odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

みつとみ俊郎「オーケストラの秘密」(NHK出版生活人新書) ビジネスからオーケストラをみるのは、市場の縮小に対する危機感の現れ。

 西洋音楽がこの国で聞かれるようになってからわずか150年しか経過していない。明治維新以降のクラシック音楽受容の系譜は下記エントリーを参考に。
堀内敬三「音楽五十年史 上」(講談社学術文庫)
堀内敬三「音楽五十年史 下」(講談社学術文庫)
中島健蔵「証言・現代音楽の歩み」(講談社文庫)
 クラシック音楽の受容と定着のためには、演奏者と聴衆を育成する必要があるということで、啓蒙書は戦前から書かれてきた。自分が読んだものに限定しても、以下のようなもの。これ以外にもたくさんあるはず。
兼常清佐「音楽と生活」(岩波文庫)、 あらえびす「楽聖物語」(青空文庫)、野村良雄「精神史としての音楽史」(音楽之友社)、山根銀二「音楽美入門」(岩波新書)、 芥川也寸志「音楽の基礎」(岩波新書)大町陽一郎クラシック音楽のすすめ 」(講談社現代新書)、黒田恭一「はじめてのクラシック」(講談社現代新書)、 石原俊「いい音が聴きたい」(岩波アクティブ文庫)


 2007年に書かれたこの本もクラシック音楽の受容と定着のための啓蒙書になるのだが、ユニークなのは演奏者と聴衆に、さらにプロデューサーの視点を加えていること。本文がはじまって最初に登場するのがステージマネージャー、そのあとインスペクター。続けて、オーケストラの団員になるのはどうするのか、指揮者の仕事はシェフみたいだと考えるとよいなど、職業の紹介に努める(オーケストラやコンサート会場の「工場見学」のようだ)。後半にはプログラムの構成の意図や工夫などの商品としての音楽の説明がある。演奏会で取り上げられる演奏曲目が、静かな曲、派手な曲、ストーリー性のある曲などに分けられるのも、雑誌「レコード芸術」などの西洋の分類とは異なる視点。
 過去のクラシック音楽入門では啓蒙と教養が重視されていたので、歴史の記述が中心だった。とりわけ交響曲の理念と実際に関する説明が大半を占めた。市民的自由とか、国家・教会・王政などからの抑圧への抵抗、自我の解放と自立などが芸術として表現されたのであり、それを鑑賞することが個人の自立と自由の獲得になるとかいうような理窟も込みで解説された。それがここにはまずでてこない。そのようなロマン主義教養主義は廃され、芸術における相対主義を重視し、ビジネスとしてのクラシック産業が説明される。だから、クラシックのコンサートはロックと対比され(書き手の年齢や主な読者層を考慮してか、HIPHOPのライブなどはでてこない)、民族音楽との違いが強調される。戦前戦後の教養主義はクラシックの敷居をあげたらしく、下げようとする努力は1970年代の大町の本あたりから行われてきた。それがさらに強化されて、教養の提供はあきらめてでも、気楽に聴くこと、コンサートに行くことを薦めている。
 ビジネスの視点を優先するのは、少子高齢化が進むことによる市場の縮小に対する危機感だろう。日本人がクラシック音楽を他の音楽を押しのけてでも聞こうとするのはむずかしい。日常的に流れている音楽ではないし、構造や規則などを聞き取るのは困難で一度聞いただけで覚えることが難しいから。意識的に選択しないと、クラシック音楽を聴く習慣をもてない。となると、コンサートの来場者や音源の購入者は減っていく。そうなると、業界の仕事は減少することになる。まだ深刻な状況にはなっていないが、団塊の世代が高齢化したとき、すなわち日本人の大半が貧乏になったときに、ひどい状態が来るのだろう。
 あと、日本人は優秀な演奏家を輩出していることを自慢しているが、21世紀の10年代には、そうも言えなくなってきた。指揮者、ソリストで世界的な評価や人気を得ている人は中国や韓国にたくさんいる。西洋のオーケストラで東アジア系の奏者を調べても同様。歌劇場の合唱団でもそう。クラシックやコンテンポラリーのバレエでも。日本人奏者はコンクールで優秀な成績を収めても、活動拠点を日本にするから、そのあとのチャンスが少ない。最初から西洋で活動することにしている他の東アジアの演奏家のほうがチャンスをちゃんとものにしている(なにしろ国内市場が小さいから、海外に行くしかないのだ)。すでに、この国の力は衰えている。そういう視点がこの本にないのは残念。というか、書かれてからたった10年でこの国の力が急速に衰えたともいえる。