odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ホセ・マリア・コレドール「カザルスとの対話」(白水社)-2

一時期絶版だったけれども、新装版にかえて流通しているらしい。慶賀のいたり。感想をエントリーにしたことがあるけど、再読したので、もう一度感想をまとめておく。

フランコ政権樹立後、スペイン国境に近いプラドの村にカザルスは隠遁していた。そこにアレクサンダー・シュナイダーの説得その他の援助が加わって、1950年に第1回の音楽祭が開かれる。この対話は1954年に出版されたが、著者(編者)はカザルスの秘書を務めていた人で、おそらく音楽祭が始まったころからのたくさんのインタビューを構成したものだろう。また、彼のもとには様々な弟子がいたようだ。翻訳者の佐藤良雄は当時、プラドに常在していた弟子のひとり。なのでこの本には翻訳者が撮影した音楽祭ほかのスナップ写真が収録されている。その中には、アイザック・スターン/アレクサンダー・シュナイダー/ミルトン・ケイティムス/ミツロン・トーマス/パブロ・カザルス/マドリーヌ・ファーリーのリハーサル写真があって、これがブラームス弦楽六重奏曲第1番」になったのかと思うと、感慨深い。スターンが若いし、マドレーヌ・ファーリーが美人だし(今風ではないけどね)。
(演奏は上記のもの。映像はルイ・マルの映画「恋人たち」から。)
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・冒頭からしばらくは彼の半生記。多くのエピソードが語られていて、それはアルバート・E・カーン「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」(朝日新聞社)にも使われている。
・前半の読みごたえは1914年以前のベル・エポックの時代。なにしろ録音を残さず、文章も紹介されていない演奏家や作曲家が生き生きと描写。とりわけ、ティボーの家に集まった私的演奏の顔ぶれがすごい。第1ヴァイオリン=クライスラー、第2ヴァイオリン=ティボー、ヴィオラ=イザイ、セロ=カザルス、ピアノ=ブゾーニコルトーだって!五味康祐が感激して、「音楽巡礼」(新潮文庫)にいくつかエッセイを書いている。ほかにもアルベニスグラナドス、ファリャ、サン=サーンスフォーレドビュッシーラヴェルシェーンベルクなどたくさんの作曲家との交友が語られる。カザルスが19世紀人であることを実感。
・音楽というのは、この人にとっては身体を通じて「理解」するものであったことに注意。ラジオやレコード、あるいはコンサートで聴取するものではないし、譜面を読むことではない。ピアノとセロ(この本の表記に従う)を使って音を出すことが肝心。音楽の「自然」「生きた」という言葉をこの人は良く使うが、それは観念ではない。たぶん、ここでいう自然というのは運指や弓使いなど身体の動かし方が、人体の稼働範囲で無理なく、痛みをもたらすものではないやりかたであり、「生きた」音楽というのはこの身体の動かし方と和声やメロディの発展に無理がなく、人工的でないということなのだろう。その点では、彼は徹底的に身体の暗黙知を駆使する職人肌の人。その点では、即物的。ただ、19世紀と思うのは、このようにして身体的にとらえた音楽を演奏することは、作曲家が作品に込めたイデアをとらえて表出すること、そのイデアは作品を繰り返し勉強することで自我に自ずと現れてくる、という。さらに、この人は「音楽」の発展はみとめないにしても(なにしろバッハからベートーヴェンですごい高みにのぼりそのあとの作品は退廃や感傷癖のあるものだというからあ)、作品を繰り返し解釈した歴史のためにのちの人ほどより深く作品のイデアをとらえられ、かつ楽器のテクノロジー(製作と演奏技法の両方)で獲得したものは積極的に使うべしというので、作品解釈の深化は認める、というわけ。なので、古楽器の再現は意味はないし(繰り返されるのはベートーヴェンの時代の管楽器は調律されていないので音がでたらめだったということ)、楽譜に手を入れたり、書かれていない表現付けをするのはかまわないと主張する。この考えをすんなり認めるのは、21世紀にはなかなか難しい。
・とくに作曲においても「自然」さを求めるので、彼の目からするとドビュッシーラヴェルには退廃が見られ、十二音技法とか表現主義というのは技巧に走った人工的な音楽で、人間の感興を喚起することはない、という主張。これを老人の繰り言とみるか、1990年以降の旋律や和声を復活させた現代音楽の先駆的な提言とみるか(こちらはちょっと無理かな)。
・後半はプラド音楽祭と人道支援について。リベラリズムナショナリズムコミュニズムかという20世紀の政治思想の枠でものごとを考える人ではなかったなあ。なにしろ、セロ演奏家のキャリアを始められたのはスペイン宮廷の支援があってで、ずっと国王一家との交友があり、内乱のころにも宮廷を気にかけていたのだから。表現や移動の自由を認めてくれれば、政体はなんでもかまわない。でもそれを抑圧する政体(当時だとファシズムコミュニズム)には対抗する、という素朴な立場だった。あとは彼もまた故国を喪失した、亡命することになったという体験も重要なのだろう。表立った非難はしなかったにしろ、戦後のフルトヴェングラーには厳しかった。
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・カタロニア生まれで育ったというのも重要なのかな。スペインというステートよりも、カタルニアというネーションが重要であるという場所と意識だから(この国ではステートとネーションと区別するのは難しいけど、例えば沖縄やアイヌを想起すれば、カザルスの考えに親しめるだろう)。なので、彼の良い思い出は1900年初頭のベル・エポックの時代と1920年バルセロナの労働者音楽協会になる。のちにプラドやマールボロの音楽祭で自前のオーケストラをさかんに指揮したのは、1920年代の夢をかなえるため、といえるかな。