odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

奥泉光「雪の階(きざはし) 上下」(中公文庫) 昭和11年2月の雪の日、日本は階段を踏み越えてしまう。

 昭和10年1935年の日本を描く。やはり中心になるのは、政治団体化した陸軍だ。すなわち、世界恐慌で深刻な不況に襲われ日本は同時期に起きた凶作のために、貧困化・窮乏化が進んだ。政党はビジネス界や産業界の思惑に振り回されて、農業対策と貧困対策はあとまわし。そこで国民の不満は政党制と民主制への懐疑と不信になり、ナチスの成功を横目にみながら全体主義運動に収斂していく。陸軍は満州で好き勝手出来るようになったので、植民地の政治を本土でも行いたい。そこで陸軍は政治団体として国政に関与するようになったが、若手の将校が尊皇攘夷の国体思想を先鋭化させ、現在の体制に不満をもち、一気に天皇親政を実現したいともくろむ。このような状況は事前に把握しておこう。
2021/03/02 大内力「日本の歴史24 ファシズムへの道」(中公文庫)-1 
2021/03/01 大内力「日本の歴史24 ファシズムへの道」(中公文庫)-2  
2023/01/13 江口圭一「十五年戦争の開幕 昭和の歴史4」(小学館文庫)-1 1988年
2023/01/12 江口圭一「十五年戦争の開幕 昭和の歴史4」(小学館文庫)-2 1988年


 物語の中心にいるのは、笹宮伯爵家の令嬢・惟佐子(いさこ)。おそらく学習院に通う18歳は友人寿子との再会を楽しみにしていたが、約束はすっぽかされ、あろうことか富士樹海で陸軍士官と心中してしまう。しかも妊娠二か月目。そのような不始末を起こすとは思えない惟佐子は、平民の友人でたぶん初めての女性報道カメラマン千代子に捜査を依頼する。頼りがいがあるのかないのかわからない新聞記者とともに調べると、寿子は事件前に宇都宮にいたことがわかる。なぜ? という探偵小説が本筋。
 同時に進行するのは、惟佐子にドイツの心霊音楽協会が接触し、惟佐子を同行させた世界的ピアニストが軽井沢で急死する。彼は惟佐子が出た白雉(はくい)の家とも関係があるようだ。ドイツで発狂した惟佐子の伯父はピアニストのもとで不敬でもある国体思想とナチズム礼賛の書を記していた。それに惟佐子の兄はドイツ留学から帰国したのち、近衛師団に配属され、何事かを画策している。それに兄には双子の姉がいて、宇都宮で心霊教団を主催していた。寿子はこの教団がある社で行方不明になっている。このような神道系団体の暗躍も惟佐子の周囲で起きているのである。
 これらの複雑な絡まりを作者は悠然とした記述で進める。いったい登場人物たちは何が起きているかの全体像をしることはできず、作者の視点と記述によって、読者だけがすべての情報を得られるのであるが、それでも全体を把握することは困難。それでも終盤にいたって年がかわり、2月の後半に東京に雪が降るのを知ると、あの事件に収斂するのだろうと、思い至るのだ。ここまで史実を裏切る記述はなく、キャラも昭和10年の生活を過ごし、細部に至るまで考証を重ねた描写はまことにこの国にあったがいまはあとかたもなくなった風俗と精神を知るのである。
 ストーリーとは別に著者に教えられたのは、天皇機関説問題。通常は軍部が学問に横やりを入れた表現の自由、学問の自由の侵害案件とされるのであるが、これをみると政治団体化した陸軍の後押しによる倒閣運動、政党政治廃止運動なのであった。それに翼賛するのが笹宮家のような貧乏貴族と藩閥に属さない田舎の政治家たちであり、彼らの国体明徴運動という全体主義運動に国民は喝さいをおくるのであった。日本のファシズムナチスのような国民運動を持たないように記述されるが、実際は本書に記述されるような運動が盛んに起きていて、特に中心になるような団体や党をもたない国体神道プロパガンダ本がそこら中にまき散らされていたのだった。ここには出てこないがよく読まれた大衆小説も皇軍兵士になるよう翼賛の一翼を担っていたのである。なので、国民は陸軍に扇動先導されて戦争に巻き込まれたのではない。国民が戦争を望んた。ということはたくさん登場するキャラを見れば一目瞭然であって、戦争を止めるどころか、火を焚きつけることに執心していたのである(この国民運動とその熱気は歴史書では伝わらず、このようなフィクションによってようやくわかる)。
 雪が降っても青年将校の計画は止まることなく、2月26日の朝を迎えるのである。その行方は?

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 という具合に、俺にはジャストミートする小説になるはずであるが、途中でどうにも熱が冷めてしまったのは否めない。というのは、華族令嬢を主人公に、兄に陸軍士官を持っているという設定で、先行する二つの小説を思い出したからにほかならない。それを名指しするのは読書の興覚めになるので控える。解説者はその前日に兄を会った際の惟佐子の行動を称賛するのだが、俺はそうは思わない。
 また白雉(はくち)家の秘密もまた先行するエンタメ作品をなぞるものであった。そういえば、昭和10年代はナチスでもこの国でもオカルトが流行していたし、民族の根を探る妄想もさまざまあったのを思い出す。
 そういう読書の記憶がよみがえったので、本書は残念になってしまった。先行する3つの小説よりもこちらのほうがよく書けているのに。それらはすでに30年以上前のものだから、21世紀の読者は思い当たることがなく、本書を読んで驚愕するだろう。そういう体験をもてなかったすれっからしの読者である俺は少々寂しい。

 たくさんの登場人物がでてくるが、とくにメモを取らなくても混乱しない。それはあるキャラを最初に登場させ、知り合いと話しをしたら、次の章では知り合いが別の友人と会っていて、友人は上司の命令を受けたり、父につきそっていったりし、あとで最初のあるキャラと出会うということを繰り返すから。中心にいるのは惟佐子(いさこ)なので、小説全体は彼女の交友関係を描き出すことになる。こういう書き方はシュニッツラーの「輪舞」なのかしら。俺が思い出したのは石川淳の「天門」。こうすると小説がとても緊密な仕組みでできあがっているのがわかる。登場人物と出入りの表を作るのは大変だったろうな。書き上げると作者はテーマよりも技術に感嘆してくれと思っているかも。でも読後には小説が閉じられていて、何か他の小説にリンクを貼れなくてせせこましい感じがする。
 それを作者は気にしたのか、心霊音楽協会だのナチ御用達の作曲家だのは別の小説「鳥類学者のファンタジア」に登場しているらしい(未読なので詳細不明)。俺はすべての小説を順に読んでいるわけではないので、調べて分かった。本文にその記述はないので、作者は読者を信頼していたのかしら。

 

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