odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

青澤隆明「現代のピアニスト30」(ちくま新書) 重要な問題が提起されても素通りされ、深められない。

 そういえば最近(俺にとっては1990年以降だ)のピアニストを知らない。でもFMのエアチェックはたまってきて、(自分より)若い演奏家の名前を見ることは多い。でも若い演奏家のことはあまりよく知らない。そこで、2013年にでた本書を見ることにする。
 そういう「現在の」ピアニストを書いたものに、吉田秀和「世界のピアニスト」(新潮文庫)1976年がある。それから半世紀ほどたった本書をみると、吉田の本では若僧として紹介されたポリーニアルゲリッチバレンボイムペライア、ピーター・ゼルキンらがのきなみ大家になっていた。吉田の本で重要なピアニストとして紹介されて本書に登場したのはホロヴィッツだけ。なるほど約半世紀の月日はそういうものか、と感慨にふけらせる。


 もう一つ異なるのは、本書では2010年前後に来日公演を行い、著者がインタビューを行ったピアニストが取り上げられている。吉田の時代には来日するピアニストはずっと少なく、ほとんどの場合はレコードやラジオを通じてしか演奏を聞けなかった。それがほとんどのピアニストの実演を聞ける。それもわずかな年をおいて複数回も。聴取体験が圧倒的に増えたのが21世紀の評論家のありかただ。
 では読んで納得したかというとそうではない。文章からちっとも音楽が聞こえてこないし、ピアニストの人となりも浮かんでこない。30人のピアニストの短評が並ぶが、最初に「〇〇というピアニストはこういう人(あるいは演奏)だ」というテーゼがでる。このテーゼは著者の感じたことであるのだろうが、それが当を得ているのかどうか、具体的な演奏に即して説明されているかというと心もとない。おそらく著者はピアノの演奏から演奏者の思想や志向が現れてくると考えているようで、人生や自我、真情、魂などがそこから見出せるという。俺はこういうウルトラ・ロマンティックな解釈には賛同できない。エドワルド・ハンスリックやロベルト・シューマンが書いたらこうなるのではないかという印象批評だった。

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 ときに重要な問題が提起されても素通りされ、深められない。内田光子の項で日本人が西洋音楽を演奏する・勉強する意味を問いかける。問いかけただけで終わり。ページをめくると、トルコ人ファジル・サイは東西の文化の架け橋になっていると背景もなしに説明される。中国人のユジャ・ワンの項ではアジア人が西洋の音楽をやる意味の問いかけもない。著者が深く考えて書いた問いかけではないのだろうな。
 というわけで、ひさびさの「壁に投げつけたい」本でした。コラムに登場した人をあわせて約100人のピアニストの生年がわかることだけが有益な情報だった。やれやれ。