odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「九尾の猫」(ハヤカワ文庫)

 ニューヨークで連続殺人が起こる。深夜、人が寝静まった夜に事件が起こる。被害者は決まって絹紐で絞殺されている。犯人の遺留品や手掛かりはない。初夏に始まった事件で、盛夏までにすでに5人もの被害者がでていた。被害者を結びつける関連性は見当たらない。絞殺魔はたんに殺人を楽しみ、被害者はだれでもよいのではないか。新聞はこの連続絞殺魔に「猫」のあだ名とイラストをつけて、売り上げを伸ばしていた。暑い寝苦しい夏の日々(当然クーラーのないころだ)、ニューヨーク市民はイライラが高じて不満を市長と市警にぶつけるようになった。
 エラリーは前作「十日間の不思議」の手痛い失敗に懲りて、この事件に無関心を務めていたが、市長の要請で出馬せざるを得ない。そして、誰も見いだせなかった関連性を見つけ、若い男女を使って、犯人をおびき出すことにする。すでに9人も被害者がでていて、誰もが焦っている。

 1949年の問題作。外観はサイコパスの連続殺人を追いかける警察小説。この後にたくさん書かれたジャンルの先駆とみなせるが、作者としては初めて手掛けたもの。ライツヴィルものやハリウッドもののようなシリーズをなすものでもない。その点では、一作だけがぽんとおかれた独立、単独の作品。外見はそうであっても、詳細に検討すると、ほかの作品との関係を持った重要作だ。
 まず周辺から。
・三人称の文体を使っているが、視点はほとんどエラリーのもので、ときに彼の内面も描写される。客観を装った一人称のモノローグ。この文体がまず最初の仕掛けかな。いつになく慎重でありながら、素人を犯罪捜査に加担させることで、エラリーの予断をそのまま読者に持ち込ませることに成功している。
・連続殺人犯を追いかける途中で、ある家族の肖像を描く。この家族は、作家がよく描いていたものだ。老年の夫と若い妻。その間にある愛情と不安の感情。若い男への恋愛と嫉妬。そのようなエディプス・コンプレックスの関係。作家の小説によく登場するように、この家族の家長はインテリで理性的、強い父権の持ち主。こういう19世紀までの家族制度と20世紀の個人の生活が相いれないで引き裂かれた「家族」。作家の主題はそういう家族の変容を描くものだったのかも。先行作にも、後継作にもこの主題は繰り返される。タイトルをあげると、ネタバレになるので秘密の日誌に書いておこう。せいぜい、これはトリスタン-イゾルデ-マルケ王であることに注意を促しておくくらい。
・派手なトリックもなく、ミッシングリンクの謎もリアリズムで、探偵小説とするとそれほど新規ではない。この時代に流行ったフロイトの「精神分析」が使われていることに注目するくらい。ヒッチコック「白い恐怖」1945年とほぼ同じころの作(「九尾の猫」は1949年初出)。
・この作の「問題」であるのは、途中に「猫」にパニックになった市民が暴動を起こすのが書かれていること。まず「猫」が捕まらないことに不満が募る→警察の失態(数か月も解決できない)→市民が独自に自警団を結成→市長と団交→パニック→暴動と略奪、という進み行き。この暴動と略奪は、事件の解決には関係しないし、新たな情報をもたらすものでもない。その点では「Zの悲劇」の死刑執行シーンのような必然性はない。にもかかわらず、この小説に市民のコモンセンス(良識)を疑うような記述を入れた。10年前に青年オーソン・ウェルズの演出によるラジオ番組でパニックを経験したように、あるいは最近でも停電からパニックが発生したようにと、「民主主義と自由の国」でもコモンセンスに信頼を置けなくなるような事態が生じる。それも、この小説にあるようにデマと恐怖感に乗じて、すぐさま人々が混乱し、人権や財産を破壊する行為を起こしてしまう。それを止めることができるかについて作者は悲観的。理性や知性は人々の混乱やパニックが社会や生活を壊すことに力を持たない。止められるのは権力の力だけ。そういう不安や疑惑がミステリという形式の中で表明されていることが重要。背景に、冷戦の開始、朝鮮戦争の開始、レッドパージ共産党員スパイの誤摘発事件があったし、マッカーシー旋風は数年後)などをみてもよい。
(この国の事例に重ねるなら、1923年の関東大震災とその直後の朝鮮人虐殺。)
・このような暴動と略奪はクイーンにとっては許しがたいし、起こしてはならないことである。でも、それは突発的に起こる。回避したりすぐに収束させることは可能であるだろうか。この問題の注意喚起は、この後も行われる。「途中の家」のセイフティネットの不足の描写とか、「盤面の敵」のぐうたら男の改心とか、とくに、「ガラスの村」の民主主義と自由主義批判はその中でも重要。クイーンの社会正義に関する思想は十分に読み取るべき。そういうことを書いた評論もあるだろう。
 脱線すると、混乱とパニックが予想される事態には、この国のように訓練や啓蒙である程度の対応が可能。2011年の自然災害はうまくいった例がたくさんある。でも、そのあとの「放射能」に関する不安と恐怖は、パニックとデマを生み出した。まだまだ我々の社会の制度はうまくいっていないところがある。啓蒙、コミュニケーション、パブリッシングなどにおいて。
 探偵小説としては過剰なところがあり、すでに書かれた小説の焼き直しと思うところがあり、謎の解決も衝撃度は弱くなっている。でも、その過剰な部分に問題を含んでいて、自分はクイーンの傑作のひとつと評価する。