odd_hatchの読書ノート

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中井英夫「虚無への供物」(講談社文庫)-2 現実(実際に起きている事件)と非現実(久生や亜利夫などの推理比べで登場するさまざまな妄想)の区別がつかない「ザ・ヒヌマ・マーダー」。

 2019/10/29 中井英夫「虚無への供物」(講談社文庫)-1 1964年の続き

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第2章 ・・・ 氷沼家に40年も奉公していた爺やが「黒月の呪法」などと言い出したので(医師の藤木田老は分裂症(ママ:死語)の疑いありといっていた)、家族の同意で収容される。蒼司は家を売却することを提案し、八田に売り先を見つけるように依頼。宗教教団が買いそうだったので橙二郎に売ることを持ち掛ける。あけて1955年2月6日。橙二郎にマージャンの誘いをするとのってきたので、例の心理試験にかけることにする。亜利夫は藤木田老の依頼で行動のチャートを作成。推定犯人の橙二郎は早々に引き上げ、他は徹夜でマージャンに熱中する。夜明け方、ガスのにおいがするというので橙二郎の寝室の扉をたたき壊すとガス中毒で死亡していた。湯沸かしからガスが漏れていて、どうやら家のしきたりを知らないものが元栓を開け閉めした結果らしい。警察も過失死として処理。2月17日、戸塚の老人ホームが全焼し、光太郎の妹(90歳くらい)が焼死する。奇妙なことに死体の数が増えていた。翌18日、久生のフィアンセ牟礼田俊夫が帰国。牟礼田は氷沼家の死者はいずれも「無意味な死の連続」であり、計画殺人・血みどろな殺人の対極にあるという。そうであれば、無意味な死では犯人の必要がなく、いなければつくればよいとうそぶく。橙二郎の幼子は目が光るという病気をもっていて、養子にでることになった。また紅司の背中の十字架はサディズムには無関係なアレルギー症状であり、気にしていて自殺願望があったと牟礼田が説明。
蘊蓄情報:麻雀、クルーゾー監督「悪魔のような女


第3章 ・・・ 1955年3月1日。市ヶ谷暗闇坂上にある黒馬荘という安アパート。ある部屋に八田が転げるようにやってきた、部屋の男、なんと鴻巣玄次と口論を始める。八田の死んだ妻の弟である玄次はトラブル起こし。ふいに部屋が静かになると、監視していたものから出たところが見えなかった八田が警察を連れて戻っていく。密室状態のアパートの部屋で玄次は青酸カリを飲んでいた。のちに自殺とされる。奇妙なのはその数日前、玄次の実家で父母が殺されていた。そちらは玄次の仕業と思われたのだが(八田が来たのはそのため)、のちの捜査で父が母を殺し、父が自殺したとされた。玄次は事件直後に現場に行き、すでにこと切れた父の首を再度締め、両親殺しの汚名を進んで引き受けて自殺したとされる。こうして紅司の空想の人物と思われた玄次の存在が明らかになり、牟礼田は新たな視点で事件を考え直そうとする。この密室では「第4次元の断面」で出入りがあったといい、第4の事件が行われる密室を用意し、犯人を待伏せしようとうそぶく。このころ氷沼家は崩壊寸前。蒼司は衰弱して床につき、藍司は家出(のちに黒馬荘の一室を借りる)、家はアメリカ人が購入することになり、八田が住み込んで書斎を「黄色の部屋」に改装する。牟礼田、亜利夫、久生は家の周囲を探索。目赤不動が再建予定であることを知り、事件は「不動、薔薇、事件」の関数で示されるという。そしてふたたび広島原爆で死んだはずの黄司の存在がクローズアップされる。
蘊蓄情報:ガリバー旅行記力道山木村政彦の世紀の一戦(1954年12月12日)、ゴーレム、ルルー「黄色い部屋の謎」

 

 第1章までは久生が推理比べの主導権を握っていたのが、ここにきてフィアンセでフランス帰りの牟礼田に移動する。彼の思考方法は象徴を見出すこと。彼の蘊蓄は亜利夫のつぶやいた不動やら童子、薔薇など事件とは直接関係なさそうな表層が事件の深層に直結するものであり、それらを調査することが真相に至る道だという。それが発揮されるのが第3章の後半になっての「現地」調査。およそ警察の現場検証とは異なる調査は目赤不動や青い薔薇など象徴を発見することになる。そのうえで、牟礼田は現実(実際に起きている事件)と非現実(久生や亜利夫などの推理比べで登場するさまざまな妄想)の区別がつかないのが「ザ・ヒヌマ・マーダー」だという。ここを韜晦とみるのか、法水麟太郎@小栗虫太郎の同類であるとみるのか。第3章の後半に現れる、事件の解釈のひっくり返しやさまざまな蘊蓄の披露がむしろ現実であるかのようなめまいになってくる。
 さて、ここでは紅司の書く予定だった「凶鳥の黒影(まがとりのかげ)」の構想がしきりと確認される。すなわち、ABCD、4人の人物がいて、AがBに殺され、BがCに殺され、CがDに殺され、最初に死亡したAの用意していたトリックがDを殺すというおよそ「探偵小説」に書かれたことのない(と思う)プロットをもっている。シュニッツラーの「輪舞」を模した構想なので、ここでは「殺人輪舞」とされる。そうすると、読者は久生や亜利夫の近代探偵小説の探偵方法と、牟礼田の象徴的な探偵方法とあわせて、このプロットも考慮することが必要となり、事件は単純であるにもかかわらず解釈が困難になっていくという事態に直面する。
(そのうえ、第3章前半の黒馬荘の事件およびその係累の事件は、久生、亜利夫、牟礼田などの登場しない第三者の視点による(ただし文体は変わらない)記述。小説の中に小説がはめ込まれているという印象。もうひとつ、小説の背景である1954-55年のさまざまな殺人事件、事故を多数引用して、異常犯罪が多発しているかのような印象をつくりだしている。実際は前後の年と比べて多くも少なくもない、普通の年であるのだが。作家がこう書くことによって、小説中の事件もこの一環であるかのような思い込みを持つように読者を操作している。これも読んでいる小説のストーリーやプロットを錯綜させる仕掛けになっている。続く第4章には実名「小説」が載せられるのだが、小説内のできごととされたことが続く本文では実際にあったこととされたりするなど、小説内の現実と幻想の境があいまいになる。しかし背景では現実の事故や事件の記述があって、読者の現実とのつながりをもたせている。どんどんリアルがわからなくなる。確からしさをもとめて小説をよむほどに幻惑されていくのだ。)
 タイトルの「虚無への供物」は、巻頭にのせたヴァレリーの詩からとられ、作中で紅司の育てている薔薇の名前であることが分かる。終章の犯人の告白にも登場し、複数の意味を持っていることに注意。ただ、自分の読みではタイトルの意味の探求はここまでで十分で、その先の詮索はおれには不要だな。

 

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2019/10/25 中井英夫「虚無への供物」(講談社文庫)-3 1964年
2019/10/24 中井英夫「虚無への供物」(講談社文庫)-4 1964年