odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジョン・ディクスン・カー「死者はよみがえる」(創元推理文庫) 不審な侵入者がいないホテルの上階の部屋で殺人が起こる。意外な犯人と意外な凶器のあわせわざ。

 ロンドンから一時間ほどの田舎ノースフィルドにある由緒ある館。当主が飲んだくれのため逼迫し、売りに出した。買い取ったのは、政治家ゲイ卿。引退したので友人の若い政治家や実業家を呼んではたのしんでいる。ある夜、そういう連中が宿泊したさい、何者かが侵入して政治家ロドニー・ケントを絞殺した。元の館で見つかったのは、館の前の持ち主べローズ。逼迫して左腕が麻痺したあげく、酒を飲んだくれていたのだ。彼が言うには、ロドニーの部屋にホテルの従業員の制服を着たものが侵入したのだという。もちろん最重要容疑者のため、すぐさま警察に拘置された。

 その家にはいられないというので、未亡人と若い政治家たちはロンドンのロイヤル・スカーレット・ホテルの7階の一翼を借り切った。その夜、今度は未亡人がホテルの一室で絞殺されていた。奇妙なのはこういうことだ。当時、ホテルは日夜のエレベーター工事。そのため作業員が7階のエレベーターと階段を監視していたが、不審な侵入者はいない。たまたま犯行時刻あたりに部屋に戻ってきた宿泊客は、ホテルの従業員がいるのを目撃している。しかし、支配人が調べたところ該当者はいない(ここでチェスタトン「見えない人間」を思い出すことにしよう)。それに首にはタオルを巻きつけてあるが、実際の凶器はトランクだ(フェル博士らは「鉄の処女」と呼ぶ)。
 被害者の女性は小説の冒頭ですでに死んでいる。そのため、この女性がどういう性格なのかは関係者の証言によってしかわからない。政治家の若い美しい妻、南アフリカの富豪の娘で、ほとんど国から出たことがない、貞淑で物静かな女性というイメージが植えつけられている。それが関係者の証言でしだいに覆される。明らかになるのは見かけとは違って、男を誘惑し、手玉に取ることを楽しんでいたということ。1930年代のハリウッド犯罪映画にでてくる女性たち(ヴァンプ)に似ている。タイトルは、被害者の未亡人が死の前日に友人に語った言葉に由来。「あたしのことをつつきまわると、死人を呼び起こすことになるよ」(意訳)から。ある意味、亭主の死はこの女性のためであるといえて、「運命の女(ファム・ファタール)」なのだよな。
 プロットを再構成すると上記の通り。しかしストーリーは、南アフリカの作家ケントが上の若い政治家ダンとロンドンまでヒッチハイクでこれるかという賭けのシーンから。そこで未亡人の死体を発見し、進退きわまってフェル博士に助けを求めた。ケントはフェル博士につき従って、事件の捜査を逐一見物し、報告書を書くことになった。ケントが事件に巻き込まれたときにはすでに事件のすべてが終わっている。ドラマのクライマックスが完了してからストーリーが始まる。ここはカーの工夫したところ。それまでの探偵小説は、「殺されるかもしれない、助けてください」と探偵が依頼されて、館やオフィスに乗り込むところから始まるものだった。まあ、ヴァン=ダインや初期クイーンの常套的な始まりを思い出そう。それが形式的に確立した10年後にはこんなふうに形式を解体するのが試みられている。とおおげさにいってみたが、このようなヒッチコックの巻き込まれ型サスペンスは1930年代頭にはもうあったよな。
 そういうストーリーとキャラクターの書き方がカーの作品では珍しいと思った。バンコランものや「魔女の隠れ家」「帽子収集狂事件」「赤子家の殺人」のような典型的な探偵小説だったのが、10年を経ずして書き方を変えていったのがおもしろい。とはいえまだまだ試行錯誤の最中で、ストーリーテラーにしてはぎくしゃくしたはこびなのは、そのせいか。終わりを決めてから、キャラクターを配置し、ストーリーを作るという人工的な小説にだった。
 あと、意外な犯人にこだわった。ここではふたつの「意外な犯人」の趣向を凝らしている。それを詳述するのはできないが、あいにくアンフェアぎりぎりの設定になってしまった。なので、監視下にある「準密室」という魅力的な仕掛けは、謎解きで肩透かしをくらうことになる。

ジョン・ディクスン・カー「夜歩く」→ https://amzn.to/4braSPq https://amzn.to/3WAHDWh
ジョン・ディクスン・カー「髑髏城」→ https://amzn.to/3Uzj2Pc https://amzn.to/3WvXaa1
ジョン・ディクスン・カー「絞首台の謎」→ https://amzn.to/3Wv3CxX
ジョン・ディクスン・カー「蝋人形館の殺人」→ https://amzn.to/3JRiXRY
ジョン・ディクスン・カー「毒のたわむれ」→ https://amzn.to/3USvVoE
ジョン・ディクスン・カー「魔女の隠れ家」→ https://amzn.to/3UTxKlm
ジョン・ディクスン・カー「帽子収集狂事件」→ https://amzn.to/4b8UeEx https://amzn.to/4bxpbCk https://amzn.to/4dCerUT
ジョン・ディクスン・カー「剣の八」→ https://amzn.to/3ycSGLr https://amzn.to/4bd6wvC
ジョン・ディクスン・カー「死時計」→ https://amzn.to/4b8TQpO
ジョン・ディクスン・カー「盲目の理髪師」→ https://amzn.to/3UDqMiW https://amzn.to/3wEPjw2 
カーター・ディクスン「白い僧院の殺人」→ https://amzn.to/3ydX4K2 https://amzn.to/4bAvwwV
カーター・ディクスン「プレーグコートの殺人」→ https://amzn.to/3JUW7sz https://amzn.to/3JRjof4
カーター・ディクスン「赤後家の殺人」→ https://amzn.to/3Wzf9w2
ジョン・ディクスン・カー「三つの棺」→ https://amzn.to/3USgMng
カーター・ディクスン「パンチとジュディ」→ https://amzn.to/3WAdjuZ https://amzn.to/3ygtpQn
ジョン・ディクスン・カーアラビアンナイトの殺人」→ https://amzn.to/3JUWh39 https://amzn.to/3WvY1Yh https://amzn.to/3JS7bXo
ジョン・ディクスン・カー「四つの凶器」→ https://amzn.to/3QDVNlY https://amzn.to/3ydTTls
ジョン・ディクスン・カー「火刑法廷」→ https://amzn.to/3UUOVlx https://amzn.to/3UQKqJN
ジョン・ディクスン・カー「曲った蝶番」→ https://amzn.to/4dBKq7G https://amzn.to/4dA0JSv https://amzn.to/3UQK6L5
カーター・ディクスン「ユダの窓」→ https://amzn.to/4dAq5Qk
ジョン・ディクスン・カー「死者はよみがえる」→ https://amzn.to/4bvLjNh
ジョン・ディクスン・カー「テニスコートの謎」→ https://amzn.to/3ybaINY
カーター・ディクスン「読者よ欺かれるなかれ」→ 
カーター・ディクスン「五つの箱の死」→ https://amzn.to/3wxhcX1 https://amzn.to/3WATnrV
ジョン・ディクスン・カー「震えない男」→ https://amzn.to/3ws17lq https://amzn.to/44CtkCH
ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 1」→ https://amzn.to/3JWFJIg
ジョン・ディクスン・カー「猫と鼠の殺人」→ https://amzn.to/3WBnyiG
ジョン・ディクスン・カー「連続殺人事件」→ https://amzn.to/3QGovlX https://amzn.to/44y9AAb
ジョン・ディクスン・カー「皇帝のかぎ煙草入れ」→ https://amzn.to/4bvLiJd https://amzn.to/3wl51fY https://amzn.to/3WBcmmm
カーター・ディクスン「貴婦人として死す」→ https://amzn.to/4dMRGhp https://amzn.to/3QCLWwu https://amzn.to/3QDE0LC
カーター・ディクスン「爬虫類館の殺人」→ https://amzn.to/3Wv49Qt  https://amzn.to/4bxblzW
カーター・ディクスン「青ひげの花嫁」→ https://amzn.to/4bvWgOZ
ジョン・ディクスン・カー「囁く影」→ https://amzn.to/3UTuPsZ
ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 2」→ https://amzn.to/4bAd5IF
ジョン・ディクスン・カー「眠れるスフィンクス」→ https://amzn.to/4bdcbSq
ジョン・ディクスン・カー「疑惑の影」→ https://amzn.to/4bb7o3V
カーター・ディクスン「墓場貸します」→ https://amzn.to/3JVNwpB
ジョン・ディクスン・カー「ニューゲイトの花嫁」→ https://amzn.to/4adJtzt
カーター・ディクスン「赤い鎧戸の影で」→ https://amzn.to/3QDS1sw
ジョン・ディクスン・カー「九つの答」→ https://amzn.to/3yf9j9d
カーター・ディクスン「騎士の盃」→ https://amzn.to/3wxhgGf
ジョン・ディクスン・カー「カー短編集 3」→ https://amzn.to/4bv5n2u
ジョン・ディクスン・カー「喉切り隊長」→ https://amzn.to/3ygt3t1
ジョン・ディクスン・カー「バトラー弁護に立つ」→ https://amzn.to/4btt3UO
ジョン・ディクスン・カー「火よ! 燃えろ」→ https://amzn.to/3yf7ZmN
ジョン・ディクスン・カー「死者のノック」→ https://amzn.to/4afT0WM
ジョン・ディクスン・カー「ハイチムニー荘の醜聞」→ https://amzn.to/3URgFZo
ジョン・ディクスン・カー「ビロードの悪魔」→ https://amzn.to/4b1Xwtj
ジョン・ディクスン・カー「ロンドン橋が落ちる」→ https://amzn.to/4dA3B1D
ジョン・ディクスン・カー「死の館の謎」→ https://amzn.to/44Aj3a0