1908年以降の短編やエッセイなど。「満漢ところどころ」「ケーベル先生の告別」は青空文庫で補完した。
江藤淳「夏目漱石」を読んだのは40年以上前なのでうろ覚えなのだが、「虞美人草」を連載するにあたって、東大教授の職を辞し、朝日新聞に入社したのではなかったか。以下は職業作家になってから。なので、語り手はほぼ一日中家にいる。
文鳥 1908 ・・・ 鈴木三重吉が勧めるので、文鳥を買うことにした。忙しさにかまけてほったらかしにしたら、数週間で文鳥は死んだ。小学生で読んだときは「悲しい話」、今読むと関係者全員が無責任。ペットに対するネグレクトはいかんです。三重吉に小宮豊隆が実名で登場。「私小説」のはしりか。
夢十夜 1908 ・・・ 「こんな夢を見た」で始まる(ないのもある)文章。個々の夢のサマリーを作ってもしょうがあるまい(ネットのどこかにある)。夢の最中はどういうつながりなのかわからない断片がきて、目覚める直前に事後的にひとつの説明をつける。漱石の記述した夢はそういうもの。起承転結があって、因果が説明される。近代の怪談(怪奇小説)に似ている夢だなあ。小泉八雲の「怪談」同様、合理的な考えの持ち主が書いた。一方、フロイトは夢の不可解さや象徴から、意識していないことを説明しようとした。「夢判断」の初版は1899年。漱石はフロイトを読んだか聞いたかしただろうか。現代になると、夢に説明を拒否し虚構を徹底する。因果や論理のタガが外れて、連想飛躍が重視される。そういうのは筒井康隆がよく書いていた。あと自分は目覚める直前はなにかに追い詰められるか恥をかかされるか恐怖を感じるかで、目覚めはたいてい気分がよくない。「夢十夜」にそういうのはないので、漱石は悪夢をみないのだ、と感心した。
手紙 1908 ・・・ のらくらしている身内の男が結婚をぐずぐずしているので、直談判に出かけた。いるべき場所にいないので、宿をとって転居先に手紙をだす(郵便ではなくて誰かに頼んだのだろう)。金がたまったらきっと結婚する、おれは放蕩などしていないと弁解する。夜、男あての艶書を見つけた。こんないいかげんな男に嫁は出せん、破談だと決める・・・。21世紀には他人の縁談に家族といえど介入するのは自由の侵害なのであるが、それは近代化途中の日本ではあったことなのだ、とため息をつく。冒頭にモーパッサンとプレヴォーの小説の話が出てくる。読者の啓蒙も兼ねていたのか、西洋の小説の方法を模したのか。
変な音 1908 ・・・ 入院中、毎朝同じ時刻に何か擦っているいる音がとなりから聞こえる。気になるが尋ねるほどのことでもない。三か月後、その時隣室に入院していた患者の係累がいた。向こうも「自分」が毎朝習慣でやっている音を気にしていた。日本の入院病棟小説の嚆矢(大げさか。夢野久作、堀辰雄、福永武彦、埴谷雄高、椎名麟三、遠藤周作、北杜夫、大江健三郎などの作がある)。
永日小品 1909 ・・・ 2000字ほどの小品の連作。たぶん新聞の連載。身辺雑記(泥棒がはいった、猫が死んだ)から倫敦留学の思い出(クレイグ先生)、友人(満鉄中村是公ぜこう総裁)や門下生たち(高浜虚子など)のこと。ときに小説も。諸種雑多な短文が集まっている。これらから見えてくるいくつかのことなど。ライフラインが不十分なので、家事は人手が必要。そのために家にはたくさんの人が同居している。妻に子供、下女。それに出入りの職人たち。ラジオと蓄音機はないのでうるさくはないが(漱石は電話を入れたが受電は嫌い)、人の歓声は良く聞こえただろう。でも漱石は家人であっても冷淡であまり関心を向けない。ここに出てくるのは自分と名前を知っている第三者だけ。親しい打ち明け話をしたり嘘を共有したりする<あなた・汝>にあたる二人称の人がいない。まことに寂しい人間関係。この冷淡さは自分を描写するときにも徹底されていて、自分の挙動を書くのも第三者のよう。言い訳も心情の推移も書かない。さらには、日本にも関心を持たない。時事を書かないのはもちろん、町内のうわさ話、流行りものなどもでてこない。これだけ物事を突き放すことができる人はめったにいない(でも、こういう行動性向は自分も持っているので、漱石のありようはよくわかる。とはいえ互いに友達にはなりそうにないが)。後半は小説じみてくる。とはいえ、この短さでは起承転結をつけたり、落ちをつけたりすることはできず(そういう技術は40年後のショートショートの誕生を待たねばならない)、因果がつかないまま、何かが起こることを予感させるが明かさないままぷつんと終わる。そういうのはすでに「夢十夜」に書いているが、ここではよりさえた手法になっている。極力説明を省いて、形容詞をなくし、固有名だけをかく。ハードボイルドや怪談の手法ともいえるか。読後に不安な気分を残すのは都筑道夫の「ふしぎ小説」を思い出した。
満韓ところどころ 1909 ・・・ 問題作。大学の同級生・中村是公が満鉄総裁になったので、招待された。大連、旅順、奉天、撫順などを明治42(1909)年9月2日から10月14日の間に旅行。漱石は胃痛がひどくて食欲がなく、水や食事の違いに不平をこぼす。自閉的で厭人癖のある漱石には一人旅は苦痛であっただろう(そこはチームで旅行した開高健と大きく違う)。さて、この随筆は単体で読んではダメ。日露戦争後、満州の一部を割譲され、朝鮮を実効支配していることを知る必要がある。参考になるのは、下記など。
2017/05/25 海野福寿「韓国併合」(岩波新書) 1995年
高崎宗司「植民地朝鮮の日本」(岩波新書)
漱石が1908年にみた韓国と満州は日本が植民地にしてしばらくたったころのこと。アーレントは「全体主義の起源」で帝国主義の統治方法(官僚制とレイシズム)は植民地で作られ、それが本国の政治に影響を与えていったといっている。これが日本でも同様だったのが漱石の目に映る光景でよくわかる。日本のモッブと官僚が植民地に行き、現地の人たちを差別することを覚える。彼らの人権を尊重しないし、配慮を全く行わず、暴力を日常的に振るう。それは1908年の満州と朝鮮で完成している。この統治システムで培われたレイシズムがモッブと官僚のあたりまえになり、帰国して他に人にも伝搬していって、民族差別の意識と感情が日本に定着していったのだろう。漱石の眼には、満州や朝鮮の人々が「汚い」「見苦しい」と映るのであるが、当然のことながらそうさせたのは日本の植民地経営。強制された労働を低賃金でやらされる側が、意欲を持って働くわけがない。
下記にあるように漱石は植民地の被支配者を差別・侮蔑するのである。一応時代の制約ということにしておこう。ヒュームその他のイギリス哲学を勉強した割にこの程度の意識になるのかと残念(「倫敦消息」他の短文を読むと、イギリスで不愉快な目にあっているのに)。日本のナショナリズムが、西洋の帝国主義国に対する被害感情を持つのと同時に、アジア諸国や植民地に対しては帝国主義的支配を行うという二重性があることが確認できる。このあと1920年代の「大正デモクラシー」は「うちには民本主義、そとには帝国主義」の政策であり、インテリの意識だったのだが、今世紀の始まりからそうだったのがわかる。
<参考ページ>
明治42年11月5・6日の満州日日新聞に掲載された『韓満所感』という文の中にあります。この『韓満所感』は、全集にも掲載されていません。『満韓ところどころ』であまり触れられなかった伊藤博文暗殺のことと、満韓旅行の印象を中心に書いています。その中に「余は幸にして日本人に生れたという自覚を得たことである。内地に跼蹐(きょくせき)している間は、日本人ほど憐れな国民は世界中にたんとあるまいという考に始終圧迫されてならなかったが、満洲から朝鮮へ渡って、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となっている状態を目撃して、日本人も甚だ頼母(たのも)しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた」という文章に続いて「余は支那人や朝鮮人に生れなくって、まあ善かったと思った。彼等を眼前に置いて勝者の意気込をもってことに当るわが同胞は、真に運命の寵児(ちょうじ)といわねばならぬ」とあります。
https://plaza.rakuten.co.jp/akiradoinaka/diary/201910120000/
本書にでてくる語り手は、漱石自身。その「私」「余」「自分」が身辺のことを書くが、のちの私小説のようなできごとをありのままという書き方ではない、と感じ、妄想する。フィクショナルな想像力が働いていると思う。おそらくは自身に対する冷淡さやそっけなさ、自愛のなさなどに由来しているのだろうが、どうしてそうなるのかはよくわからない。
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2022/02/01 夏目漱石「文鳥・夢十夜」(新潮文庫)-2 1908年に続く