odd_hatchの読書ノート

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増田四郎「ヨーロッパとは何か」(岩波新書)-2 極少数のゲルマン民族にローマ民は進んで同化する。ゲルマン民族は強制的な単一国家を求めるより、下から自発的な集団から国家を作る

2022/04/11 増田四郎「ヨーロッパとは何か」(岩波新書)-1 1967年の続き

 

 これまでの章では古代の終焉をそれまでの支配者であったローマの側から見てきた。以降は、新しい支配層になったゲルマン民族の側からみる。当時のゲルマン民族は無文字だったので、資料はローマ人の記録を使うことになる。7-8世紀以降はゲルマン人によるラテン語の記録が残るようになる。
(本書では触れられていないが、イギリスにわたった東方教会ケルト神話をテキスト化していた。)
田中仁彦「ケルト神話と中世騎士物語」(中公新書)

V 文化の断絶か連続か ・・・ 古代(ローマ帝国)の「滅亡」の理由は、1.家政論であって(国家)経済学がない、経済政策がない、2.奴隷制の生産性の低さ、3.人口密度の低さ(同時代の東洋やビザンツと比較)による技術発展や市場がなかったこと、4.奴隷源の枯渇(小作農へ。社会基盤の喪失)。ゲルマン民族は長い接触の歴史があり、「侵入」はローマの法や慣習に則った土地の分与として行われた。
(というわけで、断絶か連続かという二分法は問いの立て方が誤っている。衰退し混乱したローマの社会にゲルマン民族が入り、低生産性・低人口密度・物品経済(貨幣経済の停滞)・小中規模の部族国家が数百年続いたという視点が必要なようだ。くわえてローマの精神が西ヨーロッパの精神に変貌する過程に注目するのが大事。)

VI 転換期の人間像 ・・・ ここでいう転換期は3、4世紀から6世紀にかけて。ゲルマン民族の侵入から西ローマ帝国の崩壊まで。ゲルマン民族の侵入といっても、ローマの属州民100人にたいしてゲルマン人2,3人。ローマの帝国の枠組みが危機にあったし、ローマの貴族に愛国心愛郷心のようなレジストの意思はないに等しかったので、行き末はゲルマン国家に仕官する(これによって古典古代の思想や制度などが保持される)、豪族になる、修道院に引きこもるなどがみられた。キリスト教の浸透はこの期間を通じて「西ヨーロッパ」で行われる。ヨーロッパの古典古代(ギリシャ、ローマ)とキリスト教ゲルマン民族の精神の融合はこの時期に行われる。
(V章VI章のローマ帝国の滅亡は21世紀10年代の日本にとてもよく当てはまっていて戦慄する。生産性の低下、人口密度と生産人口の減少、国家の経済施策の欠如、イノベーションの欠如など。この先、日本はローマ帝国と同じように資産を売り飛ばして、滅んでいくのだろう。それもローマ帝国の百倍の速さで。何とも恐ろしい。)

VII ヨーロッパの形成 ・・・ ゲルマン民族統一国家<帝国>を作らず、部族国家を作り協調と戦争を繰り返す。以後ヨーロッパでは、各地域の特性を発揮する力とまとめる力の緊張関係があった。これに教会権力との緊張関係もあって、現在までついに統一国家はできなかった(というのは1967年当時の考え)。それでもガリア(現フランス)のフランク王国が大きくなった。ローマ人はカソリックで、ゲルマン民族アリウス派を信仰したが、フランク王国カソリックだったので、国内の融合に支障がなかった(さらにイングラドは別系統と宗教がモザイク状になっていた。という具合に宗教対立がすでに転換期にあった)。ローマ人は個別主義的農業経営(せいぜい一家族)だったが、ゲルマン人は初期から共同耕作をしていて、転換期には三圃農業の先駆例がみられる。それが12-3世紀までに西ヨーロッパ全体に拡大し、人口増につながる。増えた人口を吸収したのは都市と移住。ローマは権限の異なる役人を派遣して統治。ゲルマンではそのような人材が不足していたので豪族や貴族に全面的に管理を移管。そこで人の結合による主従関係(双務的で個人間なのが東アジアと異なる)に基づく人的結合国家ができた。たとえばフランク王国。でも地域差が大きく、統一国家には至らない。主従関係は農地にまで及んでいたので、領地はあいまいで、住む村人のまとまりもない。それが豪族貴族の土地所有から、治安・警察・司法・軍事までの領域支配に代わり、封建制に至る。そこに至って農村共同体のまとまりができる。同じことは工業商業の都市民も同じ。団体の結束をするという点で、農民・市民・騎士の同じ時期に生まれ、エートスはいっしょ。これらは領域支配国家への抵抗の主体になった。
(イギリスはこのような動きからは遅れたところ。封建性が入ったのは11世紀にノルマンに征服されたとき。なので、イギリスは集権的な性格を持っていたがそれは征服国家であったため。それが数百年後には、西ヨーロッパ全域に先駆けて君主制から民主制になる。遅れていることが次の世代では早いことになるという事例。)

VIII ヨーロッパ社会の特色 ・・・ 世俗権力と教会権力の分離、キリスト教化、言語の多様性、ネーションとランドの不一致などいろいろ。ここではどの階層や地域でも団体的合理性があって、抵抗の主体になったことが重要(それが資本主義の形成・発達、自由主義・民主主義の成立に影響)。ただし団体的道理性は社会的なモビリティ(流動性)の低さの理由でもある。

<参考> 中世以降の「ヨーロッパ」の歴史
2014/03/10 クシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」(平凡社ライブラリ)-2
2014/03/11 クシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」(平凡社ライブラリ)-3

2019/07/12 庄司克宏「欧州連合」(岩波新書)-1 2007年
2019/07/11 庄司克宏「欧州連合」(岩波新書)-2 2007年

 

 ヨーロッパは地中海地帯、西ヨーロッパ、東ヨーロッパに分けられるが、本書では西ヨーロッパの記述が圧倒的に多い。西ヨーロッパこそがヨーロッパらしさを集約している(かつ世界史への影響が大きい)のであって、そこに注目せざるを得ない。とくに東ヨーロッパがほとんど登場しないのは、この地域が世界史に登場するのが13世紀ころからであることと、執筆当時(1967年)東ヨーロッパが西側資本主義社会と絶縁して孤立する政策をとっていたことにあるだろう。ことにスラブでは古典古代(ギリシャ、ローマ)とキリスト教ゲルマン民族の精神を共有しているとはいいがたい事情もあっただろう。
 これまでは河出文庫版「世界の歴史」の通読でヨーロッパ史を見てきたので、古代から中世への転換期の情報をあまり持っていなかった。本書である程度のアウトラインを得られる。それでも知識人の役割(修道院の機能込み)、経済体制などで漏らしているところがあるので、いずれ補完したいところ。ことにローマの没落から滅亡は現在21世紀の10年代の日本の没落を見ているようで、危機感と恐怖でいっぱいになる。
 これまで日本はヨーロッパを規範にしてきて、技術や思想などを勉強して模倣してきた。一度、のぼせて全世界を相手に日本の優位を示そうとしたら大失敗し、周辺に大損害を与えた。復興においてやはり西洋の近代化がモデルになる。一応経済発展が起きた時に、モデルにする西洋近代をきちんと理解しているかと振り返ると、団体的合理性をもっていなくて、圧政の抵抗の主体になれず、引きこもりの反省不足はレイシズム、排外主義を起こす。そこで、ヨーロッパとは何かを考え直そうとすると、この小冊子では足りないほどの歴史の厚みと地域の広がりがある。問いに答えることは容易ではないが、このような歴史の教科書では足りない知識を増やし、一貫性と多様性があることを知っていく。そうするとますますわけがわからなくなるが、それでもな知ろうとする。そういうのが交通@マルクスなのではないかな。

 

 

 

 「生き残った」東ローマ帝国とその後継帝国の歴史

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