西暦3172年。宇宙的な経済圏はプレアデス星系とドレイク星系に二分され、それぞれの大企業が牛耳っている。プレアデス星系の覇者フォン・レイ家とドレイク星系のレッド家は、事業のバッティングがあり、昔からの因縁が続いている。それにけりをつけるために、希少な超エネルギー資源イリュリオンを短時間に大量に採取することを企てた。原子番号300を超える原子をイリュリオンと総称するが、この原子に蓄積されたエネルギーは莫大。きわめて希少(全宇宙で数百kg程度)で有効利用されなかったが、ノヴァ(新星爆発)のとき表面に浮かび上がるのをロケットで掬い取ろうというのだ(つっこみはなし!)。
企画するローク・フォン・レイは以前にも試みたが失敗していて、捲土重来を期している。そこで、宇宙酒場に乗り込み、船士(studをこう訳すが、studにはセクシャルな意味もあるそうな。1980年代にビッグ・ジョン・スタッドという巨漢プロレスラーがいたがそのメタファーをアメリカの観客はわかっていたのだろうなあ)には、楽器シリンクス(ドビュッシーの曲のタイトルになっている実在の楽器とは綴りが違う)弾きのマウス、すでに滅んだ小説を書きたいカティン、互いに言葉を補い合う双子、プレアデス星系生まれの占い(タローカードの占いがのちの物語を暗示する)もする男女などが召集される。この旅の仲間集めと彼らの奇妙な冒険も面白い。
さて、ロークにはレッド家の嫡男プリンスとルビーの兄妹という宿敵がいる。彼らの家の確執は父の代で終えたはずなのに、プリンスとレッドは子供時代から因縁をもっている(プリンスは片腕のない奇形でそのことをほのめかされただけで激怒)。今度のロークのたくらみもロークのすることだからという理由で阻止しようとする。プレアデス星で待ち伏せるプリンスをロークが退けるも、ノヴァに向かう宇宙空間まで追いかける。そのとき、予想よりも早く新星爆発が起こり、三人だけを載せた貨物船はノヴァに飲み込まれようとしている。
これが表立ったストーリー。まるで「モンテ・クリスト伯」や「ハムレット」のような復讐と「二都物語」「ゼンダ城の虜」みたいな冒険アクション。自分のように表層のスペースオペラをそのまま楽しむだけでもおなか一杯。
ここでシンボライズされるのは作中にもあるとおり「聖杯」伝説だな。どうやら磔刑されたキリストの血を受けた聖杯グラール探求の中世物語ではなく、それ以前のゲルマンほかの「漁夫王」伝説の方がモチーフらしい。なるほど3172年には経済の安定があって、失業やデフレに苦しむということはないようだが、生産性の向上がないのと階層が固定化されて、人口の流動がなくなっている。そのような停滞した社会に活をいれて、混沌の末に新たな秩序をもたらそうというのが、ロークのたくらみであり、そのまま聖杯探索の騎士になぞらえられるわけだ。あいにく、この聖杯探索はガラハドのように見事に成功するわけではなく、家と故郷を離れた末に自分の秘密を暴き世界の穢れを一真に集めたオイディプスのような悲嘆を引き受けなければならない。(別の見方として、ウイングローブ編「最新版SFガイドマップ」サンリオSF文庫ではプロメテウス神話をあげている。)
こういうスペースオペラと神話が重層しているのは、「バベル-17」「アインシュタイン交点」と共通しているが、この小説にはもうひとつの物語が差し込まれている。それはヒーローと旅を共にするマウスとカティンの二人にあって、「小説を作ること」を主題にした物語。どうやって小説を書くか、小説を書くことの意義は何か、何が小説の主題であるべきかが、この二人の漫才のような掛け合いのはしばしに含まれる。その問題意識はこれを書いているときの作者自身の問題でもあるはずで(「アインシュタイン交点」でも本文とは別の手記に書かれている)、いわば作家の自伝でもあるわけだ。マウスは文字をも読めないが、メロディや音色で人を魅了することのできる楽人だし、カティンは膨大な知識を音声レコーダーに記録する。それらはたぶん作者を反映したキャラクター。
1968年作者25歳の作。このころまでは、ストーリーと神話のシンボライズと自伝が小説の枠の中に納まっていて、とても読みごたえがある。ただしだいに自伝的なところ、それもそうとうにナルシスティックな反映(あわせて性的ほのめかし:ここではロークとプリンスの愛憎関係に顕著)が強調されるようになってきて、気になる。まあバランスが悪くなってきて、作者の個性に興味がないと読み進むのが難しくなるなあ。なので自分は「バベル-17」が最高傑作と見た。自分は未読だけど、このあとの「ダールグレン(翻訳すると1000ページ超え?)」の大作以降の評価は芳しくない。25歳までにSF史に名を残し、そのあとの停滞というか無理解にあうというのは、さて作家の在り方としてよかったのかしら。