odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

北村薫「ニッポン硬貨の謎」(創元推理文庫)

 副題は「エラリー・クイーン最後の事件」(2005年初出)。
 1977年に日本の出版社がエラリー・クイーンを招待した。そのときのことをのちにクイーンは小説にする。ただ一編だけ未訳だったのが発見されたので、「北村薫」が邦訳することになった。この設定がミステリ好き(ことに古典)を喜ばせるのであって、なるほど作中の時間と同じころに、西村京太郎が「名探偵」シリーズで、明智・クイーン・ポアロ・メグレの共演を書いていたなあと思い出す。そのうえ、この年の数年前にクリスティが、同じ年にジョン・D・カーが亡くなっていたとなると感慨は深い。
 小説はふたつの話が同時進行。エラリーの日本体験(ことにミステリー・ファンとの集いで「シャム双子の謎」の読み直しをするシーンが白眉)。もうひとつは複数の日本人によるモノローグ。幼児誘拐殺害事件が起きていて、その関係者のものと思われる。「シャム双子の謎」の謎を解明しようとする女子大生が、書店のバイトでの奇妙な体験(毎週土曜日に50円玉20個を千円札に両替する客がいた)を語るところから、エラリーは上の幼児誘拐事件に関心を持つ。過去の苦い体験を思い出しつつ、警察にアドバイスする。そして、幼児誘拐犯と女子大生がつながっていることが分かり、エラリーの論理は天空に飛翔する。
 いやあ、このパスティーシュはエラリーの主要長編をできるかぎりたくさん読んでいることが必要だ。まず「Xの悲劇」「シャム双子の謎」「十日間の不思議」「九尾の猫」「盤面の敵」「緋文字」は最低限必要。国名と悲劇もできれば全部。ここらを読んでおくと、エラリーの「さてみなさん」のあとのご高説の飛翔ぶりがよくわかります。訳者(著者)はエラリーの天空の論理といっているけど、俺からすると世界からメッセージを読み取って事象を論理的に解釈するシャーマンのやり方。ことに「ダブル・ダブル(おお、これもご高説のなかで参照されている)」や「十日間の不思議」に典型的にみられるもの。
 そのご高説が可能になるのは、エラリーが西洋的な合理的・論理的な場所とは異なるところにいるから。それが日本であり、東洋。「シャム双子の謎」の閉ざされた山荘、「第八の日」の村や「帝王死す」の要塞と同じ、奇妙でねじれた論理の国であるわけだ、この日本は。西洋の人による無理解と困惑が加わって、エラリーの論理ははるかな高みに飛翔する。

(ここまでに上げたクイーンの長編に関する感想はリンク先から)

odd-hatch.hatenablog.jp


 こういう外国人から見た日本の珍妙さはこれまでいくつか書かれていて、都筑道夫「三重露出」、筒井康隆「色眼鏡の狂詩曲」、山口雅也「日本殺人事件 正続」などが思い浮かぶ。まあアメリカの作家が書いたものでもジェラード・ド・ヴィリエ「日本連合赤軍の挑戦」(創元推理文庫)、ジョゼフ・ローゼンバーガー「悪夢の日本連合赤軍」(創元推理文庫)にも珍妙な日本が出てきたな。それらと比べると、この本の日本はぶっ飛び方が少ない。抑え気味になるのは、知識人が主人公だからだろう。
(小説の「外国人から見た日本」は愛でるけど、評論や時事では珍妙さを可笑しがらずに、真面目に耳を傾ける。たいていの場合、日本人が心地よくなるような日本像を描いているから。イザヤ・ベンダソン「日本人とユダヤ人」、エズラ・F・ヴォーゲル「ジャパンアズナンバーワン」など。)
 「シャム双子の謎」の読み直しは、「読者への挑戦」はなぜないか、「意外な犯人」のあるタイプの最高形、章の頭にある引用と本文の関係。これがヴァン・ダインのある作の影響下(あるいは乗り越えの対象)にあるという指摘。俺の問題意識からすると、細かすぎる指摘と思ってしまうのだが(気づかなかったことへの負け惜しみもある)、刺激的でした。これは実作者だからこその発見なのだろう。
法月綸太郎「ノックスマシン」(角川文庫)の「論理蒸発―ノックス・マシン2」でも「シャム双子の謎」の読み直しをしているので、参照するとよい。)