odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

井上浩一「生き残った帝国ビザンチン」(講談社現代新書)

 ヨーロッパ史を読むと、西ローマ帝国の滅亡からあと十字軍まではあまり関心を持てない時代。古代帝国が消えた後に、部族社会に後戻りした感があるから。一方、コンスタンティノープルに遷都した東ローマ帝国はというと、ほとんど記述されないで15世紀初頭の滅亡を知ることになる。そこで、教科書の記述では東ローマ帝国とされるビザンチン帝国1000年の歴史をみる。

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 タイトル「生き残った帝国」というのは、古代帝国が最初の千年紀で壊滅したのに、唯一ビザンチン帝国だけが古代帝国であるローマ帝国の遺風を残して存続したところからついた。中坊的な視点ではローマからコンスタンティノープルに遷都するのは都落ちみたいに思えたのだが、同時代でみると故あること。すなわち3-4世紀になるとローマの生産性は落ち、商業的な中心地ではなくなっていた。すでに皇帝の権力は支配地に行き届かず、税収も落ちる一方であった。そのとき、コンスタンティノープルペルシャやスラブの交易の拠点であり、小麦生産の中心であるエジプトから近く、はるかに首都にふさわしかった。そして以後、ギリシャ語とラテン語を使用する政治権力が機能する。特徴は、皇帝の専制支配(それを維持する官僚制と教育制度)、キリスト教の国教化(ヨーロッパより早く農民や上流層が受け入れ)。ローマの制度を維持する建前であるが、実際は変革の繰り返しがあった。皇帝支配からゆるやかに地方貴族に権力が移譲される、ローマ法よりも人権が拡充された、など。なので、社会経済の変化が速くなった西暦以降で1000年の歴史を持つことができた(ペルシャ、インド、中国の帝国でそこまで長続きしたものはない。日本は建前は長続きしているが政権はころころ変わっているので、同一視できない)。
 何度か存亡の危機にもあったが、持ちこたえ、時に広い版図を持つこともあった(とはいえ、帝国自体の実力のみならず周辺国家の存亡を重ねて考えないといけない)。地理的なところから、バルカン半島ブルガリア、スラブ、ペルシャとの交易や交通が中心だった。ヨーロッパとは没交渉にちかい(ヨーロッパから輸入するようなものがないので)。それがヨーロッパとかかわりを持つのは十字軍から。ビザンチン帝国からすると、ありがた迷惑であったし(遠征の支援などの負担増、十字軍による暴行略奪など)、イスラム国家との関係をおかしくするものであったし、なにより4次十字軍ではコンスタンティノープルそのものが攻撃対象になるなど悪影響のほうが大きい。そのうえ海上交易はイタリア商人の手に渡るなどして、じり貧になっていく。俺の興味では、12-13世紀にビザンチン帝国で文化芸術のルネサンスが起きていることに注目。ここでの絵画表現の革新がイタリア・ルネサンスに影響したという。イスラム文書のラテン語ギリシャ語翻訳が進められ、伝搬したヨーロッパの近代化や科学の誕生に多大な影響をおよぼした。
(これまでの科学史の関心では、ヨーロッパにアリストテレスプラトンの本が伝わったという見方をしていたけど、そうではなくてビザンチン帝国で先行して研究されていたのだった。)
鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)
村上陽一郎「科学史の逆遠近法」(講談社学術文庫)
堀田善衛「路上の人」(新潮文庫
ウンベルト・エーコ「薔薇の名前 上下」(東京創元社)
 以上のサマリーはあまりにヨーロッパ中心的な見方で、これではギリシャ・ローマの伝統文化をヨーロッパ
に伝達する中継者という役割に限定している。それはよろしくないわけで、皇帝や部下個々人がやったことや、経済改革などの独自性にも注目するべきだろう。それはまた別の本などで。

 キリスト教の説明が興味深買ったのでメモ。
 古代地中海・オリエント地方では、オリエントの神(全知全能の超越神)とギリシャの神(不死以外は人間と変わらない)の二つのタイプがあった。ギリシャの神は帝国や国家の不幸に力をかさないので、別の神を受け入れる余地があった。がオリエントの神はあまりにも異質。キリスト教は、二つのタイプの神を折衷できる特徴があった。オリエントの全知全能の超越神を引き継ぎ、同時に「受肉」という「奇蹟」によって人間に近づきうる神の特徴をもった。ローマ・カソリックは神性と人性を「混ざらず、変わらず、分かれず、離れず」存在するという言い方で矛盾を統合する(統合するのがキリストの復活という奇蹟)。そこでは聖像崇拝は認められない。イコン崇拝派はキリストの人間を重視し、聖像を通じて神を崇拝するとした。ギリシャ正教ギリシャの神のタイプに傾斜している。
 このギリシャ正教がスラブに伝わって、ロシア正教として定着。で、長年の時を経て、ドストエフスキーの小説の背景になる。キリスト教カソリックとみてしまうと、ドストエフスキーの小説がみえなくなるので、この指摘は参考になった。
東方教会とヨーロッパには意外なかかわりがあった。)
田中仁彦「ケルト神話と中世騎士物語」(中公新書)