odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

アガサ・クリスティ「NかMか」(ハヤカワ文庫) バトル・オブ・ブリテン真っ最中のスパイ摘発。排外主義とレイシズムが社会に蔓延して、リベラルも偏見から免れない。

 トミーとタペンス物を読むのははこれが最初なので、過去の経歴や仕事はまるで知らない。スパイ・サスペンスは好みのジャンルではないので敬遠してきたが、ある評論家が全長編を読んでこれが最上等の傑作だといっているのを知ったので、入手した。

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 1940年。英独の間で開戦。ナチスドイツのイギリス上陸が近日に行われるという噂があって、ピリピリしている(発表されたのは1941年でバトル・オブ・ブリテンの真っ最中)。軍の情報部がドイツ情報部のスパイ組織の大元が海岸に面した村の「サン・スーシー(無憂荘)」にいるとつきとめた。コードネームは「NとM」。そこには退役軍人か有閑マダムが空襲を避難しているリゾート地。普通の若い情報部員には手が出せない。そこで、45歳になって強制的に退役になったトミーに依頼した。タペンスには内緒であったが、先回りをして無憂荘の宿泊客になっていた。ふたりは夫婦を名乗れないので、未亡人を追いかけて回すアッパークラスという役を演じることにした。サン・スーシーに宿泊するのは10人(男4人に女性5人に幼児一人)。これがちょっとしたヨーロッパの人種の一覧。それに管理人の未亡人はアイルランド独立運動にかつて関係し、ティーンエイジの娘はドイツのシンパらしい言動をする。近くにはドイツのスパイを摘発して、その家を買い取ったという海軍の元中佐もいる(あとさきになるけど、「バートラム・ホテルにて」1965年に似ている)。
 ここから先は、トミーとタペンスが関係者と話をしながら、情報を集めていく。トミーとタペンスはだれがスパイかわからないが、スパイはトミーとタペンスの正体を見破って罠にかけるかもしれない。その緊張感が二人をしばる。戦時下のリゾートのできごとがたんたんと綴られる中、事件はわずか。幼児が誘拐され、断崖に追い詰めたとき、母が誘拐した女に発砲したら偶然命中して事件を解決したこと。海軍中佐の家に招待されたら、浴室に無電装置を発見したこと。ドイツのパラシュート兵を拿捕したので替え玉になってナチスのスパイと接触しようとすること。当初怪しいを思われた者の容疑がはれ、トミーとタペンスは五里霧中になる。事態が進むにつれて、ドイツの作戦準備が進行しつつあるのがわかり、四日以内にスパイを摘発しなければならない。トミーは途中で行方不明になり、タペンスは単独で対応しなければならない。どうしよう。
 全体は4部構成。第1部はふたりが現地に着くまで。第2部は二人の最初の捜索。幼児誘拐とその後のできごとで、推理は振出に戻る。第3部は捜索のやり直し。トミーが行方不明になるまで。第4部はタペンスの単独捜査。スパイの逆襲にあい、絶体絶命の危機に陥る。サスペンスの大道の構成。男女二人の捜査に、タイムリミットがあるところから、アイリッシュ「暁の死線」1944年を思い出した。アイリッシュの作には、事件の解決以外に自分の容疑を晴らし、閉塞状態から抜け出すというモチーフもあったが、こちらは仕事のプロが楽しみつつ事件を解決するというので焦燥感や切実感はなかった。クリスティでは現状からの脱出という主題はなくて、原状回復という保守的な主張がめだつからね。それはしかたない。あと、多数のなかから自分たちに暴力や権力を向けるかもしれない危険なものを見つけるという趣向で、パット・マガーの「探偵を探せ」1948年も思い出した。
 めずらしく「M」の正体をあててしまったので、自分の評価は低い(ただし論理的ではなかったので、クリスティの小技を堪能しました)。クリスティーは、派手なトリックをつかったものより、些細なできごとの積み重ねで複雑なできごとをすぱっと解釈するこういう書き方の方がよい。それはなにより、会話とストーリーがうまいから。
 もうひとつこの小説を楽しめなかったのは、戦時下において国益のためのスパイ摘発が優先されるという状況になじめなかったため。戦時下の社会は、「ブリテン・ファースト」になっている。そのために、アイルランド独立運動の経験者やドイツからの移住者、ポーランドの難民はそれだけでスパイの容疑がかけられる。ときには彼らの人権は無視される。作中でも出自を理由に逮捕され、そのあと家宅捜索される人物がいるくらい。「ブリテン」の側にいるものは、彼らマイノリティへの偏見を隠さず、警察ができないような強硬な施策をとることを主張する。なぜそれが許されるかというと、民主主義や自由主義を認めない全体主義ナチスの思想は

「人間の内なるなにか、力への欲望ないし願望といったものに働きかけてくる。彼らが唯々諾々と祖国を裏切ることに同意するのは金銭のためじゃない。一種の誇大妄想的な自負、この自分が、自分だけが、祖国の名を挙げ、世界に覇を唱えることができる、という自負からなのだ(P401)」。

 そこで排外主義とレイシズムが社会に蔓延している。トミーとタペンスのようなリベラルであっても、戦争を理由に抑圧する側にまわる(まあ、諜報部員はそういうものかもしれないが)。しかも第1次大戦の戦争被害者の憎悪は、戦争による排外主義で強化される(そういう人物がドイツスパイの協力者にいる)。小説はユーモラスで、主人公二人は快活で、「敵」を見つけ出してめだたしめでたしになるのだが、どうにも背景になじめない(同じ戦時下のミステリーにカーの「貴婦人として死す」があるが、排外主義と抑圧はめだたない。どうしてかね)。おれはこの作をとてもではないが薦められないが、これを最高傑作としたひとはここをどうみているのか。