odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「大富豪殺人事件」(ハヤカワポケットミステリ)

 オリジナルの小説ではなくて、ラジオドラマと映画のノベライゼーション。いずれも1940年(かその前後)。はなから小説で発表することを前提とした長編と比べると、重厚さも論理の徹底さもなくて、物足りない。

・大富豪殺人事件・・・殺されると思い込んだ大富豪の呼び出しで、エラリーとニッキーは訪問する。周囲には、妹、彼女と婚約したイタリア人テノール歌手、矮人の同居人(富豪の友人)、弁護士などのちょいと普通でない人々。翌日、エラリーが富豪を訪れると、彼は死んでいた。その時刻、すべての関係者にアリバイがあった。小さな手がかりから見つかった意外な真犯人。でも、どうやって実行したの? 大富豪がイタリア人テノール歌手を嫌う理由が不条理だったけど、当時はファシスト党政権で第2次大戦が始まったばかりだった、納得(しかもトスカニーニのような亡命者ではなくて、国籍はあちら、就労ビザで入国中という設定。こういうイタリア人歌手はニューヨークのメトロポリタン歌劇場にたくさんいたことだろう)。

ペントハウスの謎・・・中国から帰国した奇術師が失踪した。彼の娘がエラリーに捜査を依頼する。奇術師が宿泊していたペントハウスを訪れた時、娘は狙われ、搬出されかけた大きな箱から奇術師の死体が見つかった。彼の周りには、ドイツの男爵、日本のスパイ、船員に偽装した新聞記者、中国の戦争を支援する団体から派遣された美女がいる。どうも奇術師は大量の宝石を密輸して中国支援(ちなみに日中戦争中に書かれた)に使うつもりであったらしい。それを嗅ぎつけた詐欺師も暗躍して、2人目の被害者が生まれた。もともとが映画のスクリプトだったので、アクションシーンが多い。エラリーもタクシーに乗って尾行したり、一人で危険な侵入をたくらんだりと大活躍。おまけに、秘書のニッキー(訳者は、ニッキー複数説を唱えている)が無邪気に事件をひっかきまわし、エラリーは悪態をつきながらも、彼女を助ける仕儀におちいる(このへんの設定は法月倫太郎が受け継いだな)。行動的な探偵というのはエラリーには似合わない。この中編のトリック(というか、犯人を指摘する手がかり)になったあることが、たがみよしひさ「Nervous Breakdown」のある一編で使われている。なお「ペントハウスの謎」は創元推理文庫「事件簿1」にも収録されている。

 ニッキーが重要な役割を演じている。この少し頭が足りなくて、しかしコケティッシュで、行動的で怖いもの知らず(世間知らず)のお嬢さんはアメリカの理想的な娘であるのだろうけど、彼女は事件を依頼する家族に入る役割を持っている。それは、のちの「緋文字」で徹底されていたことだけど、原型はここらへんにある。エラリーはハードボイルドの探偵のように都会の家族に入っていくのは難しい。高名で人気のある探偵小説家というアウラが強すぎるから(ライツヴィルのような田舎だと、彼の影の薄さは、ハードボイルド型の探偵になることを可能にする)。そういうわけで、エラリーの代わりにニッキーが家族に入って、彼らを観察する。これは、筒井康隆「七瀬ふたたび」や小川洋子博士の愛した数式」で反復された。
山口昌男「本の神話学」「道化の宇宙」あたりを参照すると、ニッキーはコンメンディア・デ・ラルテのコロンビーヌ役なんだ。機知にとんだいたずら娘、「フィガロの結婚」のスザンヌあたり)