「何でも見てやろう」のあとの大きな出来事は、ベトナム戦争が始まったこと。著者は市民によるベトナム戦争反対の運動体「ベトナムに平和を!市民連合」をつくる。「ワシントンポスト」に反戦広告(岡本太郎の「殺すな」の文字が印象的)を出したり、米軍脱走兵の国外脱出を手伝ったりと、さまざまな運動を行う。詳しい話は、小中陽太郎「私のなかのベトナム戦争」(サンケイ新聞社)や小田実「ベ平連」(三一新書)を参照(どっちも絶版品切れで、当時の記録も記憶も風化中とみえる)。
ニュース86岡本敏子
ここでは著者が1965−67年に書いた論文などを収録。「『難死』の思想」、「平和の倫理と論理」が特に重要な論文で平和の論理はここに集約されている。著者は30代前半でエネルギッシュな時期。なので、情報と論理が圧縮して書かれているので、読者はゆっくりと注意深く読んだほうがよい。下記のサマリーでは漏れているところがたくさんある。
「難死」の思想 1965.1 ・・・ 15年戦争の死者には、特攻隊や玉砕の「散華」と空襲や原爆の「難死」がある。戦前の国家は前者に「公状況」の意味づけを行ったが、後者にはまったくの意味がない。敗戦は戦前の「公状況」の価値や意味を破壊した。一方で、民主主義は「難死」の無意味さを忘れない、そのような死を再び起こさないというところから出発。具体的には「私状況」を優先することを重視した。ちなみに「散華」に執着した作家に三島由紀夫と高橋和巳がいて、「難死」を考えた作家群に戦後文学者がいる。いずれも文学や作品には問題あり。さて、敗戦から20年。再び「公状況」の意味を国民に要求する思想が生まれる。すなわち「公状況」のもたらすロマンティシズム、ストイムズ、美学にあこがれるものたち。これは民主主義の「私状況」に飽きたり、退廃を感じている層を取り込む。あわせて、<民主主義>の帝国となったアメリカの国家意思(たぶんに私状況)に巻き込まれて利益を得ようとする旧支配層がこれらに同調する。われわれは、ふたたび「難死」が起こらないように(難死を周辺諸国に押し付けないように)「公状況」に対して「私状況」を、戦勝国ナショナリズムに戦敗国ナショナリズムを、ロマンティシズムにリアリスティックな目を、「散華」に対して「難死」を確立しよう。それが民主主義の運動である。
(ちょっと固くまとめすぎた。上では戦敗国ナショナリズムと戦勝国ナショナリズム、新興国ナショナリズムのことを端折ってしまったし、戦後文学批判もほとんど触れなかったし、戦後「公状況」を求める心理の分析も単純化しすぎた。ともあれ、著者の考えは圧縮して書かれていて、とても密度が高い。ある意味、この後に書かれた大量の本はこの論文の注釈であるかもしれない。それほどに繰り返し読むべき内容。著者の文章ではよく言及される一本。ただ、多くの紹介は戦争中の無意味な死である「難死」にフォーカスするあまり、「公状況」と「私状況」の考えなどを端折っている。)
二十年を縦断する 1965.1 ・・・ 敗戦から20年たって、敗戦の「価値の転換」がどうなっているかを具体にみる。特攻くずれ、総合雑誌の論文題名、返還前の沖縄、アメリカから見た特攻、捕虜体験、国家、戦争など。
特攻機のゆくえ 1965.3 ・・・ 特攻機の出撃風景ばかりでなく、その行方を最後まで追ってみる必要がある(その惨憺たる成果についても)。過去をロマンティシズムのベールを通して美化する見方は止めよう。
(珍しい例外は、松林宗恵監督「人間魚雷回天」1955か。出来は良くないが、ラストは岩礁にぶつかった回天の中で隊員が窒息死を待ちながら「俺は生きている」と機体に書き留めるシーン。)
平和の倫理と論理 1966.8 ・・・ 敗戦から20年たっての振り返り。敗戦告知は解放から屈辱までのさまざまな感情を大人に引き起こしたが、少年である著者には無感動・他人事・敗戦になれていない・なしくずしの変化であると感じられた(そのそこにあるのは、敗戦前日の大阪空襲と難死した人々の記憶)。そのあと、この国の人は外から押し付けられた民主主義・平和などをごく自然に受け入れ定着した。それは戦争中の国家原理と個人体験(原理ともいう)に引き裂かれていたのを、それらの普遍原理で接着することができたから。接着材になったのは戦争の被害者体験であるが、それを強調することは加害者体験をうやむやにし、ことさらに被害者に寄りかかる甘えでもあった。また被害者体験はこの国に対しては批判や抵抗の原理にはなったが、アメリカも批判する普遍原理にはならなかった。そして20年たって、ナショナリズムが国家原理と個人体験(原理とも)の裂け目を接着する働きをして、普遍原理(である民主主義や平野や憲法など)を捨てるような動きになっている。われわれは国家原理と個人体験の裂け目を普遍原理で接着する動きをしなければならない。
(初読のときはものごころついて20年たっていなかったので、20年でそんなに人が変わるのかと驚いたが、その数倍の都市を生きると、やはり20年もたつと人は変わるものだ、という感慨をもつ。2014年に即すると、オウム事件と阪神大震災から20年で、日本人のメンタリティやナショナリズムに衝撃を与えたにもかかわらず、人々は口にしなくなっている、という具合なのだし。たぶん論文のエッセンスは上のまとめで大丈夫だろう。個人的には、アメリカは第2次大戦で日本と戦ったという意識に乏しい(太平洋戦線の死者はヨーロッパ戦線の死者の数分の1かもっと少ない)とか、ヒロシマ・ナガサキの原爆を投下した兵士たちの責任を追及しないのはなぜかとか、この国の戦争体験談が被害者として語られて加害者の側の証言が少ないとか、個人体験から戦争反対を考えると「どっちもどっち」論でたやすく国家原理で自分を正当化することになるとか、余談・脱線のほうも面白かった。)
文学における戦後責任 1965.5 ・・・ このころにあった「戦後文学は終わった」論と「政治と文学」論に対する考えの提示。まあ、いずれの議論も皮相だよ(戦後文学は手法じゃなくてテーマだよ、政治をマルクス主義と共産党に限定しちゃああかんよ)。で、戦後文学(野間宏、武田泰淳、堀田善衛、大岡昇平が代表)は、全貌をとらえようとして果しえないもどかしさを文章にしていて、(社会の)わからないことを文学的秩序に収めようとする試み、それは叙事詩的で、飛躍よりも成熟を目指す中年男のもの。ただ、戦後文学には日常性、ユーモア、笑い、卑小さなどが不足(荘厳さ、シリアス、誠実、ほんものなどは過剰いある)。テーマも技法もまだまだやることはあるのだから、戦後文学は終わっていないし、できれば戦争の全貌を全体小説のようにとらえてほしいものだ(なるほどそのような作品はまだない)。
(初読は30年前でまったく記憶にないのだが、最近野間宏の初期短編を読み直して(暗い絵・崩壊感覚など)、自分の感想がこの論文とほとんどいっしょだったのに苦笑い。あの晦渋な文章そのものを書くのが野間宏のテーマだし、技法なのだよね。そこには成功と失敗の両方、上にある戦後文学の長所と欠点がそのまま見出せる。そのうえで、戦後文学は重要という認識は自分も共有。)
「平和」編は全体の40パーセントのページ数だが、重要なことがたくさん書いてあるので、ここまでで一エントリーとする。
〈物〉の思想〈人間〉の思想―小田実評論集〈1〉 (講談社文庫)
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