odd_hatchの読書ノート

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開高健「ずばり東京」(光文社文庫)

 1963年から1964年にかけて「週刊朝日」に連載されたルポ。毎回15枚くらいで、東京のあちこちにでかけて現在進行していることをデッサンするという仕事。競馬場の下から都庁(有楽町駅前にあったころ)の上まで。紙芝居屋や河渡しから工業倶楽部のトップまで。練馬の農家から羽田あたりの下水処理施設まで。東西の端がどこかはわからないけど、まあいろいろでかけている。オリンピック開幕直前でいたるところでトンカン、ドンガチしていたころのこと。昭和38年というある一年を切り取った小文集。

「近代化、国際化、急速な人口流入…。1960年代前半、東京オリンピックに沸き立つ首都は日々、変容を遂げていった。その一方で、いまだ残る戦後の混乱、急激な膨張に耐えられずに生じる歪みも内包していた。開高健は、都内各所を隈無く巡り、素描し、混沌さなかの東京を描き上げる。各章ごとに様々な文体を駆使するなど、実験的手法も取り入れた著者渾身のルポ。」
ずばり東京 開高健 | 光文社文庫 | 光文社

 著者が言うには、文体練習を兼ねていたということで、子供の作文、夫婦の会話、谷崎潤一郎「卍」の文体模写、草紙風戯作文などなどが使われる。彼のものを見る目や言葉の選び方などをふくめて、これはもう堪能するしかないものでしょう。まあ、週刊誌に書くということで多少は筆も鈍るところがあって、横田の騒音問題(アメリカ軍の演習だ)とか糞尿処理(当時のことで下水の普及率は20%もない)などは問題の提示だけ。そこはそれ、ということで。
 宮本常一「忘れられた日本人」、柳田国男遠野物語」などが出版されたとき、それは俺の子供時代か親の時代のころの話だ、リアルなことだと感じる読者がいたように、この雑文集を読んだ時、ここに書かれているのは俺の子供時代か親の時代のころの話だ、リアルなことだと感じたものだ。それは自分の半生が書かれた時代とクロスしているから。
 だけど、今となっては「忘れられた日本人」「遠野物語」は民俗学の資料として読むことになり、すなわち書かれた内容が読者の生活と縁が切れてしまった。おそらく平成生まれの若い人にとっては、この「ずばり東京」も民俗学の文献になるのだろう。あと少し(まあ20-30年)すると、この本はだれか研究者の注釈と写真が入らないと理解できないものになるのではないかしら。上記の旧都庁の混雑とか競馬場のうらぶれ方というかすえた雰囲気とか、当時の若者の言葉使いやファッション、失われた職業(上記)。一方で、自民党の党首選挙の様子や企業のなんとかクラブのスノビッシュで軽薄な感じは今でも変わらないという感慨をもたらすだろうし、まあ面妖なところなのだよ、東京というところは
 2020年を前に、「ずばり東京・再度」をやってみたらどうかしら。だれかチャレンジするライターはいないかな。