odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「作家の日記 上」(河出書房)-3(1876年下半期)「宣告」「おとなしい女」 露土戦争(1877-78年)を控えてドスト氏は「近東問題」を語る。

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 上半期から「近東問題」が話題になっているが、これは露土戦争(1877-78年)を控えてのロシアとトルコの緊張を指してのこと。調べないで、記述から推測されることを書くと(ドスト氏がちゃんとレポートしないので)、オスマン・トルコが勢力拡張をめざしてバルカン半島に進出。ヘルツェゴビナなどでヨーロッパ勢力と衝突。ロシアは同地のスラブ人保護を名目に対峙するとともに、黒海制圧をもくろむ。くらいの状況。この二大国の拡張政策は周辺諸国の緊張を招き、ことにドイツ(プロシャか)は反発している。そこで民族感情を逆なでされたドスト氏はドイツにも怒りを向ける。ドスト氏としては、ロシアの決定に介入されることは気分を害するいやなことであり、民族統一の妨げであった。そのようなヨーロッパはロシアを理解しない/できない。ロシアの優秀性はキリストの真理と愛による大同団結にある。しかるに、ロシアのエリートやインテリは西洋主義にあり、民衆と乖離・分離していて、団結を妨害している。ドスト氏はそれをも陰謀とみたりもする。なんでドスト氏はロシアと自分を同一視しているのかよくわからないし、皇帝にもいっさいふれないのもよくわからない。それでもドスト氏はロシアの団結のために、トルコとの戦争を期待している節がある。このあたりのドスト氏の思想は曖昧模糊としている。狂的な愛国主義者にはありがち。

宣告(10月) ・・・ 論理的自殺者@ドスト氏のひとり語り。退屈のために自分が生きている意味を喪失、人類に希望を持つ。でも、「おれ」を生み出した自然を呪詛して、自殺することにした。この話に批判が集まったので、12月号で反論。批判と反論はおいておくことにして、この男の独我論は、自分の価値を低くみて代わりに人類という観念に意味と価値を見出す。そのような転倒によって現実の存在よりも観念の価値を上にしたので、現実にあるもの(自然、民衆、生活など)を嫌悪し、憎悪するようになる。このような肥大した観念には「革命」「国家」「神」「超越者」などが入り込み、他者への攻撃の理由になる。多くの「革命家」「愛国者」のたどる心理。それをドスト氏はしっかりと把握。とても先駆的な認識。
(小説の中でも政治記事の中でも、ドスト氏は自分(および周囲の人々)と地球や宇宙について語るが、その途中にある共和国とかコミュニティなどがすっぽりと抜け落ちている。近代国家生成の過程にあるのでこういう観念はまだ生まれていない。共和主義や民主主義の実践も行われていない。それが反映していると思うが、コミュニティや国家があいまいで存在しないかのようになっているので、ドスト氏も創造したキャラクターも極端な考えや抽象的な考えにいきなり到達してしまう。)

おとなしい女(11月) ・・・ 冒頭でドスト氏があますところなく解説している。身投げした妻の遺体を部屋に収容した中年の夫、動転して、支離滅裂、時間順序が混乱した独り言を延々と続ける。20世紀のことばでいうと「意識の流れ」のような手法。ドスト氏によると、ユゴー「死刑囚最後の日」1829年ユゴー27歳)に先例があるという。
 男の繰り言を時間順序通りに再構成して要約すると、若い時に決闘を忌避したことで不名誉除隊になった男、数年の放蕩の後、一念発起して商売を始め成功する。41歳になったとき、16歳の少女を妻にした。男は熱烈に妻に求愛し、受け入れられる。妻の望んだ新婚旅行を男は拒否。その後も妻の願いを拒否し続け、妻は次第に口数が少なくなる。男は妻を尾行。ある若い男を部屋で一緒になっているのを盗聴。ピストルを出して若い男を追っ払う。その夜、妻は寝ている男のこめかみにピストルをつきつける。起きた男は気づかないふり。熱病で数週間寝込んだ妻、「あたしはあなたの忠実な妻になって、あなたを尊敬します」といい、その直後一人になったときに身を投げる。
 こうやって出来事を第三者からみると、男の支配欲や権力欲が高じて(それも軍隊時代の不名誉に対して「社会に復讐してやる」というルサンチマンに基づく。また質店経営で周囲から疎んじられることへの反発もある)、女を抑圧し続けた(「女には独自性がない」という理由)ので、女が抗議した。ただ、その時代の男尊女卑社会では自殺という手段しか抗議の方法はなかった。そういう女性嫌悪の身勝手さが醜悪に書かれている。どうにも男に感情移入ができない。ドスト氏は男声が行う女性や子供への暴力やネグレクトに憤り、抗議している(ときに裁判のレポまでして社会に影響を及ぼす)ので、男性の醜悪さを暴露、弾劾する意図があるのだろう。と、この後味の悪い小説を読んで思う(「地下生活者の手記」の書き手が質店を営み、結婚したと思いなせえ。うまくいくはずないわな)。
 技法は円熟のきわみ。動転から消沈、高揚から弁明までの男の心理の動き方の描写はみごと。朝が近づくにつれて、遺体を搬出するというゼロ時間に向かうにつれて焦燥と消沈が交互に現れ、支離滅裂になっていく。これは倒叙型の犯罪サスペンス。


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フョードル・ドストエフスキー「おとなしい女」第1章(米川正夫訳)
フョードル・ドストエフスキー「おとなしい女」第2章(米川正夫訳)