odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

吉川英治「三国志」(青空文庫) 読者の「人生いかに生きるべきか」の問いに、大衆小説は皇軍兵士のように生きろと答える。

 20代に羅漢中の「三国志演義」を夢中になって読みふけって、その2か月間の記憶が濃厚に残っている。羅漢中の作を読み返す前に、この国の高名な大衆小説を読もうと考えた。さいわい、有志により電子テキスト化されたものが青空文庫にあるので、この版を手にする。

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 失望。この作家の本はもう読まない。
 もとは1939年から1943年にかけて雑誌に連載されたものだそう。時局に合わせたのか、それとも作家の資質がそのまま現れたのか。中国の三国志の物語が、大日本帝国のモラルに合うように改変された。その結果、だらしなく優柔不断な劉備が親孝行で国思いの壮士になり、羅漢中作品ではほとんど記憶にない劉備の母は軍人として栄達したいという夢をもつ少年のあとを押す軍人の母にされた。劉備は漢王室の係累とされ、数世代前に放擲されたのち、貧困にあえぐが、血筋は誇るべきものである一族のものとされた。漢王室は佞臣の巣窟であり、内側から腐食されているのである。なので、劉備が漢の没落を前にして憤り、再興を願うのは彼のアイデンティティにかかわる重大なミッションとされた。一方、王室の権力と権威を無視して土地と人々を荒らす黄巾は悪逆非道の一味である。存在そのものが悪なのであるから、一掃しなければならない。劉備はまず黄巾一味を退治するために、地方の豪族に入るのであるが、このような意図を理解しない佞臣どもは力のない彼らを馬鹿にし虚仮にし、矢除けの盾として使い捨てにするつもりなのである。失望する劉備のもとに、二人の男が現れた。彼と兄弟の契りを結びたいという・・・
 この見立ては、すぐに大日本帝国の皇国イデオロギーを体現していると知れる。まさに三国志の戦国時代が招来している中国本土において、佞臣を除き人々に平和と安寧を取り戻す皇軍は、劉備らに重ねられるのである。こういう見立てに合うシーンが延々と続くので、第1巻ですっかり読む気をなくしてしまった。
 劉備関羽張飛らは共同体にいて親の仕事を継承することなどできない。共同体の外に出て、あちこちをうろうろするはぐれもの、不良なのだ。平安の時代であれば、盗賊団の一員になっていずれ野垂れ死ぬか死刑になるようなダメ人間。それが乱世で不安の時代では一躍英雄になる。共同体から逃れることができない庶民にとっては日頃のうっ憤と不満を晴らすトリックスターたちだ。それを貴種が率いる皇軍にしてしまうのは解釈として誤りであるどころか、積極的に大日本帝国に翼賛しているとしれる。

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 桑原武夫は「文学入門」(岩波新書)1950年で、大衆小説は「人生いかに生きるべきか」にわかりやすい答えを出していて、それが大衆に支持されたという。本書がそういう大衆小説の典型なのだろう。政府が命じるように、皇軍の一員となって帝国のために生きろ(死ね)というメッセージを出しているから。

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 というわけで、途中をすっ飛ばして赤壁の戦いを読んだ。ちょうどジョン・ウー監督の「レッド・クリフ」を見ていたので、ストーリーを確認したいという目論見があった。
 失望。羅漢中の「三国志演義」を簡略に概要にしただけ。大仰なわりにすかすかな文章でどうにも読書の興がわかない。その大きな理由は、作家が物語を書くのに専念するあまり、当時の政治や経済を全く書かないことにある。それはジョン・ウーの映画も同様。浮世離れした英雄のアクションとロマンスだけではねえ。
 では「三国志演義」を読みたい欲望をどうやって解消するか。やはり羅漢中作を数か月かけて読むのが良いだろう。

 

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