odd_hatchの読書ノート

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夏目漱石「文学評論 3」(講談社学術文庫)

「第5編 アレキサンダー・ポープといわゆる人工派の詩
1 ポープの詩には知的要素多し/2 ポープの詩に現れたる人事的要素/3 ポープの詩に現れたる感覚的要素/4 超自然の材料/「ダンシアッド」
第6編 ダニエル・デフォーと小説の組立
デフォーの作品/小説の組立/デフォーの作に以上の統一なし/デフォーの文章」

 作者によると、1688年の名誉革命で政治の季節が吹き荒れた後、18世紀は落ち着いてきたのであった。すなわち前世紀が若い時代であるとすると、この時代は大人になり変わった時代である。青臭い議論と生硬な活動の代わりに、産業の振興と利益の極大化を求めるのであった。そこで時代は秩序と規律と常識と知的さが要請され、文学もまたそのような要求にこたえるものであった。したがって、この時代の文学は冗漫で常識的で知的遊戯をもったものであり、必ずしも後世でも面白い文学が生まれたわけではない。
 その典型のうち、常識部分をアディスンが代表しているとすれば、知的遊戯というところはポープが代表している。今は陳腐で詩的感興に乏しいとされているが、面白いことに彼の詩句はシェイクスピアについで引用句辞典に多く収録されているのだ(英国にはそんな辞典があるらしい)。それは彼が常識的なことを人工的に加工した詩句にした結果。それから当時は古代文学への敬愛あふれているために、語句の多くも古典を引用ないし連想させるものであるであった。なるほど当時の博物学図表もまた絵でもって古代文学・詩歌を引用ないし連想させるものであったなあ。脱線ついでに、小栗虫太郎「黒死館殺人事件」では17歳の当主・旗太郎はポープの詩を引用できるほどの知的早熟さを示したのである。
 デフォーの評価が驚くほど低くて、「汗の臭いがする労働文学」。知的に狭く、道徳的に低く、詩的に下等でありながら、精力だけは充満している物語と酷評。「クルーソー」に限らずデフォーの小説は主人公が生まれてから死ぬまでを書いていて、およそ物語の構成を意識していないとか、(人物の)性格が一辺倒で事件が起きても変わらず興ざめなどといいたい放題。のちに大塚久雄だったかが「ロビンソン・クルーソー」は近代経済人の典型であるとこの小説を読んだのだが、そういう視点(経済とか社会学から文学を読む)というのはなし。
 ときに、彼の文学理論の小難しい(しかし今となっては時代遅れの)理屈を読むのはなかなか苦しかった。この本の解説は櫻庭信之という当時成城大学教授が書いていて、文学評論と「猫」が同時代であることに着目し、文学評論と猫の並行関係をみいだし、そこに18世紀文学を当てはめていくという好エッセーを書いているので、そちらを参照のこと。まあ、自分が面白いと思ったのは、1)漱石によると、事件と性格が絡み合って人物の性格が変化していくのが好ましい文学らしいが、その実践である漱石の小説は必ずしも理屈通りに成功しているわけではないな、そんな理屈を無視した「草枕」「倫敦塔」「坑夫」のほうが面白かった、2)彼が好まなかったり無視した作家のほうが20世紀文学の源流になっていて面白いなあ。デフォーのリアリティや細部描写好みは探偵小説になったし(漱石もデフォーの書き方を探偵的といっている)、スターンの脱線につぐ脱線、筋のなさ、語ることのための語りは英国の実験文学や中南米文学に継承されたし、ウォルポールのゴシックロマンスはホラーやファンタジーで大流行したし、といった具合。
 あと、以下の引用を読んで、後の私小説家とその作品を思い出すこと。講義が行われたのは1906年

 「たとえば某年某月某日私が財産差押えを受けた。某年某月某日財産差押えを受けた私を文学者が小説なり詩なりのうちに書いて、どこか読者の感興を惹くならば、私はそれを個人的の極端だというつもりはない。しかし真偽、美醜、善悪、壮劣いずれの点から見ても、普遍的にも永久的にも人に訴え得る余地がなかったならば―――某年某月某日なんの某は財産差押えを食った。ざまあ見ろやい。というだけならば、この叙述に対する興味は単に差押えを食った本人と、その知己と、そのしゅうてきのうえにのみ起るだけである。
 圏外に立ったもの、もしくはその本人の忘れられた後世(後世でなくとも、二、三年後でも、場合次第であるが)には寸毫の利害も、痛痒も、感激も、嘆賞も、快も、不快も、全然なんらの情緒を生じない。したがってあらゆる叙述のうちでもっとも非文学的なものである。したがって、ふつうの文学者のあえてせざるところである。道徳的にやらないばかりではない、文学的にやる必要を認めないのである。いやしくも開拓すべき領土と、より有効に使用すべき材料がある以上は、かかる個人的叙述をろうとするのである。
 ところが狭い社会が落ちついて、固定して、沈滞して向上的に人心を誘う刺激がなくって、しかもその小団体の甲乙が、衣食競争上、もしくは名誉競争上、あるいは感情衝突上、非常に鋭敏に軋轢しだすと、いまいった、極端の個人的叙述は、堂々たる文学の仮装を凝らして打って出る。ポープの生きていた時代はまさにこれであった。」(109-110P)

 この意見を中村光夫「風俗小説論」新潮文庫と比較してみるか。

  

夏目漱石「文学評論 1」(講談社学術文庫)
夏目漱石「文学評論 2」(講談社学術文庫)