odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

和辻哲郎「風土」(岩波書店) 単純で粗雑だから役に立たない書物だが、それなりに評判になったのは渡航できない時代に旅行番組のように受け取られたのだろう。

 高校の春休みに購入したのだが、どういうきっかけだったのか思い出せない。直前に三木清「読書と人生」を購入・読了しているので、この本か国語の教科書に載っている文学史あたりをみて興味をもったのだろう。しかし当時は現象学のことをぜんぜん知らなかったので(高校の倫理社会ではハイデガー実存主義哲学として紹介されていた)、前書きで挫折したのだと思う。
 中年の半ばにはいって読んでみると、不遜ないいかたをすればハイデガー劣化コピーのようだった。著者は戦前ドイツにいってハイデガーの講義を聞いたり、出版されたばかりの「存在と時間」を読んでいたりするのだが、そこに人間存在の基底にあるべき「風土」の概念がないと批判し、そこのところをこの著書で展開している。実際、ハイデガーはのちに「民族」という概念を存在の根本を基底しているものとして持ち出してくるのだから、著者の指摘はそのことを先取りしているのかもしれない。
 すごくシンプルにまとめると、地球上の風土はモンスーン、砂漠、牧場の3つの類型にわけることができる。で、そこに住んでいる人々の思想とか習俗というのは風土に依拠している。端的には、自然を征服・改良する西洋と、自然と調和する日本。西洋の科学技術と日本の芸術という対比ができる。とのこと。
 周辺事項として面白かったのは、著者は1927年から数年かけて欧州旅行(留学?)をしているということ。戦後ドイツのハイパーインフレーションのためにこの時期ずいぶん多くの日本人が欧州にいっている。その中には金子光晴のようなはぐれモノもいるが、著者のように官費で出かける人もいた。哲学者でもドイツに行った連中は多くて、ハイデガーフッサールの講義を聞いている人がたくさんいた。著者はもとより、三木清とか九鬼周三とか、その他多くの学生たち。
 当時は船にのっていくしかなく、そのルートは東南アジア→インド→アラビア半島スエズ運河→地中海というもの。その間に簡単に1ヵ月以上がかかるのであって、アジアのモンスーンとイスラムの砂漠を経験してから、牧場の欧州に行くことになる。その体験がこの本を書かせたに違いない。今の視点からすると、風土の分類をこの3つにまとめることはものごとを単純化しすぎているようだ(この後梅棹忠夫が「文明の生態史観」(中央公論社)でユーラシアの気候と文明を4つのくくりに分けてみて、それなりに評判になった)。実際に本文においても、書かれていることは著者自身の体験に基づいた感想や見聞に基礎を置いていて、多くの情報を集めて分析・抽出したものではない。文章の形態を変えれば、金子光晴の「どくろ杯」「ねむれ巴里」「マレー欄印紀行」とそれほど大きく違ったところにいるわけではない。にもかかわらずこれが評判になったというのは、当時の日本に諸外国の「風土」「文明」に関するレポートが少なかったからで、今の衛星放送の旅行番組と同じ役割を担ったのだ、と思う。
2005/05/18
 その土地と人間の間の関係を考えることは西洋でも行われてきた。プラトンの(アリストテレスだった? あれ?)「トポス」という考えはそういうものだった。でも、デカルト以降(なのかもっと前からなのか)思考の方法が形式化・抽象化するにつれて、特異的で個別的な「場所」を考えの根底に入れることはなくなった。しかも、著者がいうように西洋では人間と自然は切り離されたものであり、人間は自然を支配しようとするのであれば、ますます特異的で個別的な場所の問題を考えることは難しくなる。
 しかるに、と著者は日本の自然そして人間と自然の関係が珍しいものであるということに着目して、西洋の場所を考慮しない考え方を批判する。昭和のはじめ(大部分が4−6年に書かれた。改訂が10−12年)で欧米との対決様相が顕在化していく社会状況があった時期なので、このような日本礼賛型、あるいは日本の特徴が欧米に対して優れているという考えを出すことが人の目に新鮮であったに違いない(それまでの「東洋」を対決させるやり方ではなく、西洋の考え方・思考方法をなぞる形で論を進めていることも目新しいことだ)。
 気になるのは、タイトルの「風土」は西洋のことばに翻訳不可能であること。近い言葉は「環境(circumstance)」であるだろうが、ここには「風土」の持っている土地の「気」の概念が入らない。それこそその場所の特異的な感じを表すのが「風」と「土」という五行思想の考えであって、そこには土地にある宇宙的なエネルギーのようなものがこめられているのだ。そういう考えがないということで、西洋の過去の思想家を切るのは、ちょっと違うのではないか。日本の特質を優位的に描くことで、当時の植民地拡大政策を思想的に支援する役割をになってしまったのではないか、と思う。
2005/05/19
 読了。最後の「西洋哲学史に現れる「風土」概念の変遷」は何をいっているのかよくわからないので飛ばした。学生時代ではないのだから無理をして読む必要はないと判断して。
 冒頭の序言を読んだときにハイデガーの名前がでてきたことに反応したのだが、読了後に感じたのもハイデガーのように存在の根底は何かを問うているということだった。和辻のみたのは「風土」であって、ハイデガーのような民族ではないということ。それは、日本という場所が異民族をもたずひとつにまとまっているという概念に由来し、さらにはそれを可能にしているのがモンスーン型の自然であり、そこにこそ存在の基底があるとみているのだ。このような存在論は日本以外では通用しない。そのことに和辻は自覚的であるように思えた。
 二人の違いはそのまま場所の違いにあるのだろう。統一されて間もないドイツと、他国からの侵略を受けたことがそれまでなかった日本との違い。歴史と支配形態が流動的なところでは概念に頼らざるを得ず、ゆるやかな統一形態であるところでは現実そのものに根底を見ることが可能になるということなのだ。
 この本が書かれてから70年もたっていると、日本の「風土」は激しく変容してしまい、そのまま著者の議論を受け入れることはできなくなっている。そのような変容を実行したのはまぎれもない「日本人」自身であるが、「風土」に書かれた日本人像からは、そのような自然の改変を実行した理由を説明することができない。