odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

石川淳「白描」(集英社文庫)

 昭和14年1939年に連載された。

 物語のときは昭和11年夏。場所は東京。まず鼓金吾なる青年が登場する。木彫り職人の息子で無学な少年だ。父が彫った木彫りを納品する工芸品店の中条兵作の奸計で、田舎家の留守番に仕立て上げられる。そこにはアルダノフとリイピナという亡命ロシア人がこもっていて、ときおりドイツ人建築家クラウス博士夫妻が訪れる。博士は桂離宮小堀遠州の美を発見し、この国の美術評論界に衝撃を与えたが仕事の依頼はなく無聊をかこっている。中条のもとに死んだ友人の娘・一色敬子が現れ、友人の遺産返還を要求する。金吾はリイピナの描いた敬子の肖像に心奪われる。敬子の後見人はやはり中条の友人であり、飛行機(製造?販売?)業で成功している花笠武吉。彼はクラウス博士を支援していて、避暑中に暴漢におそわれたのを開放することから、アルダノフとリイピナ夫妻の家に来て、そこで金吾の彫刻家志望を知る。中条はすでに資金繰りに行き詰まっていて、そこに金回りがよく芸術家の支援をする花笠が憎い。いよいよ行き詰った時、脳卒中で倒れる。クラウス博士を襲った暴漢の知り合いである画家・盛大介は西洋帰りで目下売出し中。なぜか作品を書かない。アルダノフとリイピナ夫妻は中条の立ち退き命令で途方に暮れるが、花笠の支援でそのまま居住することになり、二人は芸術に頓悟する。盛は自作展示会を開くも、招待客は花笠ひとりのみ。クラウス博士はペルシャの要請で記念建築の設計を任される。その歓送会で、盛は突如自殺。敬子はアメリカに向けて出発。アルダノフとリイピナ夫妻は帰化することを決意。鼓金吾は第一作の牡丹を盛に酷評され、北京に雄飛する。

 こうまとめると、いったい主人公はだれ?となるが、じつのところ「主人公」はいない。とりあえず人々の交通の結節点になるのは花笠武吉になるが、彼は物語を通じて変化しないし、成長しないし、葛藤はないし。主人公たる資格にかけている。ただ物語のほぼ全貌をすることができそうな立場。他の人はというと、変化や成長があり、葛藤はあるにしても、物語の中心にあるものはいない。群像劇?いや、何かの集団のやり取りなぞなく、小説の場所にぽんとおかれたそれぞれの個があるだけ。解説の佐々木基一は「人物が飛び出していく(うろ覚え)」と書いているが、実際その通りで、花笠を除いて全員が小説の場所から離れていく。その抜け出すこと、その運動だけが書かれていて、それぞれなにごとか運動の理由を述べてはいるもののそれは本心とか真実とかから遠い。盛のいうように自殺という高度な逃避ですらその理由は本人にも不明。
 でも、その運動のもとになる力のでどころはわかっていて、すなわち「芸術」。これも作家には自明であるかもしれないが、読者である俺にはさっぱり不明の概念。なるほど、ここに登場するほとんどすべての人物が芸術になんらかの仕方でかかわっていて、精神の自由とか生活の桎梏からの解放とか、いや生活そのものの芸術化とか、芸術と内面の一致とか、そういうさまざまな思惑を語る。そこにおいて、芸術と民族や国家の関係に言及しないのは、当時における作者の意地なのか、それとも国家や民族なぞ芸術においては歯牙にかける必要もないほどの些末なものごとであるのか。とりあえず題名「白描」が墨一色の線描画であるということを覚えておけばよいのだろう。芸術の関係者が墨一色で象徴されるというのも、書かれた時代に対する作家の意地であるのか。
 さて、こうやって人々は小説から抜け出ていくのであるが、彼ら(とりわけ金吾と敬子のふたりの若者)の行く末に待っていたことを思うと、作者の意図とは離れて、なんとも重苦しい気分になる。