最後の一冊のひとつ。巻末の訳者解説に廃刊に至る経緯が書いてあって(固有名は出てこないあいまいなもの)、とても悲しんだものだ。購入したその日から、店頭に残っているサンリオSF文庫を求めて、書店をさまよい、片端から買いこんだ。同じことを考えた本好きは多数いたと見え、二三か月で店頭からサンリオSF文庫は姿を消した。全刊行点数197冊のうち、70冊超を入手できた。
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