odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「序」 一つの形而上学でもある観念小説。方法は「極端化と暖昧化と神秘化」「als obの濫用、反覆の濫用、或る期間までの心理描写の省略、探偵小説的構成等々々」

2021/07/12 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)ガイド 1946年の続き

 「序」で、「死霊」の方法と物語の構想が語られる。

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序(1948.10) ・・・ 一つの形而上学でもある観念小説。方法は「極端化と暖昧化と神秘化」「als obの濫用、反覆の濫用、或る期間までの心理描写の省略、探偵小説的構成等々々」
 方法は「文学論集」に収められた別論文なども併せて参照しておきたい。埴谷雄高「意識・革命・宇宙」(河出書房)も参考になる。

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 構成は以下のことを念頭に置いておけばよい。
 物語は、三輪家の葬儀のある日から五日間のできごと。章を繰るごとに時間が過ぎていく(ただし説明なしで過去の回想に入るので、時間経過には十分に注意深くなろう)。おおよその時刻をサマリ―に書いているので参考に。主な登場人物と登場する章は以下の表を参考に。
 主な舞台と席次は以下の表を参考に。誰がどこにいて、隣にだれがいたかは克明に書かれるので、メモを取りながら読む。

人物相関図

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第六章 《愁いの王》

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第九章《虚體》論―大宇宙の夢

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 ただ、この構想は達成されなかった。現存の最終章の第9章は三日目の午後にあたる。なので、序に書かれた釈迦と大雄の対話は行われていない。そのうえ、昭和23年までに書かれた第4章までの構想も中途半端になった。たとえば首猛夫による津田康造への「宣戦布告」の行く末、第9章で黒川建吉の持ち込んだ荷物の正体、「ねんね」を守る「筒袖の拳坊」と「ねんね」を狙う「一人狼」、などは結末を迎えない。

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 一方、与志が第一章で口にした「虚体」の観念は次第に関係者に伝搬して、それぞれがそれぞれの意味をもって語るようになる。クライマックスは第七章「最後の審判」の長い長い寓話。それこそ「大審問官@カラマーゾフの兄弟」に比べられるような、緊迫感を持った観念小説が描かれる。長い長い複数の語りをへて「虚体」が開示されるまでがこの小説の重要な物語。上の登場人物に関する物語は多少は「探偵小説的構成」であるともいえるが、実は「虚体」の謎を解くことこそ「探偵小説的構成」なのである。そのあとの章での「虚体」の説明は繰り返しになり、「虚体」暴きという主人公を追いかけ解明する物語は完結している。
 このように物語は未完であるが、テーマは完結している。
 五日間(読者の前にあるのは三日目午後まで)の小説で、登場人物は変化しない。現れた時から自己完結した人格や行動性向をもっていて、他人との語らいで変化することはない。反駁したり揶揄したり沈黙で答えたりと、自己は同じままなのだ。唯一の例外は与志の許嫁の安寿子。第二章では与志のことが「解らない」といっていた彼女は、幾多の議論や経験をへて、最終章の第九章において

「与志さんの、虚体です!/と、さっと頬全体に紅い帯を刷かせながら、津田安寿子は鋭く叫んだ(P403)」

と与志を肯定し受け入れるまでにいたる。そのような自己変容を果たしたということで、この小説の主人公は安寿子であるともいえる。

 


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2021/07/08 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第一章 癲狂院にて」 1948年に続く

埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第一章 癲狂院にて」 五日間のできごとの第一日午前。人が増えて、部屋がいっぱいになったところで幕が下りるシチュエーションコメディー。

2021/07/09 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「序」 1948年の続き

第一章 癲狂院にて (第一日午前)

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 とても暑かった夏の終わりの午前、永久運動で動く時計台をもっている「✖✖風癲病院」に、黙りがちで長身の三輪与志が、兄・高志の依頼で、高志の友人・矢場徹吾を迎えにいく。矢場の主治医で高志の同級生である岸杉夫医師に、与志は奇妙な議論を吹きかける。この世が幽霊屋敷であるとして、幽霊とどのような対話をするのか。不眠にある与志は、存在は不快であると断じ、自己が自己の巾の上に重っていることを許容できない。与志は「自動率の考究」という論文を書いていて、そこで「虚体」を求めていることを明かす。岸医師は、部屋にいる10歳くらいの知的障害をもつ(本文では「白痴(ママ)」)の少女「神様」と、その姉である15歳くらいの「ねんね」を紹介する。二人は動物をかたどった厚紙で遊んでいる。やってきたのは矢場徹吾。ある事件(ムク犬をいじめている子供を殴ったところ、大学の寄宿舎で大問題になり、失踪し、放校され、刑務所の病舎に収容されていた)をきっかけに決して人語を発しない「黙狂」となったのであり、岸医師の治療を受けることになったのだ。「神様」はだれにもなつかないのに、矢場にもたれかかる。さらに、黄色い顔色が悪い饒舌な首猛夫が老門衛の静止を振り切って入ってくる。収監される矢場に無理やり会おうとしたため。首はしゃべりをとめず(矢場や高志との過去の因縁など)、さらには岸博士と与志の対話に興味を持ち、俺なら幽霊は機能を停止し思惟をやめているのだから恥を知れ首をくくれというとうそぶく。さらに、与志のいいなずけである津田安寿子がくる。明後日の午後、誕生会を行うので来てほしいという依頼をしに来た。こうして人が増えて、部屋がいっぱいになったところで、首が「Villon, our sad bad glad mad brother's name」(ウィンバーンのフランソワ・ヴィヨンによせた詩"Ballad of François Villon, Prince of All Ballad-Makers" の一節)と言い残して部屋を出ていき、第1章は終わる。
 全体のイントロダクション。主要人物の紹介が行われる。

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 上の「現在」には表れない過去の話をいくつか。
・与志の兄・高志は社会運動を行っていた(というから時代は昭和10年、1935年前後になるか)。官憲の知るところとなり、逮捕されることになったが、そのさい自室で爆発騒ぎ。収監後体を壊して(書かれていないが拷問のせい)、寝たきりになっている。世話を許すのは祖母のみであったが、祖母は脳溢血で死亡。高志は与志に矢場徹吾の迎えを依頼する。三輪家では葬儀の準備が始まっているはず。

・矢場辰吾が子供を殴りつける騒ぎを起こしたあと、与志は寄宿舎隣りの図書館に寝起きする黒川建吉を訪れる。あいまいな会話のあと、与志は黒川を夜の散歩に連れ出す。暗黒、漆黒の闇、果てしない霧、黒々とした大樹など闇がさまざまなことばで描写される(まったく何も見えないのに、闇がいくつものグラデーションで区別できるかのような)。深夜の墓地の散歩は若き日の埴谷雄高がやっていたこと。

 

 昭和22-23年ころに書かれた。この後40年以上をかけて「完結」させるのだが、しまいまで読んでからこの章を再読すると、この章の断片的な情報がのちの伏線になっているの気づく。安寿子の誕生会は「第九章 《虚體》論―大宇宙の夢」。首猛夫が矢場の治療に立ち会うという希望は「第七章 《最後の審判》」で実現する。与志が連れ出した黒川建吉も「第三章 屋根裏部屋」で長広舌の議論を行う。寝たきりの高志も、「第五章 夢魔の世界」で「社会運動」で起こした深刻な事件の真相を与志にだけしゃべることになるだろう。神様はこのあと「風癲病院」を抜け出して、彼らの後をつけ、「第六章 《愁いの王》」で神をみることになる。このような長い長い射程で物語を紡ぐ作者の粘りに感銘を受ける。
 この小説の登場人物は黙したものが多い。「黙狂」矢場徹吾はいうまでもなく、主人公の三輪与志にしてから寡黙であり(後半になるほどしゃべらなくなる)、「神様」「ねんね」もほとんどしゃべらない。そこに粗忽で傍若無人な首猛夫(とのちに出てくる津田夫人)の饒舌が加わるので、重苦しさや密閉の感じが破られる。沈鬱なばかり、難しい観念が頻出するというイメージではあるが、そんなことはなく上質なユーモア小説でもあるのだ。この章だって、空っぽの部屋に人が次々入ってきて、身動きならないほどになり、大混乱になったところで急転直下のとうとつな幕引きというシチュエーションコメディの作法になっているし。


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2021/07/06 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第二章 《死の理論》」-1 1948年に続く

埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第二章 《死の理論》」-1 第一日午後。葬儀と結婚話が同時進行し、トリックスターがひっかき回しだす。

2021/07/08 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第一章 癲狂院にて」 1948年の続き

 

第二章 《死の理論》 (第一日午後)

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 その日の午後は、三輪家の祖母の葬儀が予定されている。「風癲病院」を抜け出した首が向かったのは津田家。彼は出かける前の津田康造に「宣戦布告」をする。時間をかけて化粧した津田夫人は首の話を聞きたがり、津田夫妻の乗る自動車に首をのせるが、首は途中で降りる。墓地には先にきていた津田老人(亮作)が青服黒服と話をしている。遅れて与志と安寿子が到着(与志が墓地に来る途中で若い女性と赤ん坊を見て不機嫌になったため)。葬儀が始まり、地下納骨堂に収めたあと、与志は喪主であるにもかかわらず勝手にでていってしまう。

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 津田夫人は娘の安寿子のいいなづけとなった与志を知りたがるが、無口で突拍子もない行動をとり、何に関心を持っているのかわからない与志を理解できない。そこで、夫の津田康造や三輪夫人、首、安寿子らの話を聞くが、彼らの話もわけがわからない。理解が及ばない。それでも彼らの長広舌を聞いているうちに影響され、もしかしたらいち早く与志を本質直観しているのかもしれない。たとえば与志を玩具をもてあそぶ子供となみなすところ。あるいは

「与志さんの掌に握りしめられているものが癇癪玉のようなもので、あまり強く弄ぶといきなりばんと破裂して――当の与志さんばかりか、一緒になって覗きこんでいる者まで怪我をさせやしないか(P234)」

と心配するところ。まさにそのような事態が後の章で起きるのであるが、いまは彼女のふいと出た言葉が予言であることをしっておくまでにしよう。
 首猛夫が津田康造警視総監に「宣戦布告」を宣言し、その内容は「死のう団」であるという(まさにその名を名乗る団体が問題行動を起こしていた)。

ja.wikipedia.org


 もちろん首はそんな「現実」には影響されていない。なにしろ現代(20世紀前半)は死の時代であり、戦争と革命の時代。破局への情熱を秘めている時代なのである。そこにおいて死の福音を解くのが自分の役目であるという。いささか奇妙な、あるいはテロリズムに傾斜した考えであるのは首猛夫の前歴にありそうだ。彼のあいまいな言によると、囚人の立てた寒い収容所(か刑務所)で一冬を過ごす際に、手の指が凍傷になり骨まで見えるほどになる。医師にみせてもそこらの布切れを包帯にして巻いとけと言われるだけ。そういうしかない医師に同情するとともに、首はひとかけらの綿屑は存在の中心であるかのような寒冷の中の瞑想を体験する。

「(悪魔は)吾は吾なり、という主辞と賓辞をまったく巧く使いわけた違った声音でいってのける芸当さえ出来るんです。あっは、なんて小癪な奴だろう。僕はこいつを締め殺して、俺は死んだ!といわせ得たら、全人類、全宇宙をそのために交換したって少しも惜しいと思わないんです(P245)」

 彼が津田康造警視総監を宣戦布告の相手にするのは、どうやら高志のいるグループと一緒に行った社会運動の弾圧の責任者とみなしているからかもしれないが、首によると津田は「アジア的思考様式の極点」であり「大地に密着した農夫の思考」「1=1の思考」「すべてを受け入れる思考」であるためであるという。首の体験したような極限状態で、存在の極点をかいまにみるような体験をしたものにとって、すべてを受け入れるあり方(実際、津田は首の追及に一切反論しないし、紳士的な態度をくずさないし、逮捕や確保などを部下に命令しない)が凡庸そのものであって、受け入れがたいのである。津田の背後に、大日本帝国の何でも受容し、しかし一切変わらず、無責任に他人を苦しめる仕組みを見ているのであろう。 


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2021/07/05 埴谷雄高「死霊 I」(講談社文芸文庫)「第二章 《死の理論》」-2 1948年に続く