odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

永井荷風「荷風随筆集 上下」(岩波文庫) 19世紀末西洋文化にどっぷり浸ったディレッタントは日本に幻滅し、世を捨て過去を幻視する。

 永井荷風は歩く人。蝙蝠傘(当時はモダンで高価な品)をもち、日和下駄をはき、江戸時代の地図をもって東京中を歩き回った。本書に収録された「日和下駄」をみると、健脚の持ち主で、今の山手線周辺と浅草あたりを自分の散歩道にしていた。

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 彼の特徴は、反近代。思い起こせば、1889年の大日本帝国憲法発布によって、明治政府の富国強兵、殖産興業、和魂洋才の政策は固まり、古いものを捨てて新しいものを取り入れた。結果、東京の景観は様変わり。同時に日本人の心持も様変わり。すなわち、ふるい神社仏閣が取り壊され、森が切り倒され、坂が開かれ、海が埋め立てられ、道幅が広くなり、自転車と電車が警笛を揚げて行き来する。工場がたち、軍用地が増えて軍人が闊歩し、商業施設ができて広告が派手になり、電灯がついて夜が明るくなり、電線が頭上に張り巡らされる。人々も自然を愛するとか自然と調和する暮らしをするとかはどこへやら、金儲けになるなら人の監視をかいくぐって法を破り、ごみを捨て、困った人を顧みない。わずか四半世紀で、日本の景観と人心は一変してしまったのだ。これが永井荷風の考えだろう。若くしてアメリカ、フランスに留学し19世紀末の文化にどっぷりとつかったディレッタントが帰国して発見したのは、変わり果てた日本の姿。そこで彼は、日本の近代化と帝国主義国家と科学技術に背を向ける。とはいえ、反自然の自給自足をするには、体力と経験の乏しいこともあって、都会に背を向けることもできない(加えて、日本の田舎も嫌い)。したがって、拗ねて世を捨てるしかない。さいわい1920年代に円本ブームが起きたために、若いころの小説が何度も再版され人気を得たので、一人暮らしていくには十分な収入を持っていた。身の回りは雇いの女性に任せ、騒音と人付き合いを嫌って、荷風は町を歩く。
(江戸が変わったのは、政権を担当することになったのは田舎の氏族。都会を変革するのは田舎での成金。彼らは都会の文化と伝統から切り離されている。教養にも乏しい。彼らの趣味は俗悪で皮相なもの。しかし金で物事を解決する風は、庶民にまで浸透する。そのうえ田舎の食い詰め者がさかんにやってきて、都市の整備は間に合わない。それらも重なったのだ。荷風がダメ出しをした東京も、約十年後の関東大震災でさらに様変わりする。夢野久作「街頭から見た新東京の裏面」「東京人の堕落時代」(青空文庫)をみるとよい。このあと軍人が政治に関与し、ますます東京は窮屈になる。都市に軍事意匠が施され、軍人が大威張りになる。)
 荷風が好んで見たのは、淫祠、樹、寺、坂、池、路地、夕陽など。これらを語るに使うのは地名に、江戸雑文学に俳句や和歌。自分の観察や感想はあまり書かない。そうなると、土地勘のないものには煩瑣な記述にへこたれる。それに、荷風の懐古趣味は徹底したもので、江戸地図をもって江戸の風景を幻視するくらいだから、いまそこで起きていることに目を向けない(のか戦術としての白紙なのか)。そうすると、荷風の好みを共有しない者には根気が続かない。同じように浅草や銀座を描いた人に都筑道夫がいて、彼は記述当時の現在を書いた(ホテル・ディック泡姫シルビアのシリーズなど)。あとから見て、その観察が当たっていようといまいと、作家が見ようとする意図や愛着を感じられる。それがない荷風には興味をもてない。上巻だけで読むのをやめた。
 20年前に読んだときは面白かったのに。読者であるこちらが変わってしまった。