odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フィリップ・K・ディック「人間狩り」(ちくま文庫)「ナニー」「火星探査班」  代表作を網羅した初心者向け短編集。

 早くからPKDを紹介してきた仁賀克雄さんが編集したPKDの短編集(1991年初出)。過去に訳出した短編集(「顔のない博物館」北宋社と「人間狩り」集英社 ワールドSFシリーズと「ウォー・ゲーム」朝日ソノラマ文庫から選択し、初紹介作品を一つ追加した。前二冊は自分は未入手だが、サンリオSF文庫の短編集に収録されたものが多数ある。サンリオ版に収められたものは訳者が違うので、言葉の選び方やリズムやニュアンスの違いを楽しんだほうがよいのだろうが、そこまでの興味は持てなかった。

「パパそっくり」 The Father-thing ・・・ 「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック II」(サンリオSF文庫)所収。

「ハンギング・ストレンジャー」 The Hanging Stranger ・・・ 「ウォーゲーム」(朝日ソノラマ文庫)所収。

爬行動物」 The Crawlers ・・・ 「ウォーゲーム」(朝日ソノラマ文庫)所収。

「よいカモ」 Fair Game ・・・ 「ウォーゲーム」(朝日ソノラマ文庫)所収。

「干渉者」 Meddler ・・・ 「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック IV」(サンリオSF文庫)所収。

「ゴールデン・マン」 The Golden Man ・・・ 「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック III」(サンリオSF文庫)所収。

「ナニー」 Nanny 1955 ・・・ 育児支援ロボット「ナニー」は子供たちに好かれ、親も感心している。このところナニーは外出するたびに、へこみや傷がつき、機能がダメになっていく。修理を依頼すると、買い替えを薦められる。こういうのを物神化というのかしら。企業の開発競争の畸形化と機械のフェティシズムの混交。「パーキイ・パットの日」1963.12まであと一歩だし、「変種第二号」1953.05と隣り合わせ。

「偽者」 Impostor ・・・ 「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック I」(サンリオSF文庫)所収。

「火星探査班」 Survey Team 1954 ・・・ 核戦争で地球は壊滅。人類は地下にこもっているが、絶滅は時間の問題。移住できる惑星を探したが、候補は火星のみ。そこで探査班を飛ばした。もし火星人がいたらの危惧を持ったが、見つけたのは遥か過去に火星を使い尽くしてどこかに集団移住した痕だった。彼らの行く先はどこだったのか。惑星間移住は徳であるのか。ほぼ同じ時代にA・C・クラークは惑星間移住を人類の未来であり達成目標とする短編を書いていたというのに、PKDときたら。

「サーヴィス・コール」 Service Call ・・・ 「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック II」(サンリオSF文庫)所収。

「植民地」 Colony ・・・ 「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック I」(サンリオSF文庫)所収。

「展示品」 Exhibit Piece ・・・ 「ウォーゲーム」(朝日ソノラマ文庫)所収。

「人間狩り」 Second Variety ・・・ 「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック I」(サンリオSF文庫)所収。


 編訳者の好みが反映している(アイデア小説が優先、あまり暗い話は取り上げないなど)が、PKDの代表作を網羅している。これはPKDの入門編にするとよい。今でも入手可能かどうかは不問にするとして。


 訳者ノートが巻末にはいっている。編者がPKDに惚れて、しかし冷遇されていた時代を回想している。
 昭和30年代、40年代(1955-1975)はPKDへの関心はこの国ではほとんどなかった(40-50年代の黄金時代とそのあとのニューウェーブに関心が向いていた)。「宇宙の眼」「高い城の男」がわずかなSFファンの興味を引いたくらい。たとえば筒井康隆がそのひとり。でもそれは絶版になり、長編は「偶然世界(太陽パズル)」しか入手できない状態が続いた。その時代に編者は孤軍奮闘して、「地図にない町」の出版にこぎつける。手元に1977年の「ミステリ・マガジン」があって(J・D・カーの追悼号)、そこには編者の訳の「ルーグ」が載っていたが、だれも注目しなかった(自分も犬がしゃべるというのに唖然としたが、なんで「ミステリ」にのるのかと奇妙に思った程度)。
 それが1980年代になってPKDはブームになる。きっかけは、PKDの突然の死(「ヴァリス」出版の直前)、映画「ブレードランナー」の人気、サンリオSF文庫の傑作駄作を交えた紹介(と1987年の突然の終了)。サンリオの終了で入手難になるかと思われたが、創元推理文庫、ハヤカワ文庫、ちくま文庫、現代教養文庫が引き継いだ。その結果、1993年末までに主要長編と一部の主流文学にインタビューやノートが多数訳出されたのだ。自分は「ユービック」でどぎもをぬかれて、それ以降片端から買いあさった。それがこのエントリーにつながる。
 最初は翻訳だけだったが、国内のPKD研究や啓蒙書が刊行されるようになる。自分の持っている(いた)ものをあげると、以下の通り。
サンリオ編集部「悪夢としてのP・K・ディック」(サンリオ) (たぶんこの国の最初の評論集)
雑誌「銀星倶楽部」1989年5月「特集 フィリップ・K・ディック」(ペヨトル工房) 
ユリイカ 1987年11月号「_P.K.ディック以後」
雑誌「ユリイカ」1991年1月号「P・K・ディックの世界」(青土社) 
 1980年代のPKDブームは、もうひとつのSFブーム「サイバーパンク」と連動していた。ギブソンニューロマンサー」の翻訳出版が1986年7月。以降、ゆっくりとハヤカワ文庫と新潮文庫で翻訳が進む。映画「ブレードランナー」や「トロン」なんかもからめて、「電脳」とか、コピーとオリジナル、懐かしい廃墟の未来、捏造されたアイデンティティなどの問題をしゃべるようになり、これらの若者(「新人類」とか呼ばれたか)が発見する前にPKDがやっていたじゃないか、それも信じがたいほどのリアリティをもって。という具合に「再発見」されたのだった。なのでユリイカ1987年11月号のような特集が先に作られた。
 という昔話を書いておく。