odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ゲルハルト・ハウプトマン「日の出前」(岩波文庫) 19世紀後半の遅れたドイツの社会悪の摘発を目指した文学運動。トンデモ科学で差別助長になった呪われた書物として封印されるべき。

 ごく簡単に紹介すると、1862年生まれの劇作家。デビュー当時は、自然主義的作風で社会批判を行うものであったが、次第にロマン主義象徴主義が作品に反映されていく。とりあえず「日の出前」「織工」が前期の自然主義を代表するもので、「沈鐘」が象徴主義時代の代表作。以上岩波文庫収録の3冊を除くと、この国の紹介は後年の「そしてピッパは踊る」が1960年代の戯曲全集に収録されているくらい、と筒井康隆のなにかで読んだ。1912年にノーベル文学賞受賞。1944年死去。
 「日の出前」はハウプトマン27歳の1889年作。少し背景を語るとすると、すでにマルクスたちの第一インターナショナルは組織化されていて、とりわけ遅れた資本主義国家、帝国主義国家としてのプロイセンで影響を持っていた(少しだけね)。一方で、ドイツの学生運動もこのころには多少の政治運動を志向するようになっていた。市場が小さくて、国内生産を国内だけではまかないきれず、かといって植民地からの収奪でもって国内の富の蓄積ができるわけではないという中途半端な状況に置かれていた国でのできごとだ。

 さて、ドイツの地方都市(石炭が産出する。その企業と農業以外に産業がないところ)に、ホフマン一家が住んでいる。ホフマンは炭鉱事業に名前を貸しただけの新興ブルジョア。妻は土地の名家の娘。第一子の死産の後、二人目が生まれようとしている。妻には妹がいて、幸いどこかの高等学校で高等教育を受けた珍しい存在。都市の華やかさとブルジョアの自由を見てしまった妹にとって、この土地(因習と企業の苛烈な労働環境)は唾棄すべきものでしかない。といって、親の縁談を断るのがせいぜいで、土地を脱出する見込みはない。しかも姉妹の父はひどいアルコール中毒共依存になるような親密な関係はなかったものの、父もまた土地と象徴するような唾棄すべき対象であった。また、周辺の農家や炭鉱労働者は粗野で無知であり、彼らの野蛮さもまた嫌悪する対象にすぎない。
 そこに、ホフマンの大学時代の友人であるロオトがやってくる。彼は都市住民の洒脱さと大学という高等教育をうけたエリートにみえる。そのため、妹ヘレエネはひとめぼれ、ふたりきりになったときのロオトの知的な会話にすっかりまいってしまって、舞台は突然「トリスタンとイゾルデ」のようなロマンティックな濡れ場になる(知的で洒脱であれば、泥臭くてももてるんだ、なんだか腹が立つなあ、プンスカプン)。実はロオトはどこの党に所属しているかは不明であるが、まるでナロードニキのように収奪される農民および労働者の解放をめざす社会主義運動家であるのだった。そのことはホフマンにも隠さず、ここで資本家に寄生するインテリと、社会革命に魔ざめたインテリゲンチャの議論が開始される。大学の最新思想を学んだホフマンはロオトにたじたじ。その姿をみて、ますますヘレエネはロオトに心を寄せる(まあ実のところはこの場所を脱出する機会を離さずにおくべきかという心情もあるだろう)。
 ここまでの展開は、なるほどこの国においてはさらに40年を過ぎた1930年になってようやく書かれたプロレタリア文学のようだ。人物の輪郭とか性格を書くことには拘泥せず、階級の代表者として表現されるようなところなぞ。そこにおいて解放や自由など未来を目指す思想を語る若いインテリがヒーローになるところなぞ。でも、主人公がヘレエネであるとすると、むしろ黒澤明「我が青春に悔いなし」の前半を思い起こさせる。社会性のなさとか、感情の赴くままもわがままとか、恋を愛する夢想家であるところとか。
 翌日、ホフマンの妻に陣痛が起こる。ホフマンとロオトの旧友である医師シムメルビュエニッヒが駆けつける。難産のようだ。そこであきらかになったのは、妻の子供が胎児性アルコール中毒で死産になるということ。(ここはネタばれでいいよな、まず入手できない本だし)おぞましいことに妻の一家は遺伝性のアルコール中毒なのであった(現在ではアルコール中毒の子供が必ず発症するわけではないとわかっています。とはいえ、妊娠中の飲酒が胎児に悪影響を与えるのは事実なので、妊婦および出産を希望する女性はタバコと共に飲酒を控えてください)。遺伝のメカニズムは解明していなかったが、遺伝の事実は知られていて、とくに病気の遺伝については今日の目から見てひどい誤解が生じていたのであった。この後には、「民族」なるものの優劣を遺伝学で説明しようとするおぞましい「科学」もあったのである。この事実に衝撃を受けたロオト、先ほどまでのロマンティックな心情と革命精神はどこへやら、ヘレエネの愛も一気に冷めて、医師の了解を得て遁走してしまう。それを知ったヘレエネ、絶望してナイフを手に持ち、舞台裏へ。そこに死産の報告が。
 時代かね。社会悪の摘発を目指した文学運動であって、これによって目を開かれた若者も多数いたことだろう。ヘレエネの悲劇よりも、炭鉱労働者の悲惨な境遇(今日の公害病のような疾患にかかっていたり、労働できないとなると即座に馘首され自殺したり)に涙するものもいたはず。しかしだね、君、革命運動を志すものがそのような差別意識や偏見をもってどうするというのだ、彼女を救ってこそ世界革命はなしうるのではないか、と説教する声も自分の中で起こり、どうにもやるせない。今後、復刻されるとは思えないから、このまま呪われた書物として封印してもいいかなあ。

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