odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

H・G・ウェルズ「タイム・マシン」(角川文庫) 家族・労働・国家を止揚した社会は必然的に退廃する。ウェルズの社会主義批判とペシミズムが込められたSF。

 ウェルズの中編と短編。どれもSFのサブジャンルの始祖であって、SFでやれることの多くはウェルズがやってしまったという感じがする。そのうえ、人類や地球の未来に対する無力感となにもすることがないという諦めが漂う。読後、余韻は深いが、気分はすっきりしない。

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タイムマシン 1895(1924改稿) ・・・ 無名氏のタイム・トラヴェラーの体験談。タイムマシンを発明して、80万年度の世界に旅立った。そこは自然を征服している世界。地上には知力・体力が退化したエロイという小人(ママ)の種族と、彼らを捕食する盲目で光を恐れるモーロックという種族しかいない。エロイとはコミュニケーションが取れず、モーロックにタイムマシンを奪われた。エロイの娘ウィーナがなついてきたので、彼女を連れて博物館跡を見つける。モーロックの洞窟に侵入してタイムマシンを奪還したが、その際にウィーナが殺される。失意で脱出すると、今度は地球の最後に出る。生命のいない暗い深さだけ。ようやく帰還したが、現在(19世紀末)の誰も信じない。タイム・トラヴェラーは姿を消してしまう。
 これをファンタジーの系譜として読むのは荒俣宏。ハヤカワ文庫版の解説では「しおれた花」に着目。異世界に行ったことを他人が信じてくれないときに、持ち帰った一輪の花がリアルであったという確証になる、それはウェルズ以前のファンタジーの定番だったという説(だったと思う。なにしろ読んだのは四半世紀以上前)。
 自分はちょっと違った視点で。この「タイムマシン」はほぼ同時期で先に出たウィリアム・モリスの「ユートピアだより」1890年の批判とみた。なにしろストーリーが同じ。未来社会に行き、そこに住む人に社会状況を聞き、帰還する。ウェルズは少しアクション風味がついている。モリスは家族・労働・国家を止揚した社会では、人間の精神は芸術活動に向かい、新たな進化のステージに登り、モラルにもアートにも傑出すると考えた。しかし、ウェルズはそのような近代の止揚、とくに自然の征服と生産体制の自動化は人間の退廃と退化を招くと考える。生産する必要がなく、病気と外敵が無くなり、生存競争がなくなると、人間は無気力と退廃に陥るとしたのだ。なるほどエロイは優美で友好的である。でも知能は5歳児程度で体格も小学生並み。それは幸福からは程遠く、人間の最高段階である19世紀のイギリス人からみるとコミュニケーションの価値がないといえるのだ。さらに労働者階級は、家族・労働・国家の止揚では滅びず、むしろ階級の固定化になり、80万年の歳月は元が同じ人類であったものが交配不可能な二種族に分かれる。これは当時のイギリスの階級社会の反映(モーロックが地下種族というところはフリッツ・ラング監督「メトロポリス」1926年を想起。でも地下にわい人がいるというのはケルトやゲルマンの神話にあるからなあ)。ここでもイギリスの上流階級にいるタイム・トラヴェラーはコミュニケーションの価値がないとみなす。なので、モリスの「ユートピアだより」では未来人と親密な関係をもち知的刺激を得たのに、タイム・トラヴェラーはロビンソン・クルーソーのように社会から疎外され、ひとりでサバイバルしないといけない。ウェルズの考えでは社会主義は成立しないし、それは退廃へ進み出る否むべきことというのだろう。
 そのうえ地球の最後をみるというペシミズム。なるほどこの時代には、シレジウスの熱的死のイメージは人口に膾炙していたし、太陽の死も予想されていた。いずれも人為では回避できない宇宙規模の宿命。それを意識すると、思考は鈍り、この人生で行うことが無意味に思えてくる。そのようなペシミズムの作。
 <参考エントリー>
H・G・ウェルズ「タイム・マシン」(角川文庫) 

  

盗まれた細菌 1894 ・・・ 細菌学者を訪問した男、コレラ菌バイオテロ(という言葉は使っていないが)で都市を壊滅できるという話を聞き、試験管を盗み出す。細菌学者に追われているのに気付いて馬車に早駆けをを命じたが、そのとき試験官が割れてしまった。無政府主義者を名乗る男は試験管の残りを飲み干した。パスツール、コッホらの成功でこの時代は細菌病因説が大流行。その反映。さらに、この作品の延長に「宇宙戦争」がある。あと、無政府主義者の低い自己評価や社会への憎悪、革命観念が身体のより重大など、テロリストの心理が正確に描かれている。

深海潜航 1898 ・・・ 1896年、最初の深海(5マイル降下)探検の様子。深海に、擬似人間体の都市があり、球体の潜航艇に何かしようとしていた。前半は19世紀のハードSF。後半は怪奇小説ラブクラフトに似た短編があったな(「ダゴン」だったっけ? 追記:「神殿」のようだ)。

<参考:「海底六万哩」最初の海中撮影映画1916年>

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新神経促進剤 1901 ・・・ その薬を飲むと神経と身体の働きを数十倍にもするという。二人で試し飲みをしてみたら、1秒が数十分にもなって、周りの人が停止し、音が聞こえなくなり、空気の摩擦で服が燃え出す。20世紀のSFで繰り返し使われたアイデア石森章太郎サイボーグ009」の加速装置など)の元祖。

みにくい原始人 1921 ・・・ 数万年前の人類とネアンデルタール人の抗争。「みにくい原始人」であるネアンデルタール人が人類によるジェノサイドで絶滅するまで。ウェルズはこれを「勝利」と華々しく喧伝するが、自分にはそうは思えない。当時の人類史をリードしていたのはエルンスト・ヘッケルだと思うが、小説の記述はほぼヘッケルの考えに準じる。そこには、霊長類での人類優越が前提であり、人類による行為は正当化される。そこからは現在の人種差別につながる思想を見出せるし、なにより21世紀でもネアンデルタール人の絶滅の主要な理由はホモ・サピエンスとの抗争にあったというのが主要な学説。自分らの手は血で汚れているのだと、なんとも暗い気持ちになる。

奇跡を起こせた男 1898 ・・・ パブの口論でかっとなって奇跡(念動力、無から有をだす、人を消す、改心させるなどなど)を起こせた男。牧師に懺悔すると社会改良に使いなさいという。いい具合になったのに、調子にのって地球の自転を止めてしまった。「悪魔との取引」の変形版。身の程を越えた力を持ったとき、どこまで使用するかの思考実験。たいていは、この男のように善意で社会に迷惑をかけてしまう。

くぐり戸 1906 ・・・ 高名政治家の述懐。厳格な家庭で育てられた彼は幼少時代に「白い長い塀の緑のくぐり戸」を開けた記憶が鮮明にのこる。人生の「楽園」であった(美少女、気持ちの良い同世代の子供、鷹揚で親切な大人たち。気持ちの良い庭と家、たくさんのゲーム)。迷子で発見された彼は折檻を受けたりもする。長じて、ときに「白い長い塀の緑のくぐり戸」が現れるが、それは現生での成功の重大な選択を迫られているとき。彼はいつも「白い長い塀の緑のくぐり戸」を避けてしまう。リアルでは成功したが、くぐり戸を選択しなかったことを後悔し続けている。しばらくして彼は工事現場の扉から転落して死亡しているのが発見された。「白い長い塀の緑のくぐり戸」の象徴するのは、ビクトリア時代の厳格なマナーや抑圧、あるいはエリートの社会的な競争、資本主義の拡大から解放された世界。自由(freedomでありLibertyでもある)と公正の実現した社会のいい。それを選択しないという行為は当時のイギリス階級が19世紀に行ってきたこと。結果、イギリスは「太陽の沈まない帝国」になったが、それは社会にどうであったか。通常、この「くぐり戸」は個人の自由や解放をテーマにしていると読まれるが、ここではちょっと社会学的な読み方にしてみた。あとこの「くぐり戸」の先の楽園イメージはたとえばピアス「トムは真夜中の庭で」にもある。これはイギリス的なイメージなのかしら。 

 角川文庫は品切れのもよう。他の入手しやすいものをリストアップした。