odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

東野圭吾「ダイイング・アイ」(光文社文庫) バブル崩壊後の20世紀末日本はまだ浪費が可能なほど「豊か」だったのだなあ(嘆息)

「雨村慎介は何者かに襲われ、頭に重傷を負う。犯人の人形職人は、慎介が交通事故で死なせた女性の夫だった。怪我の影響で記憶を失った慎介が事故について調べ始めると、周囲の人間たちは不穏な動きを見せ始める。誰が嘘をつき、誰を陥れようとしているのか。やがて慎介の前に妖しい魅力に満ちた謎の女が現れる。女の正体は、人形職人が甦らせた最愛の妻なのか?

ダイイング・アイ 東野圭吾 | 光文社文庫 | 光文社

 雨村におきたことは、まず交通事故の記憶がすhiっぽりと抜けていること。とても重大な何かがあったはずなのに、思い出せない。それを聞くと、勤め先のバーのママも、その仕事を斡旋したバーの経営者も、知り合いのバーテンダーも、同棲する女も一様に口を閉ざす。同棲している女はあるとき、失踪。その前には部屋の中がきれいに片付けられていて、勝手がわからない。
 バーには黒い服の女がやってきて、雨村のつくるカクテルを飲んで帰る。その表情に魅せられて、雨村は彼女の後を追おうとするが正体がわからない。携帯電話をもらって、着信をまっていると、女は瑠璃子となのり、高級マンション(当時億ションという言葉があったかなあ)に誘う。官能の一夜。そのあと雨村は監禁されてしまう。
 だんだんサマリーを書くのが面倒になってきた。端折る。交通事故で死なせた女性の夫が雨村を襲撃したあと、自殺する。生前、夫はある会社の社員と接触していた。仕事のマネキン作りの腕を買われて、亡くなった女性のマネキンを作っていたのだ。その会社の社員もまた雨村を避け、しかし重要な一言を思わず口にする。「事件」はあの交通事故にあり、その記憶を取り戻しつつあるとき、雨村に天啓が訪れ、しかし「事件」の隠蔽のために危機が迫る・・・
 記憶を失った人物が目覚める。そこにある周辺との強烈な違和感。そこで人物は自分の正体をしるために、探偵になって捜査を始める。事件は「自分」自身だ。という物語では主人公の焦燥と不安が強調される。それはアイリッシュがうまかった(「黒いカーテン」)。ジャブリゾの女性主人公でも周りの不気味さに狼狽する(「シンデレラの罠」)。この小説では、こういう感情はあまりない。自分のアイデンティティを持たないことは共同体への所属意識を失うので、自信喪失や所在なさの感情を持つのだけど、彼はそういうことはない。バーテンという職業と同棲相手がいるという帰属する場所があるせいか。
 交通事故被害者がマネキン製作者であるとか、雨村の前に現れる黒い服の女が人形じみた行動性向をもっている(感情をあらわさないとか身分を明かさないとかすぐに誘惑するとか)ので、「人形」への愛もサブテーマになる。ホフマン「砂男」リラダン「未来のイブ」等を想起。21世紀にはだいぶ精巧な人型ロボットができたが、まだ「不気味の壁」を突破できないので、リアリズムで書くととても違和感。なので、ラストシーンはルヴェルの「夜鳥」にあるような残酷童話風の結末。
 という具合に、本書よりもそれから想起した他の本のことばかり考えていた。リアリズムで書いているのに、骨格がファンタジー(というかおとぎ話)なところに齟齬を感じていたからだろう。「事件」の構図はなかなかよかったのに(ハイスミスやブラウンのあるアイデアをひねったもの)。
 単行本になったのは2007年だが、雑誌連載は1998年とのこと。それを2018年に読んだ。ああ、20年前の日本はまだ浪費が可能なほど「豊か」だったのだなあ。毎晩バーに行ったり、ホステスを侍らせたり、会社の社長が億ションのワンフロアを購入していたり。こういう成金趣味は好みではないが、なるほど自分も付き合いで銀座や六本木の小説に出てくるような店に行ったものだ。それが21世紀の10年代では・・・(付け加えると、1998年ころはアジアの通貨危機山一證券拓銀破綻、銀行の貸しはがしなどが起きている不況の最中)。あと、主人公の男の言動が女性嫌悪ミソジニー)を露骨に現している。ほかの男も同様。ここも主人公に感情移入できなかったところ。