odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ミヒャエル・エンデ「モモ」(岩波書店) 時間貯蓄銀行は貨幣の比喩。資本主義や利子の付く貨幣による社会の不正や混乱を克服するのは芸術であるという主張。

 この本を読んだある経済学者がエンデに「この本の主題は貨幣だね」といったところ、そうだという返事をもらった。そこでエッセーを書き、シルビオ・ゲゼルという経済学者(現在では傍流のいささかふうがわりな学者と思われている)の研究雑誌に載せた。その翻訳をwebで読むことができる。この論文に「モモ」のあらすじが詳しいので、ここでは書かない。
「経済学者のための『モモ』入門」ヴェルナー・ヘンケン著
 このエッセーに関連するように自分なりに主題を要約すると、こういうことだ。

「モモ」には時間貯蓄銀行が登場して、人々が時間を貯蓄するようにもとめる。そうすると、貯蓄した分の時間には利子がついて、いつか使うときにはためた分よりも多くの時間を返してもらえる。そうすると、人々は貯蓄する時間を作るために、効率性と速度を生活の中に持ち込み、無駄や遊びを排除していく。その結果、人々は茶飲み話や遊びをしなくなり、ユーモアと寛容を忘れて、せかせかいらいらし、ニヒリズムシニシズムにまみれていく。で、時間貯蓄銀行はもちろん預かった時間を返すことはけっしてなく、「灰色の男」が使うことにまわされる。「灰色の男」は人々に決してみられることはないが、世界に監視の網目を張って人々がそこから抜けられないようにしている。せかせかいらいらした生活を嫌う人がいても、この社会に組み込まれたものは、社会から抜け出すことはできない。
 たいていはこれをその通りに読んで、近代主義とか工場生産の批判あたりを見るのだが、論文によるとそうではない。エンデの主題は根源から貨幣を問うことであり、ここでいう時間は「貨幣」のことだ。貨幣は商品の一つであるが、商品の価値を決定する指標であって、商品は時間の経過とともに使用価値も交換価値も減っていくのだが、貨幣のみ時間が経過すると使用価値も交換価値も増えていく。この奇妙さはこういうおとぎ話で伝えられる。アメリカ入植者は安い価格でマンハッタン島を買ったが、それを複利で銀行に預けていたら、200年でマンハッタン島を変えるだけの利子を産んでいた(まあ、1950-60年代の好況期で金利の高かったころの話)。要するに、貨幣のみが利子を産み、それによる利益で増大した金融資本は資本主義を生み出して、上の要約になるような「人間的」でない生活というか習慣というか疎外を人間に強要するのだ。
(ついでにいうと、クライマックスシーンで時間の止まった(利子を生み出せなくなった)ときに、「灰色の男」=資本主義は延命のために、時間=貨幣を命に代えた葉巻を奪い合い、葉巻を奪われた「灰色の男」は煙のように焼失する。貨幣の価値がなくなったハイパーインフレーションの暗喩になるのだろうな。)
 それに対抗するのが、マイスター・ホラの管理する「時間の花」である。資本主義の時間=貨幣は労働生産によって生み出されるが、この「時間の花」は「人間らしい生活」から生まれるものだ。それは音楽のように美しい。しかし重要なのは音楽のように奏でられている間は生活を魅了するが、終わった途端に死んでしまう。そしてその余韻が人々の心に残り、その蓄積が生活を「豊か」にするのである。そのような思想のときに、「時間の花」はゲゼルの構想した「老化する貨幣」の隠喩となる。「エイジング・マネー」とも呼ばれるこのアイデアは、逆の利子を作るものだ。すなわち、その貨幣を手元に置いておくと、時間の経過ごとに交換価値を失っていき、使わないでいた貨幣を使うときには劣化分を補てんしないと額面の価値にならない。だから、その貨幣の流通する圏内にいる人は、すぐに貨幣を使おうとし、その結果、不況であってもお金は動き回ることができて不況を脱し、デフレにもならないということになる。
 ゲゼルと老化する貨幣は河邑厚徳エンデの遺言」「エンデの警鐘」(NHK出版)あたりに詳しいので、そちらを参照してください。とはいえ、どうもこのエイジング・マネーは自分には理解できなくて、ゲゼルやエンデのように新しい経済社会を構成するようには思えないのだ。というのも、1920-30年代の不況でその種の実験は行われたものの、国家の貨幣管理と資本主義のグローバル化でつぶれているから。
 エンデのもう一つの構想は、資本主義や利子の付く貨幣による社会の不正や混乱を克服するのが芸術であるという考え。このファンタジーではモモが「時間の花」を理解し、自分の言葉で語り、歌えるようになることが世界の危機を救うというところ。詩と音楽が世界を改変するという構想。観光ガイドのジジが次々と新しいファンタジーを生み出して、人を魅了するように、教育もそのような芸術と結びついて行わるべき。そのときに冒頭の子供たちの海洋冒険のような胸躍る想像力が重要になる。資本主義が人生の目的を「成功」「資産の増加」「名声」あたりに置くのに対し、こちらの考えでは「創造」「協調」「友愛」などが人生の目的になってくる。貨幣や資本の自己増殖力にいかに抵抗するかがこのファンタジーの読者に考えてほしいことになるのだろう。エンデの社会構想は「オリーブの森で語り合う」で概要が書かれているので、参照のこと。1973年に書かれたものだが、主題はずっと心に残っていたのだな。芸術が社会変革や革命の契機にあるというのは、ドイツロマン主義に特有の考え方で、19世紀に生まれた人には良く見つけることのできる考え方。たとえば作曲家リヒャルト・ワーグナーに、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー