odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ヴィクトル・ユゴー「死刑囚最後の日」(岩波文庫)

 1829年(著者27歳)に匿名で出版され、2年後の再販時にユゴー自身が序文を書いた。
 ミステリでいうなら、事件は解決した。しかし関係者には重苦しいしこりが残った。なぜ犯人はあのような事件を起こしたのだろうと内省する。ここで「エンド」の文字がはいる。しかし、この小説はここから始まる。30代のインテリ男性。おそらく重婚のからむ何かの犯罪を犯したのだろう。裁判の判決は「死刑!」。彼には残りの生存時間が計算できる。再審申請に○日、役所で遅滞するのが○日、大臣のところで遅滞するのが○日、再審が拒否されて、刑が執行されるのがそれから○日後、合計○日間。という具合。その間の心理をつづったのがこの小説。次第に追い詰められていく心理が詳細に書かれている。もちろん読者はこのような心理を体験することはないのであるが、それがリアルであると思うくらいの迫真的な描写。
 自分は死刑制度についてよく知らないので、ユゴーの主張する死刑廃止について云々しないことにする。なので、別のことで気が付いたことを気ままに。
・書かれた時期は、ナポレオンの失脚が明瞭になり、王政復古の期待が高まるころ。フランス「神々は渇く」岩波文庫にあるように、過去40年間は革命の時代。すなわち血を求める時代で、多くの思想犯(とみなされた人)がギロチンで処刑された。ユゴーの批判の第一はここにあることに注意。そして、当時の器具はどうも手入れがなっていないらしく、時としては数回巨大な刃を囚人に落とすこともあった。すなわち、侵した罪以上の残虐を死刑囚に加えていたのではないかという恐れ。さらには貧困者、弱者に対する判決がそうでないものよりも過酷になる傾向もあるのでは。このあたりの背景は現在の死刑廃止論とは異なる状況なので把握しておきたい。
・死刑囚の心理を想像するとき、自分は対照になる場合として、自殺と収容所と考えた。そうすると死刑囚とその二つの違いはいくつかあって、1)いつどのように死ぬかがあらかじめわかっていること、すなわち希望はないということ(収容所の囚人との違い)、2)死を決定するのが他者であり、自分はそれに抵抗できないこと(自殺は決定権を自分が持っている)、あたりかな。そこから先の観念的な思考は別の人に譲るとして、とりあえずサルトル「壁」ドストエフスキー死の家の記録」、フランケル「夜と霧」などと対比しながら、死を目前にすることに思いをはせておきたい。
・これが最初の例ではないにしても「私」が自分の心理を具体的に分析、文章化するのに驚き。同時代のプーシキンやホフマンなどの小説と対比すると、この小説の「内面化」はおどろくほど「現代的」。周囲の状況の違い(死刑囚その他の囚人を見世物にするとか、獄房が石造りの粗末なものであるとか、パンを盗んだ男が実刑になるとか)をのぞくと、ほとんど現代といってよい。「私」という書き手が内面を発見したのではないか、というより「私」を語り手にすることによって内面が作られたのではないかと妄想した(書簡小説が前世紀にあったことをとりあえず棚にあげておく)。
・そういう発見はホフマン「牡猫ムルの人生観」にあったなあと思いつつ、ここはやはりフランス産のほうがより緻密で現代的であるというにとどめる。