odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エドウィン・フィッシャー「音楽を愛する友へ」(新潮文庫) 「精神」がキーワードになるドイツ教養主義を体現したドイツのピアニスト。

 作者は1886年生まれのドイツのピアニスト。主要レパートリーは、ドイツの作曲家。戦中はドイツに在住し、フルトヴェングラーと共演している。1960年に死去。多くの録音が残っていて、下記のサイトでダウンロードできる。
クラシック音楽mp3無料ダウンロード 著作権切れパブリックドメインの歴史的音源
 古い音楽ファンに名盤とされていたのは、平均律クラヴィーア曲集、「皇帝」、ブラームスのピアノ協奏曲、ベートーヴェンシューベルトソナタブラームス室内楽など。戦後のザルツブルグ音楽祭の常連で、吉田秀和も彼の室内楽コンサートを聴いて感銘した旨の感想を書いている(「音楽紀行」中公文庫)。

若き音楽家への挨拶 ・・・ ピアノ教室での挨拶ということらしい。若い演奏家に求めるのは、自己自身に戻れ、そこで永遠の美・力・偉大を体験し、力の流れを自分の生命・行為・芸術の中に高まらせよ。個人の精神を芸術の精神の流れの中で神々しいものとせよ。こんな主張。「精神」がキーワード。

芸術と人生 ・・・ 芸術と人生は一つの一体をなすという。だが、日常=物質的生活、世俗化でもって人生は退廃するのであって、ここに芸術があり、非日常=精神的生活、自己自身への観照によって生死の彼方にある永遠なるものを到来することができる。芸術に携わる者は、この精神に向けて鍛錬しなければならない。この図式から見えるのは、ヘーゲルとかショーペンハウエルなのだろうなあ。

楽曲の解釈について ・・・ 演奏者は作曲家の精神と作品の生命を媒介する。作品はそれ自体が成長する(から演奏者はその内なる生命が伸びる契機をつかまえなければならない)。作曲家が作品を構想していたときに霊感を受けていた状態に自分の身を置く。そして自己自身に耳を傾ける。というのがポイント、なんだそうだ。

モーツアルト ・・・ モーツァルト賛。これを読むと、当時(たぶん1940年以前)はモーツァルトはそれほど「偉大」とは思われていなかったのではないかな。ベートーヴェンの「精神」を前にすると、その無邪気さと飛翔感はいささか軽すぎる、と。

ショパン ・・・ ショパン賛。祖国愛と美への高潔な志を賞賛。

シューマン ・・・ 悲愁とメルヘンの音楽。

ベートーベンのピアノ曲集 ・・・ 最近(たぶん1930年代)のベートーヴェンピアノ曲演奏は細部に拘泥しすぎ。もっと全体の構成と作曲者の霊感に注意を向けよ。批判先は当時新進気鋭で若手のギーゼキングとかバックハウスとかケンプかな。テオドール・アドルノ「楽興の時」の「新しいテンポ」に似た主張。

バッハ ・・・ バッハ賛。これを読むと、当時(たぶん1940年以前)はバッハはそれほど「偉大」とは思われていなかったのではないかな。戦前のバッハ録音は作品数に比して極めて少数。フィッシャーは平均律クラヴィーア曲集を最初に全曲録音したくらいにバッハを敬愛。
2014/02/19 フォルケル「バッハの生涯と芸術」(岩波文庫) 1802年


 カザルスやフルトヴェングラーなど19世紀生まれの音楽家が持っていた芸術観を典型的に、しかもわかりやすく描写。やはりキーワードは「精神」だな。このヘーゲル的な観念が芸術と人生の基盤となるもので、この偉大で永遠なるものに触れ、自己変革を成すことが決定的に重要なのだ、という考え。別のところで書いたけど、芸術と道徳とか宗教とかが20世紀前半に分裂して、芸術の世俗化が行われた。そのとき、このような19世紀の音楽家の芸術観は捨てられることになった。なので、21世紀の我々にはなかなか理解が難しい。フィッシャーの演奏もテクニックは万全ではなく、音色も少なく、歌わせ方も素朴そのものであって、今日的な評価では「下手」になるのだが、その朴訥とした演奏の世界を共有できる心持ちを持てると慈愛のあるものに聞こえてくる。
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付:音楽の道徳的ちからについて(ブルーノ・ヴァルター) ・・・ 1935年のウィーン文化協会での講演。音楽には人に美と善を喚起する力を持っている。なんとなれば音楽は「宥和」を最後にもたらすのだから(無調音楽の実験は音楽の本質に反している)。さらに、音楽は高次な道徳と倫理的な愛を表現するときもっとも美しい(ワーグナーのトリスタンとアルベリヒ、ベートーヴェンのレオノーレとピッツァロ、モーツァルトの伯爵夫人とバルトロを比較するのだが、ここはフェアではないよなあ)。この図式的な議論はとくにきくべきところはないけど、時代と場所を見るなら、そこにナチス批判が入っているのはあきらか。政治を芸術化すると豪語するナチスの政治思想=芸術思想に対して、上記フィッシャーと同じ19世紀の「芸術と精神」で批判しているわけだ。フルトヴェングラーも「音と言葉」でウィーンフィルを語りながら、同じ批判を展開していたと思うので、併せて読んでおきたい。
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 ワルター/ウィーン・フィルの戦前の演奏には、モーツァルトの38番、41番、レクイエム、ピアノ協奏曲20番、ベートーヴェン「田園」、シューベルト「未完成」、ブラームス3番、マーラー大地の歌と9番など。パブリックドメインで入手可能。レクイエムの合唱のおどろどろしさ(暗く情念のこもった音色、ポルタメントの旬出する歌唱法など)は、昨今のピリオド演奏では聞かれない。時代のドキュメントとしてとても面白いので、強くお薦め。
モーツァルト レクイエム ワルター指揮ウィーンフィル(1937)
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ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」全曲 ワルター指揮メトロポリタン・オペラ歌劇場(1941)
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