odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

パトリック・クェンティン「二人の妻をもつ男」(創元推理文庫)

「ビル・ハーディングは、現在C・J出版社の高級社員として社長の娘を妻に迎え、幸福な生活を送っていた。ところがある晩、偶然に前の妻、美人のアンジェリカに会った。この時からビルの生活には暗い影がさし、やがて生活は激変し、殺人事件にまきこまれていく。英米両国の全批評家絶賛になる、新しき古典ともいうべき作品。」
[ 二人の妻をもつ男 - パトリック・クェンティン/大久保康雄 訳|東京創元社]


 上記のサマリに補足すると、ビルは戦争後退役してから小説を書いてヒットさせた。そこで妻アンジェリカとヨーロッパに行き、第2作を書こうとしたが失敗。なにもしないビルに愛想をつかしたか、生来の尻軽さのためかアンジェリカはビルの元をはなれてしまう。外遊中のC・J出版社社長と知り合いになり、ビルは上記のように社員になり(宣伝部だったかな)、カリンガムの娘ベッシイと結婚した。それから3年。ニューヨークの場末のバーでアンジェリカに再会する。アンジェリカはジェイミーという作家志望のぐうたらものと同棲していて、DVを受けていて、しかも一文なし。いっぱいの酒をおごったのちに、別れるつもりであったのに、再びバーで会ってしまった。そのときジェイミーをC・Jに紹介しろ、小説を出版させるようにと依頼する。ジェイミーはその機会を逃すことなく、さっそくC・Jの蓮っ葉な娘と婚約することに成功。アンジェリカは深夜ビルをアパートを訪ね(そのとき妻は出張中)、田舎に帰るための金を無心した。翌日、ジェイミーが銃殺されているのが発見された。
 C・Jは混乱していた。射殺された晩、娘ダフネはジェイミーとレストラン、バーをはしごするのを目撃されていた。そこで一夜のアリバイの証人になることをビルに頼む。アンジェリカのことを隠さなければならないビルは承知する(C・Jは副社長にするという口止め料を払った)。ここまでで半分。
 後半は、心理サスペンス。ジェイミーの周辺を洗ううちに、アンジェリカの存在が浮かび上がり、しかもビルの元妻であることも知られる。ついにアンジェリカは重要容疑者として拘留された。ここでビルの葛藤。彼女の無実であることはよく知っているが、その証人になることはC・Jとの約束を破ることであり、妻に不貞を知られることであり、この数年で獲得した地位や資産を失うことを意味する。アンジェリカを愛しているのか、どういう意味を持っているのかという猜疑のうちに、ビルは正義を貫くことを決意。残り4分の1は怒涛の展開。事件の様相は変わりアリバイ工作が無意味なものになるわ、C・Jの一族の秘密が暴露されるわ、大企業の歯車であることの悲惨さが強調されるわ。そして意外な犯人が指摘される。
 凝ったストーリーだった。舞台はクイーンおとくいのブルジョア階級におこる家族の事件であり(「緋文字」「三角形の第四辺」など)、ゆえなく犯罪に巻き込まれ不安にさいなまれる(自身が逮捕されるのではないか)というのはアイリッシュのテーマであり(「黒いカーテン」「暁の死線」など)、家族の秘密が暴露され父権が失墜するというのはロス・マクドナルドの世界。創元推理文庫では「サスペンス・スリラー」のマークを付されているが、解決の意外性は本格のアイコンを付けることも可能。なるほどこれはどちらの分野からみても「傑作」であるだろう。
 カッコつきの評価にしたのは、原作がいささか長すぎること。ほとんどアクションや事件が起こらない展開で、ビルの心象風景が書かれるというのは冗長。解説の植草甚一は冗長さも文学性に必要というが、そういう評価はこの作家にはいらないのではないかな。それから翻訳の文体もいささか重厚で重苦しい。なるほど英米文学翻訳の泰斗(大久保康雄)の筆ではあるが、主人公ビルは思想を持つわけでも社会批評をするわけでもなく、社会経験に乏しく、小説家崩れのコンプレックスを持ったいわばガキであるから、もっと軽い文体でないと。そうして、あわせて全400ページを300ページほどの圧縮してよいのでは。あるいは、別の第三者の視点でこのストーリーを語ると、ビルおよび彼に関係する様々の家族の葛藤が文学的に浮かび上がっただろう。そうなるとロス・マクドナルドとの差異はなくなるけどね。
 あとタイトル「二人の妻をもつ男」は一体誰を指すのでしょう? というのを読後に考えてみると面白い。

  

 初読は中学3年生。別れた妻への愛慕や現在の妻へのうしろめたさ、複数の女性の不倫関係などわかるはずもなく、退屈な読書だった。休憩時間にカバーを付けずに読んでいたら、いきなりクラスメイトの女の子が「hatch、エロい本(そういう言葉はなかったけど、どう言われたのか忘れた)を読んでいるのね」と声をかけてきた。直後に他の女の子たちの笑い声。王様ゲーム(そういう名前はなかった)の罰ゲームでそんなことすんなよ、マジ迷惑(笑)。