odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

堀田善衛「ゴヤ 1」(朝日学芸文庫)-1

 堀田善衛は絵を見る人。本作の前に、古今東西の絵を見た感想を描いている。
堀田善衛「美しきもの見し人は」(新潮文庫)-1
堀田善衛「美しきもの見し人は」(新潮文庫)-2
 ただ、この評論集にはゴヤがはいっていない。
 作家は多読であり、対象になった事件・事物・事件に関するたくさんの本を読んでしまう。さらに関心が向けば、そこに出向き現物や現場を見に行く。ゴヤを書くにあたって、作家は世界中のゴヤの絵を見て回る。ときにスペイン貴族の個人所有となると、さまざまなつてを使って、なんとか家の門を開けようとする(その苦闘ぶりはのちの巻で詳述されるだろう)。
 さらに作家は対象を起点に、歴史と現在を深く遠くまで見る眼をもっている。作家の眼からは、動乱と歴史の転換が現に進行しているかのように見えるだろう。読者であるわれわれは作家の案内で、スペインという辺境からヨーロッパの近代(および諸矛盾と問題)を見ることになる。
<重要>作品にはさまざまな絵や彫刻、建築物が登場する。ネットで検索するとすぐに画像を見つけることができる。作家といっしょに芸術を見ながら読むことを強く推奨。

スペイン・光と影 ・・・ 「スペインは、語るに難い国である(P9)」。暑くて寒く、明るくてパッショネイト(暗い受身の意味合いが強い)、ローマとアラブの文化、世界帝国を作るヨーロッパの辺境で、方々からやってきて多民族混交(ユダヤ人とロマその他多数)、キリスト教イスラム教の共存(「メッカをのぞむ水平方向の信仰と天を仰ぐ垂直信仰」)、スペイン語の語彙の10%がアラビア語起源。不毛の土地、飢えた人々。

「スペインとは何か。スペイン語カトリック教の城壁をめぐらした「城」である・・・」「一国民が、わずか三世紀の間に人口が半分になるまでに外へ出て行ってしまい、もともとごろた石だらけの荒廃した土地は、神の栄光によってよりいっそう荒廃し、しかもなお冷たい金銀財宝だけを抱えていたという、こういう異様な民族がほかにいたものであろうか。」

ゴヤを語るためには、ヨーロッパ全域と植民地の歴史を知らなければならなくなる。そしてゴヤの危機の時代はしばしばスペイン市民戦争の記憶に重ねられる。)

フエンデトードス村 ・・・ 「一七四六年三月三○日、(フランシスコ・デ・)ゴヤは(サラゴサから40㎞程離れた)当地フエンデトードス村で生れた」。長じて絵師修行を始める。ゴヤは天才の片りんも見せていないので、その間にスペインの17-18世紀の芸術史を語る。これが通常の芸術評論とは一線を画す面白さ。
(18世紀スペインは中世の遺風をのこしていた。異端審問所があり、裸体画は御法度。画家という芸術家はいない。絵師という雇人。ヨーロッパは自由に行き来のできるカソリック共同体のようなもので、国境意識はない。これらはのちのゴヤに関係する。あと肖像画は見合い写真の役割があった。絵師は旅芸人であり、高所労働者でもあった。スペイン王家の要求する美術品のために各地から絵師が集まる。ベラスケス、エル・グレコら。そのためにスペイン人の絵師は冷遇され、払底する。これは音楽でも同じで、16世紀のバロックの時代のあとろくな作曲家が出てこなくて、復興するのは19世紀末から20世紀初頭にかけて。)

マドリード ・・・ ブルボン家、ハプスブルグ家などの王様斡旋業一族について。外からやってくる王様の近代化に抵抗する庶民。1767年の暴動とイエズス会士追放。スペイン宮廷や教会などのフランス趣味から新古典主義へ。堀田善衛による簡易で雄弁な説明にほとほと感心。

新古典主義とは、字義通りに、古典を模す、あるいは絵画以前に古典を持つものである。砕いて言えば、絵のなかに、人々の会話の主題となりうべき物語をもっている。/すなわち、その絵の前に立った人々には、必ずやその絵の主題をめぐっての会話が、まず可能になる。絵そのものの価値についてではなくて、絵のなかの話についての話が可能である。ということは絵のなかにことばが持ち込まれたということである。(P179)」

(たぶん、この変化はJ.S.バッハからハイドンモーツァルトへの入れ替わりに対応していると思う。)

ローマへ ・・・ 20代のゴヤの消息はよくわからない。「コンクールに二度も落選したり、あるいは女出入りや刃傷沙汰、闘牛の興行をうってあるく」。そして1769年23歳、ローマにいく。世界最大の都市で、さまざまな人々がさまざまな言葉でしゃべる。ローマもまたフランス趣味。コンクールに落選。25歳になる。

 

 堀田善衛はいう。

「美術とは何か。美術とは見ることに尽きる。そのはじめもおわりも、見ることだけである。それだけしかない。/見るとは、しかし、いったい何を意味するか。見ているうちに、われわれのなかで何かが、すなわち精神が作業を開始して、われわれ自身に告げてくれるものを知ること、それが見るということの全部である。すなわち、われわれが見る対象によって、判断され、批評され、裁かれているのは、われわれ自身にほかならない。従って時には見ることに耐えるという、一種異様な苦痛をしのばねばならぬことも、事実として、あるであろう(P255)」。

 教養主義のなかにある徳の実践、あるいは自己修養というのは、こういうもの。見ること(と語ること)に覚悟というか相応の決意とでもいうか、すでにいない人との思想的な対決が必須である。刺し違えもありうる、どうなるかわからない自己変容を受け入れる。そういう徳や善の実践という趣き。うーんとうなって絶句するしかないような言葉だ。
(凡百の教養主義の書き手は、ここまでいうことはあるまい。)
 この実践が本書の随所に出てくる。とくに肖像画や人物デッサンを見たとき。描かれた人の顔から眼から手から服装、ポーズ、小物、背景までを子細にみて、その人となりを推測する。堀田の筆にかかると、まさにそのようにみるしかない、そしてゴヤはその通りのことを見通していたのだと感嘆することになる。文章による絵画描写。

 

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2022/09/08 堀田善衛「ゴヤ 1」(朝日学芸文庫)-2 1973年に続く