odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

高橋和巳「捨子物語」(新潮文庫) 自意識過剰な子供が何もしない言い訳と他人の悪口を延々と描き続ける。

 高橋和巳は1931年生まれ-1971年没。享年39歳。60年代から70年代半ばころまでの政治の季節にはよく読まれた。俺も一時期集中的に読んだことがある。でもしばらく忘れていたので、読み直すことにした。前に読んだときは年上の作家だったが、今回の再読でははるかに若い作家になっていた。俺が年を取って変わってしまったので、息子か孫の小説を読んでいるかのような気分になった。

 「捨子物語」の発表は1968年だが、書かれたのはもっと前。解説の秋山俊によると、

「この『捨子物語』は、高橋和巳の処女作である。作家がみずから「処女作」だと宣言している。冒頭が、昭和二十七年に小松左京らとの同人誌に発表され、昭和二十八年、作者が「二十二歳の時には出来ていたわけである」という。五年後の昭和三十三年に、友人達の援助によって、少部数を自費出版したものである。」

とのこと。22歳でこの重厚な文体で憂鬱な小説を書いていたんだ。それはすごい。


 でも内容は、うーんとうなってしまう。語り手「私」(昭和5年1930年生まれとおぼしい)の幼少期から「恥多い幼年期との、それが完全な訣別」を認識するまで。だいたい6~7歳から15歳までを描いた。
 河出文芸読本「高橋和巳」(河出書房)の高橋たか子のエッセイをみると、和巳はひとりでいつまでもいつまでも妄想し続けるという。編集者がブレーキをかけないといけない。でもこの最初の長編は他人の編集がはいっていないから、妄想はどこまでも展開していき、似たようなことを何度も繰り返すことになる。その執拗さは通常の読書の根気では追いつかないので、ときにおざなりな読書になってしまう。
 自分が捨て子であると妄想している男の子。得体のしれない祈祷師に幸せにならないだろうといわれ、そのとおりになると予感している。なのでこの内向的でこだわりの大きい男の子は、自分が不幸になるように行動する。頭が良いから人に持ち上げあれそうなのに、他人の好意を拒否し、時に他人を傷つけることを平気で言う(ある種の発達障害児童にありがち)。このような狷介な性格の子供が、父不在(役人かなにかで出張ばかり)の家で他の女たち(病弱な母、勝気で母を嫌う姉、病弱で意志薄弱な妹)といさかいあう。父の強いミソジニーは語り手「私」に引き継がれているようで、彼は女たちを邪見に扱うも、逆襲されたときには沈黙してしまう。皇国の国民学校生はそういうものでしょ。小説が始まってから7割までは「私」が小学生のとき。母や姉とのいさかい、級友たちとのすれ違い、路上のおっさんおばさんたちのからかいなどが形を変えて何度も登場。その都度、「私」は詳細な心理分析(たいていはなぜ自分は行動しなかったか、他人を嫌うのかという言い訳)がはさまる。その話の進まなさ、似たような話の繰り返しにカフカ「城」を思い出したよ。また仮面をかぶっているインテリの「私」はトーマス・マン「詐欺師フェリークス・クルルの告白」サルトル「一指導者の幼年時代」三島由紀夫「仮面の告白」などを思い出しましたよ。自意識過剰な子供が何もしない言い訳と他人の悪口を延々と描き続けているところがにている。
 話が動き出すのは、太平洋戦争が始まってから。父は満州にいき、姉は失踪、母と妹は神経症の発作を繰り返し発症。家の中はがたがた。そして大阪空襲。妹を背負って逃げているうちに母と別れ(たぶん死亡)、空襲前から病状悪化で寝ている妹はもはや動けず、何も口にしない。金も食料もない「私(15才くらい)」は万策尽きたと思い込み、妹と二人で汽車に飛び込もうとする。その直前見知らぬ誰かが「私」の腕を引っ張り、「私」だけが生き残る。
 これは高橋和巳の経歴とは一致しない(疎開して無事。のちに大学に進学)。そこで両親との不和や妹の犠牲というのは作家のオブセッションであることがわかる(後者は「憂鬱なる党派」「邪宗門」で繰り返される)。こういううそを妄想することで、語り手「私」の観念好きを正当化するのだろう。でも父ゆずりのミソジニーがぶち壊し。うそつきで妄想で自分を正当化する語り手を作って、読む興味を持続するには、語り手に親近感を持たせる工夫(ひょうきんとか冗談好きとかへまをさせるとか)が必要だが、この語り手と作家の小説の主人公たちには全く欠けている。結局嫌な奴の自慢と自虐の話を聞くことに嫌気がさすのだ。 (そこはドストエフスキー「ネートチカ・ネズヴァーノヴァ」を読んでいるよう。)
 自ら進んで不幸になりたがる「私」は美しいもの善いものには関心がない。かわりに、糞尿・ごみ・死体などを偏愛。自己評価が低いから、こうなるのかしら。語り手「私」には社会性や共同体意識はないので、環境改善に動くことはない(まあ周囲も動じないし、清掃をすれば男や大人がからかうホモソーシャル社会。意欲はすぐにそがれるだろう)。作家はこの先を書く意欲はあったようだが、夭逝したので機会は失われた。
 

高橋和巳「捨子物語」

https://amzn.to/49806Nv

捨子物語 (河出文庫 た 13-3) | 高橋 和巳 |本 | 通販 | Amazon