先にアニメを見た(おもしろいともつまらないとも)ので、原作を読んだ。1993年初出。
精神医学研究所に勤める千葉敦子はノーベル賞級の研究者/サイコセラピスト。だが、彼女にはもうひとつの秘密の顔があった。他人の夢とシンクロして無意識界に侵入する夢探偵パプリカ。人格の破壊も可能なほど強力な最新型精神治療テクノロジー「DCミニ」をめぐる争奪戦が刻一刻とテンションを増し、現実と夢が極限まで交錯したその瞬間、物語世界は驚愕の未体験ゾーンに突入する!
https://www.shinchosha.co.jp/book/117140/
ギブソン「ニューロマンサー」1984で仮想現実に「ジャックイン」できるようになり、エフィンジャー「重力が衰えるとき」1987で人格交換ができるようになり、現実と夢(フィクション)の境目があいまいになり、人格の相互乗り入れができるようになった。そこで1993年に筒井康隆はDCミニなる装置を創案して、現実と夢の行き来を可能にする。「夢の木坂分岐点」1987年など先行作でとても苦労したところが、この「発明」でコンビニエンスになった。
(この仮想現実がもたらすのは、心身二元論の強化。心の大部分は機械によって共有可能になって、個人のプライバシーやアイデンティティのよりどころではなくなる。一方、身体はますます客体化されてプライバシーやアイデンティティからは遠ざけられる。そして身体は商品になり、欠損・畸形・機能不全などは機械化を推進することになる。心身二元論は強化されるが、個性やプライバシーなどはどうでもいいものになり、国家や集団が監視することを認めさせることにもなる。本書はこのところは無自覚。米本昌平「バイオポリティクス」(中公新書)を参照。)
その研究所は、千葉と時田の研究で有名になっていたので、副所長一派は彼らを放逐することを画策する。そのためにDCミニを奪い、実際に使って、スキャンダルを起こそうとする。しかし機器の使い方を制御できないので、副所長らの無意識や夢が現実に介入して、ドタバタとグロテスクな騒ぎを起こす。千葉敦子は治療した患者である有力者などの支援を借りて、これに対処する。ストーリーの骨格だけ取り出すと、女性探偵によるハードボイルドであり、策謀を出し抜き策略を仕掛けるスパイ小説。状況が研究所内の覇権争いに限定されるので、事件としてはせせこましいけど、まあいいでしょう。
途中で読むのがいやになったので先行作探しをしていた。千葉敦子は火田七瀬の再来(能力、美貌、母性など)。研究所内の覇権争いは「文学部唯野教授」と「大いなる助走」、現実と夢があいまいになるのは「脱走と追跡のサンバ」、エロチック描写は「残像に口紅を」など。新しさを見出すより、筒井の先行作のパッチワークのようで、手慣れたものだと技術には関心した。
いやになった理由は、ジェンダーの扱いが差別的であること。同性愛が悪の理由になっている。同性愛行為がおぞましいこととして書かれていること。一方、「朝のガスパール」を読むと、初出後オタクが熱狂的に支持したらしい。おそらくそれは時田という巨漢のオタクがノーベル賞(をありがたるのがいかにも古い)を取るほど天才であり、敦子から一方的に熱愛されるという状況を自分に重ねたかったのだろうね。それに千葉敦子は男に献身的で、ときに性交することも辞さないような行動性向をもっているのも魅力になったのだろう。父権的な男の欲望を充足させるキャラになっているのだ。
というわけで、自分はこの作はダメだと断じる。
筒井康隆「パプリカ」(中公文庫)→ https://amzn.to/4aSSkHb