odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

C・ダグラス・ラミス「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」(平凡社ライブラリ)

 著者は1932年生まれ。1950年代にアメリ海兵隊にいたそうな。除隊後の活動は解説に書かれていない。1980年にこの国の大学教授になり、退官後沖縄で執筆・講演しているとのこと。この本は2000年初出。911事件の前であり、サブプライムローン問題やリーマンショックを経験していない時期に書かれていることに注意。

第1章 タイタニック現実主義 ・・・ タイトルの比喩は、「現実主義」が現状を変えるな、前に進め、という主張だから。その結果、外部の情報を入手しなかったタイタニックが沈没したよ、その際に運行責任者で無い人が不慮の死に巻き込まれたよ。あと、タイトルでいう「経済成長」はたとえば「所得倍増」であるとの由。
第2章 「非常識」な憲法? ・・・ 軍隊批判とこの国の憲法第9条の擁護。軍隊批判の内容は大江志乃夫「徴兵制」(岩波新書)にほぼ同じなので、詳述しない。9条については、これは実定法であるということと「現実」に交戦しないという実績を出すことができたと指摘する。以下は自分の感想。軍隊については経済からの批判を行わないのが不十分。「人を殺したくない」という理由だけでは軍隊の廃棄、交戦権の廃棄の理由としては弱い。9条については、この国は交戦に参加しない条件を与えられたとみるべき。つまり1960年までは交戦に値する価値を創造していなかったし、それから30年は別のところで交戦していてこの国まで手が回らなかった。さて、この国の価値が相対的に低下してきたときに、交戦を避けられる外部の理由は失われつつあるのではないか、と思う。もうひとつ、9条によって国民の国家への抵抗権が奪われていることは問題。軍隊の常備があるのであれば、抵抗権は認められなければならない。そうでないと国家の「暴力装置」(これを大臣がしゃべって「失言」ということになったが、みんなウェーバーを知らないんだ。不思議)を拒否することができない。最悪の事態のあと、この国の人々がレジスタンスを実行できるか否かにもかかわっていると思うよ。
第3章 自然が残っていれば、まだ発展できる? ・・・ 経済発展は、1)ブルジョア、資本家が金儲けをすること、2)自然を搾取し環境破壊すること、と定義しているみたいだ。でもって、経済発展は貧困を生み出すし、貧困を解決しないという。うーん、この人は経済を知らないのだなあ、彼の定義はほとんどマルクス経済学のテーゼだしね。たとえば自然浸食的でない小規模の商品売買が地域限定で行われると、貨幣の流通量が増えて、それを経済発展というのだが。そういうのは勘定から抜きにするの?あと貧困の原因を経済発展だけにするのもなんだか。絶対的貧困にあるのは、内戦があったり、国内差別のある場所なのではないかな。それにこの国には1940年代後半に絶対的貧困相対的貧困層があったけど、それが数十年して極めて少数になったのはなぜ?
第4章 ゼロ成長を歓迎する ・・・ 2000年になってこの国はゼロ成長になったが、それをチャンスとみましょう。仕事中毒、消費中毒の生活をやめ、労働時間を減らし、経済に入らない活動にもっと時間を使い、人生の意義を取り戻しましょう。そのころはまだ、探せば仕事もあったし、アルバイトだけで生活もできたなあ。ゼロ成長になると、その種の余裕をもった生活ができなくなった。どうも、この人の考える生活はとても余裕のある層を対象にしているね。そこから零れ落ちてしまう人への視線がないのだよな。
第5章 無力感を感じるなら、民主主義ではない ・・・ 民主主義は、1)軍隊と相いれない、2)暇がないとできない、3)賃金奴隷制から解放されないとできない、という主張。で、種々の民主化運動(会社の組合活動、地域の平和運動消費者運動など)に参加しましょう、とのこと。とくに異議はなし。
第6章 変えるものとしての現実 ・・・ 今までの復習とまとめ。


 この国や世界の「常識」とされるものがそうではない、たいていは19世紀生まれのイデオロギーだという話は面白い。労働時間がこれほど長くなったのは産業革命以降とか、民主主義の原義には民衆が「力(パワー:たぶん具体的には抵抗権)」を持つという話とか。でもそれに対抗する彼の「常識」も同様にイデオロギッシュだし、「現実」を矮小にしているのではないかな。そうなっている原因はふたつあって、経済学に無知なこと(俗流マルクス主義は知っているみたい)と、国家を考えていないこと。なので、この本の主張通りに民主化運動に参加することになったとしても、現状追認になってしまうのではないかしら。あるいは、自分は余裕のあるところ(働かなくても収入が確保される)にいて、他の人に奉仕や犠牲を要求するようなインテリの傲慢さをみることができそう。
 社会は変革しなければならない、よろしい。でもこの主張のような運動や変化では社会の仕組みとか資本主義は変わらないだろうし、むしろ反動になるのではないかしら。資産に余裕がある人はこの本の主張のように、資本主義からドロップアウトして自給自足のコミューンで生活選択をできるだろう。ほとんどのそういう条件を持っていない人はそうしていられないのじゃない。彼らの特権的なコミューンは条件を持たない人を排除するのじゃないかと妄想的な危惧を感じる。