odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

南條竹則「ドリトル先生の英国」(文春新書) ビクトリア朝の英国中産階級の暮らしをみる。植民地支配と先住民差別を指摘していないので、各自補うように。

 自分も幼少期の読書でドリトル先生に魅了された。最初は、母親が移動図書館から借りてきた「郵便局」だった。それからしばらくの間にすべて読むことになった(そういう子ども時代に熱中したシリーズには、「ムーミン」「アマゾン号」がある)。そういう経験をもっているので、自分とほぼ同世代の著者がドリトル先生シリーズにこだわる理由はよくわかる。
 なるほど文学をめでるというのは、こういう細部にこだわり、さらにそこから調査を広げることであるのか。たとえば、日本語の字面ではドリトルがdo little(なすことは少なく)であり、「航海記」で島民が先生に付けた名前シンカロットがthink a lot(考えることは多く)であるというのはみいだしがたい。こういう知識を、しかも仕事や生活にはほとんど役に立たないことを、発見し、それを楽しむのがディレッタントだし、教養人(死語)だし、オタクなのだろう。

第一章 博物学者 ・・・ 動物たちを人間の仲間として扱うとか、「インディアン」の博物学者と友好を結ぶなど、博物学を楽しもう。架空の動物オシツオサレツ(井伏、石井両先生の名訳)がたのしい(とはいえ名前の強烈さほど、言動の個性はなかった)。後につながるけど、ドリトル先生は人間嫌いなんだ。でもスタイルとマナーには厳しい紳士(ジェントルマン)でもある。

第二章 興行の世界 ・・・ その割にドリトル先生は起業家でもあって、周囲の動物たちといっしょにサーカスやカナリアオペラなどの興業を行う。19世紀半ばはこの種の移動興業が小資本で成り立っていたのだな。チャップリン「サーカス」あたりが最後でしょう。「航海記」でスペインに立ち寄ったとき、闘牛をおちょくってもいたなあ。作者によると、サーカスの「だんまり芝居」「カナリアオペラ」はハーレクイン劇であるとの由。

第三章 ドリトル家の食卓 ・・・ 作中では食べることがしょっちゅうある。個人的には「航海記」の冒頭で、ドリトル先生の館の暖炉の中で、ソーセージなどを焼きながら食べるシーンが最も印象的。

第四章 ドリトル先生と女性 ・・・ ドリトル先生は女性に縁がない。妹サラは家を出てしまうし、レギュラーメンバーに女性はいない。もっとも近しいのはマシュー・マグのおかみさん。でも、ガチョウのダブダブが印象的な「母」で「家政婦」。ディーバになったカナリアのピピネラは自立した女性としてみてもよい、だって。

第五章 ドリトル先生と階級社会 ・・・ イギリスの階級社会が反映しているのは、スタビンズ少年(靴職人の息子で学校に行っていない。当時は義務教育なんか無視して当然)にマシュー・マグか(上流階級の飼っているペットのための肉売り)。おおむね先生は上流階級には反感をもっている。とはいえ貧困者の完全な味方かというとそうでもないところが見え、複雑な感情の持ち主のようだ。あれほど公共政策を推進していた「航海記」においても、学問研究のほうが優先ですよという説得でイギリス帰還を決めたのだった。また当時のイギリスの労働階級を反映しているスズメのチープサイドに注目。

第六章 世界の友 ・・・ 彼は世界中に友人を作る名人。月にまで名声が届いて使者がくるくらいだから。アフリカあたりのいくつかの国にも王様の友達がいる。まあこれは当時のイギリス知識階級のまなざしであり、現代の目で見るとたしょう侮蔑的・差別的にみえるのはしかたがないな。

第七章 ドリトル先生と聖書の世界 ・・・ 遺作の「秘密の湖」では、世界創生の神話が語られる。そのとき視線は泥の中のカメにある。ドロンコ(カメ)からみると、ノアは怒りん棒で身勝手、彼の息子も木偶の坊。で、人間の子供を連れてアフリカに逃れ、動物たちの王国を作るに至る。そこからさらに次の展開へ(作者の書いた挿絵に、ヒロインのヌードがあって、小学生の血を熱くさせた)。月の世界にしろ過去の動物王国にしろそこに作者のユートピア思想を見てもいいのかもしれない。ただ、自分からするとこの二つのシリーズは、重苦しくて暗くて息が詰まる感じがして好きになれない。

 ドリトル先生シリーズから英国をみようという試み。まあ、ロフティングのビクトリア朝風のモラルに基づく英国なので、現代そのものではない。そこらへんは割り引いておくことやその他の資料との付き合わせも必要かな(たとえばホームズシリーズの英国など)。まあ、これが危険なのはたとえば「新見南吉の日本」「宮沢賢治の日本」「小川未明の日本」なんかを構想し、それぞれの童話から見た日本を実在とみなすことと比較するとわかる。彼らの戦前の童話が今の日本とは言い難いし、かつてあった日本であるとするのも見当違いになりかねないよね。
 なーつかしいなあ。もっと年をとって、細かい活字を読めなくなったら、シリーズ全部を読みなおそう。ついでに個人的に順位をつけると(そんなもん聞いていないって、いいじゃん、書き手の特権行使よ)、第1位は「航海記」。これ一冊で児童文学に名を残す。続いて「郵便局」「サーカス」。半ばあたりが「キャラバン」「動物園」で、その次に「アフリカ行き」。くどいけど「月へ行く」シリーズ、「秘密の湖」は一番最後。まあ、ガキのときはストーリーより、ジップとかガブガブとかチープサイドとかポリネシアとかのシリーズキャラクターと一緒に暮らすスタビンズ少年にあこがれていたのだった。あと子供を大切にしてくれるドリトル先生がいてほしいとも思っていたのだ

<追記2022/10/25>
鈴木孝夫「ことばと文化」(岩波新書)1973年によると、「イギリスでは馬肉は人間が食べるものに入ってはいないのだ。そして馬肉を普通の肉屋(butcher)が売ってはいけないという規則までちゃんとあるのである(P124)」とのこと。ペット用の肉売りのマシュー・マグが労働階級であることはもちろん、被差別的な扱い迄受けるのはこういうところから。またイギリスの動物愛護活動(むしろ某物虐待防止活動)があるのは、動物は人間の完全な隷属下にあり、一切の面倒を見る責任がある。動物を捨てるより安楽死させことが正しい動物(家畜とペット)の扱い方なのである、とのこと。ドリトル先生の「動物愛護」もおおむねこの線にあるが、動物の自由意志を尊重し厳しい躾や隷属を行わないところが少し違う(はず)。