odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

武満徹/小澤征爾「音楽」(新潮文庫) リヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」第4部「英雄の業績」の1。世界に追いつき、追い越せたとき、その先のヴィジョンがない昭和一桁世代の典型。

 1979年から1980年にかけての3回の対談を収録。このとき、武満徹50歳(1930年生まれ)、小澤征爾45歳(1935年生まれ)ともっとも精力的に活動していた時期。ふたりとも、かつて(20代前半)は徹夜でいろいろ話をしたことがあるけど、この頃は忙しくてねえと嘆息するのは、同年齢の人には理解できる感情。
 小澤征爾「ボクの音楽武者修行」が30歳直前で終了しているので、その後をこの対談で見ると、トロント交響楽団ボストン交響楽団音楽監督と着実にステップアップ。ベルリン・フィルウィーン・フィル、パリ管などへの客演をこなし、年に数枚のレコードを発売するなど、メジャー・レーベルの信頼を獲得していた時期。またオーディエンスからも支持されていた(一時期はポスト・カラヤンベルリン・フィル音楽監督就任のうわさもあった)。
 武満はというと、作曲家としては国際的な名声。アメリカ、フランスなどで武満の作品だけを取り上げる音楽祭もあったほど。ほかに「今日の音楽(ミュージック・トゥデイ)」の企画と制作を担当してもいた。本をたくさん出版していたな。
 ふたりとも精力的だったんだねえ。さて対談の内容からいくつか。
・1972年のニクソン訪中以降、日中関係が急速に改善。その結果、1970年代半ばから民間人の渡航も可能になる。武満も小澤も中国生まれで敗戦まで満州で育つ。なので、自分の住んだ家を訪れるというのが特別なできごと。あと、中国は建国以後、西洋音楽の演奏を禁止していたのが、四人組の失脚後演奏可能になった。そのとき、西洋楽器は演奏できてもブラームスベートーヴェンの演奏経験のない楽団員がいるという奇妙な事態に。

・話題のひとつは、いかに西洋の音楽家が自分らの音楽をする時に生き生きとしているか。まあ、ベートーヴェンとかブラームスとかを演奏するとき、普段は個々バラバラにあるようでいて実際最初のうちは合わないけど、あるときからぴったり合って厚みのある音をだす。でも小澤が指揮するとなかなかそういう音にならなくて、楽団員から「あんたはキュー(指示)を出しすぎる」といわれる。あとはみんな楽しそうに演奏しているのが印象的という話。それでも小澤が欧米のオーケストラに人気のあるのは人柄と真面目な勉強家であることと、どんな曲でも正確に振れるテクニックの持ち主だから。

・そういう点では小澤の成功は、この国の技術者と同じだなあ、と自分の感想。この国の技術者が欧米の工業品を分解して、パーツを作り、もとの製品よりも性能のよいのを作ってきた。そのときには西洋の工業思想とかデザインとか製品の背後の生活様式などは無視しているわけだ。それと同じように斉藤メソッドでどんな変拍子でも、最大60段もあるようなスコアでも、しっかり指揮できるテクニック・技術を持って欧米にわたり成功を収めたわけだ。それでも、欧米の音楽のなにか真髄とか精神とかそういうものには理解しがたいもやもやが残る。これは彼の前の世代(指揮者の朝比奈隆山田一雄、作曲家の伊福部昭清瀬保雄、評論家の吉田秀和加藤周一あたり)とは異なる異文化理解になる。西洋が優れているとは思わないし、西洋の優れたところと十分に理解しているはず、その技術とテクニックもある、でもなんかもやもやしているなあ、というところ。

・で二人はこの国の文化に対して批判を向ける。矛先は、官僚的な音楽教育、退屈して向上心のない演奏家、文化を支援しない役所、箱だけあって運営がひどい公共施設など。つまりはこの国のシステムがうまく働いていない、能力のある人を生かしていないというわけ。しかし、そのシステムを作るもとになったこの国の思想とかメンタリティには疑問を持たないというか、認識していないというか。たぶん、小澤と武満のものの考え方のベースは、戦後の「追いつけ、追い越せ」モデルの一つの典型だと思う。二人とも敗戦で、極貧生活を送る(武満は肺結核で死ぬ寸前までいった)。そこで育ち、西洋音楽を主な場所として世界に認められる、世界で戦えるようになりたいと決意。それを実現するのが1955年から1980年までの彼らの仕事であったのだろう。二人とも世界に通用するテクニックをもち、世界の競争相手に優越する作品・仕事をして、世界の楽壇でポジションを獲得。それはこの国の高度経済成長をステップを一緒にしている。で、世界に追いつき、追い越せたとき、その先のヴィジョンがないことをはからずも露呈したのかも。この対談の華やかさ(ふたりとも世界の一流音楽家の交友関係とエピソードをたっぷりと話してくれる。それは全然関係ない自分でも一緒に興奮できるのだ)のうしろにあるのは、そういう空虚さかな。

・で、小澤は「キューを出しすぎる」指揮を変えたかというとそういうことはなく、ある年以降は仕事の中心をこの国に置くようになる。武満は65歳という若さで亡くなったけど、30代のきらきらした音色と厳しい緊張感をなくして、1990年以降の作品は耳に心地よい(つまりは伝統的な和声の体系に準拠する)音楽に変わっていく。それをよいとも悪いともいえない。まあ、昭和一桁世代のある典型をみるようでした。

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2024/2/9
指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 戦後日本のクラシック界を牽引
 世界の楽壇の第一線に立ち続け、戦後日本のクラシック音楽界を牽引(けんいん)した指揮者の小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが6日、心不全で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会を検討しているという。
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あらためて小澤征爾の仕事を振り返ると、バーンスタインカラヤンロストロポーヴィチら年上の音楽家の息子分、弟分だったときがもっとも生気があった時代で、彼らを失って自立しなければならかくなったときに手本がないので迷走していった感。彼の一世代上の朝比奈隆山田一雄のような大人の風格をついにもてなかった。
あと、「世界のオザワ」になった背景には、1960年代の欧米のクラシック音楽界が若いアジア人指揮者を求めていた。存在の目新しさで客が入っていて、オーケストラが求めていたから。21世紀の20年代にはアジア系の若い女性指揮者が求められているのと同じ状況。もちろん実力や勉強熱心やコミュニケーション能力などもあったろうが、時流にのれるタレントになれた幸運があった。小澤も武満も戦後日本の隆盛と迷走をそのまま体現したかのような生涯だった。
ともあれ記憶に残る良い演奏をありがとう。お疲れ様でした。