odd_hatchの読書ノート

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埴谷雄高「文学論集」(講談社)-2

2021/06/24 埴谷雄高「文学論集」(講談社)-1 1973年の続き 

 俺は大学で生物学を専攻し、そのあと業務・事務の仕事を続けていたので、論はなにごとかの応用や転用が可能であることを望ましく思っている。なので、ことばや文章は一つの意味をあらわしていて、誤解や誤読があれば言葉の選択や文章に問題があるのだと考えてきた。小説の方法や論でも、それを読んで、入手した知識や方法は新たに小説を読むときに利用できれば良いと思うし、使ってみることがある。さて、埴谷の論はそのような応用や転用が効かない。

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第二部 批評の本質とその機能
迷路のなかの継走者 1955.06 ・・・ 昔から他人に理解されてこなかったので、「非同一な志向を担った読者には出来るだけ近づいてもらわぬような遠望を設けて置き、近づいてしまった場合には自然に踏み外してゆくような工夫をこらして(P161)」おいている。

決定的な転換期 1959.06 ・・・ 吉本隆明の戦争責任と花田清輝の転向論による論争の感想。

価値転換への試み 1957.10 ・・・ 江藤淳の「奴隷の思想を排す」の感想。この本は日本では珍しい体系化を目指す思想、なんだそうだ。

批評基準の退化 1955.09 ・・・ これまでドストエフスキーを基準にしてきたが、病気のあとはそれも低くなり、何を基準にしていいかわからない。ほかの人の仕事を見ても、接待や配慮で批評の基準はどこにあるのやら。(何でこんなことを書いて発表するのかねえ。)

現実密着と架空凝視の婚姻 1962.02 ・・・ 平野謙の「これまでの文学作品の内容を、小説おもしろさ説、小説アクチュァリティ説、小説純粋説の三つ」に分ける論への反駁。平野の現実密着に対する埴谷の架空凝視。(俺からすると、現実密着も架空凝視もトンデモやニセ学問の暗黒面に堕する可能性があって、それを避けるためにはこの二項の軸ではうまくいかない感じがする。埴谷が松本清張の戦後史論(たぶん「日本の黒い霧」1960年ころ)を称揚するところは危険領域に入っていると思う。)

二十世紀文学の未来 1958.02 ・・・ 19世紀文学は宗教と政治を担いきった(というのはどうか?)。21世紀の文学は戦争と貧困を担い切れていない。テレビやノンフィクションの事実の衝撃力に対抗する文学の想像力が少ない。科学が文学を侵食している。21世紀には文学はなくなるかもしれない(だいたい当たった)。
人工衛星が頭上を周回して監視していることを恐怖に思っている。スプートニクショックの反映だろう。)

『散華』と<収容所の哲学> 1963.08 ・・・ 高橋和巳が戦時中の「死の哲学」を考察しているので、戦時世代の埴谷が書簡を書く(ただし埴谷に戦場体験はない)。埴谷がいうには、戦時世代の特徴は観念性、傍観的態度、指導者嫌い。それは戦時中が「巨大な収容所」であったから。「死の哲学」は自己の死(の意味ある納得)のみ問題にしていて、他人の死(敵を殺す)をほとんど考慮していなかった。
(これを読むと、近代日本は政治哲学をまともにやってこなかった、戦争体験の総括も不十分だった、俺もそうだけど、という感想。)

批評不信の底にあるもの 1964.06 ・・・ 文学批評がまともに機能していないので、作家は自分自身で批評の役割も持たないといけなくなっている、それは作家と批評家の相互を不幸にする。だそうです。
(自己批評の役割に自覚的だったのは、戦後文学の作家たち。そのあと、1970年代の村上龍村上春樹らが批評不要の作品を作るようになって(作家名は当時の象徴として俺が名指した)、このエッセイのような提起を無用にした、のだと思う。あと、ここにでてくる批評家が平野謙本多秋五奥野健男、篠田一土であって、うちわの問題提起に見えるのだよなあ。別のエッセイでは吉本隆明江藤淳もでてくるけど。)

「自己批評」について 1965.03 ・・・ (なにをいいたのかよくわからない。自己批評は必要だけど、やられていないし、あっても方法が貧しい、あたりか。)

論理と詩の婚姻について 1967.02 ・・・ 真継信彦への書簡。(埴谷は仏教書の煩瑣哲学にうんざりしたというが、このエッセイが煩瑣にとらわれていて、意味が通じない。)

 

 文学か政治かという問いがかけられるのは、文学に過剰な役割を期待しているのではないか。近代小説が19世紀前半のフランスで(あるいは18世紀後半のイギリス?)生まれたとして、文学が政治(というか上記のように社会運動)に影響を及ぼすことができたのは、誕生直後のフランスやイギリスでくらいではなかったか。19世紀なかばのアメリカで、奴隷解放運動に「アンクル・トムの小屋」が影響したというのもいれられるか。明治20年代に、自由民権運動が弾圧・挫折した後に政治小説がこの国で生まれたが、すぐに芸術小説にとってかわられた。それくらいに文学は政治(というか社会運動)に近しいけれども、影響を与えることは難しい。
 でも戦後文学はそれをやろうと試みる。野間宏や大岡昌平武田泰淳堀田善衛などが文学と政治のエッセイを書いていたと記憶。埴谷もこのようにやっている。上手くいったか、そうは思えない。

「文学もまた人類全体の壮大な行進のなかの一つとしてある。そのことを最も端的に啓示したのは、十九世紀の文学であって、哲学と宗教から無限と神という問題をひきうけて自身の課題とすることによって、自身すら予期もしなかった巨大な膨らみをもち得たのであった(P239)」

というドスト氏とポオに呪縛されていたのだろう。

「心理学から神へまで目舷むような幅広い深淵の上に跨ったドストエフスキイにしても、宇宙論へ架ける橋はまだしかとかたちをなさぬ暗示的なものにとどまっている(P240)」

のであって、宇宙論を文学に取り込む試みを埴谷は自己の課題にする。
(ちゃちゃをいれると、ドスト氏は個人雑誌を作って社会に影響を及ぼそうとしたり、いくつかの裁判の応援をしたりするなど、小説も書くけど、同時に社会運動もやっていたんだよ。)

 

  

 

2021/06/21 埴谷雄高「文学論集」(講談社)-3 1973年に続く