odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

中川右介「カラヤン帝国興亡史」(幻冬舎新書) カラヤンは強いナルシストで、自分の権力を家や家族に残さなかったニヒリスト。

 先にでている中川右介カラヤンフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)の続きとみなせるが、著者によると独立して読めるという。

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 本書ではヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏や録音について一切批評しない。その種の論評はたくさんあるので、そこにさらに追加することもない。それよりも音楽批評ではまず触れられない「権力志向」という行動性向をクローズアップするほうが彼の音楽を知る手掛かりになるという判断をしたという。

 ヘルベルト・フォン・カラヤンクラシック音楽界の「帝王」になった。帝王というからには領土があるはずで、本書ではベルリンとウィーン、ザルツブルグが直轄地であり、ロンドンとミラノが重要拠点であり、日本が植民地だったとされる(ロンドンやミラノが拠点であるというのはカラヤンがポストを持ったオケやオペラハウスがあったからで、日本が植民地というのは、来日公演やそのテレビ放送、ときにはテレビの映し方まで、カラヤンとその財団の意向を忠実にまもり高額なチケット代や放映権料を支払ったところに由来。石井宏「帝王から音楽マフィアまで」(学研M文庫)が参考になる)。
 「帝国」といっても実際に土地を領有していたのではなく、オーケストラとオペラハウスで絶対的な権限を持っていたという意味。アメリカでは人気がでず、ソ連は魅力的だったが領有することは論外。そこに加えると、ドイツ・グラムフォン、EMI、デッカというメジャー・レコード会社やベルリン市という自治体も拠点であった。彼はこれらの場所で大きな権力を持ち、関係する人や組織を屈服させ続けた。しかし彼が老いた時、彼の「帝国」は離反した。亡くなったときには、彼が獲得した肩書は無効になり、孤独になった(詳しく言うと、日本のメーカーと聴衆は忠誠を誓っていたので、カラヤンは「リア王」のようにはならなかった)。
 彼はなぜ権力を得ようとしたのか。以上の経歴をみてもわからない。本書を離れて想像力を働かせてみる。
 著者はカラヤンワーグナーと同じ「理想主義ではない芸術家」であったという。彼は19世紀後半のドイツロマン主義の芸術観を持っていない。ドイツ民族の統一に芸術が寄与するとか、芸術と理念をつなぐ精神が重要ということなどに理念を持っていない。その点でフルトヴェングラートーマス・マンアドルノらの先輩のロマン主義者とは考えが切れている。前の世代のような民族へのこだわりもない。最も多くの時間を費やしたベルリンフィルで、ドイツ国外の奏者を採用することを止めなかった。芸術は自己実現の機会であり先人への敬意を表明することではあっても、個人を超える価値をもった存在・概念ではなかった。音楽芸術を完璧に再現することには執着したが、それ以外の意味や価値を持ち込んだり見出そうとすることはなかった。
(たぶんそれはカール・ベームオイゲン・ヨッフム、ヨーゼフ・カイルベルトルドルフ・ケンペ、フランツ・コンヴィチュニーなどの同世代や少し上の世代も共有していると思う。共通点はWW1を若い時に体験したことだろう。彼らはドイツロマン主義がよって立つドイツ帝国が簡単に崩れるのを目撃した。)
<参考>

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 カラヤンが領土を拡大するとき、権力を取ろうとするとき、交渉で強気に出られたのは自分に人気があるということだった。演奏会のチケットは高価な値付けをしても必ず完売し、レコードは破格の売り上げになる。自分を外してしまうとこの人気と売り上げを失うぞと最後にいうことができる。聴衆や消費者の絶大な後ろ盾をもっていたポピュリストであった。著者によると、カラヤンが独裁ないし「帝王」のモデルにしたのはヒトラーという。弱みを見せず常に相手より上の立場に立って交渉するのはヒトラーの模倣だとか。その方法は本書を参照するとして、カラヤンヒトラーの類似は宣伝を使って自分のイメージを高め、それを背景に目の前にある組織や個人を圧倒し、自分の思いのままに利用した。「カラヤン」をブランドにしたのだ。
ヒトラーカラヤンの類似は技術好きであること。19世紀のロマン主義者は総じて技術を嫌う。)
 カラヤンにとって、音楽は「自分のブランド化」だけが目的であり手段だった、と読んだ。その点でカラヤンは強いナルシスト。一方で、自分の権力を家や家族に残さなかったニヒリスト。アドルノのいうように20世紀に文化産業が芸術を取り込み、全体主義の先兵の役割を果たしたり、ポピュリズムに加担したりしたのだが、クラシック音楽界ではその象徴になるのがカラヤンその人だった。彼より前にも後にも、同じだけの権力を持った人物はいない。
 
 カラヤンの芸術は語らないといいながらも、カラヤンの「商品」を語るとき、芸術には触れざるを得ない。

カラヤンのレコードは「完璧」が売り物だった。めったに彼の演奏をコンサートで聞くことのできない日本人は、とくにそれを信じた。(略)だが「完璧」を信じられたレコードは、カラヤンにとってはあくまでもリハーサルの副産物でしかなかったのである。(略)あの「完璧」なレコードは、それでも八十パーセント程度のものでしかなかったのだ(P269)」

 「副産物」というのは、たとえばオペラのリハーサルで全曲を録音したら、舞台練習の際に録音を流して効率化するというところにみられる。かつてこの国では、コンサートもオペラも実物をみることもできず、録画を取ることもなかった(カラヤンは例外的にオペラ映画を製作したが、黒字事業になるのはカラヤンの死後)。なのでレコードだけを聞くしかない。
 しかし、21世紀のネットにはかつてラジオ放送された本番の演奏がアップされる。リハーサルで磨き上げた演奏を本番でさらに緊張と高揚感を持たせた無比な演奏を聴くことができるのだ。
 たとえば、以下のオペラのライブ演奏をネットで聞けた。これらの本番前に収録した「リハーサル」のレコードはどれも高い評価を受けている。聞いて驚いたのは、レコードと同じ「完璧」がライブで実現していたこと。スタジオ録音にはマジックがかけられ、実演不可能なことが起きるのであるが(ことにPopsで)、カラヤンは録音のマジックを実演で再現した。そこに感情的な揺さぶりや演奏家の高揚感が加わって、稀有な出来事が起きる。それが拙い録音からでも聞けるという奇跡。
 4月の演奏はイースター音楽祭。7~8月の演奏はザルツブルグ音楽祭。
ワーグナー 楽劇「神々の黄昏」 カラヤンBPO 1970
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」 カラヤンBPO 1973.4.17
ワーグナー 楽劇「マイスタージンガー」 カラヤンBPO 1974.4.7
ワーグナー 楽劇「マイスタージンガー」 カラヤンBPO 1975.3.3
プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」 カラヤンBPO 1975.3.22
ワーグナー 歌劇「ローエングリーン」 カラヤンBPO 1976.4.10
リヒャルト・シュトラウス 歌劇「サロメ」 カラヤンVPO 1978.8.16
ヴェルディ 歌劇「アイーダ」 カラヤンVPO 1979.7.26
ワーグナー 楽劇「パルジファル」 カラヤンBPO 1980.4.11
ヴェルディ 歌劇「アイーダ」 カラヤンVPO 1980.7.30
ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」 カラヤンBPO 1982.4.3
ワーグナー 歌劇「ローエングリーン」 カラヤンBPO 1984ザルツブルグライブ
 これらを聴いて確信したのは、カラヤンの「真価」は、劇場やコンサートホールに一度だけ現れすぐに消えた「本番」にあったのだということ。それをカラヤンは記録に残さなかったのはなんという皮肉だろう(自分が聞けた音源は今は見つからなくなった)。