odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

カミ「エッフェル塔の潜水夫」(講談社文庫)

 1870年代にエッフェル塔ができてから、好きにしろ嫌いにしろ、この建物を意識しないわけにいかなく、この建物をめぐる物語はたくさんあった。これがそのひとつ。建設当時の苦労はやはり神話になっていて、しかもその動力に関する話は1929年当時には人の記憶から漏れている。ここには斜めに移動するエレベーターがあって、東京タワーやスカイツリーのような中央部の建物がないのだ(なので、プロペラ機で潜り抜けようという冒険野郎が後をたたない)。
 そういうモダンな神話と組み合されるのが、なんとも古風なflying dutchman伝説。訳者は「飛びゆくオランダ人」としているが、この国ではワーグナーにちなんで「さまよえるオランダ人」のほうがよい。ぺテル・マウスなる亡霊船の船長は、呪いから逃れるために私を愛する女を用意しろと要求するくらいに、この伝承を忠実に守る。

 さて、エッフェル塔の近辺では、身投げ自殺が続出していたと思いなせえ。そんな死体を潜水夫が救い上げたら、いつのまにか死体はふたたび川に水没。酒飲みの潜水夫は夜が明けると、エッフェル塔のバーで首を吊っていた。そのうえこの死体もセーヌ川に自然と投げ込まれる。「飛びゆくオランダ人」の幽霊船は入水自殺者を船員に雇うという伝説があるのだ。こういう探偵小説の幕開けだが、このコント作家はすぐに話をずらす。生粋のパリジャン(貧しいほうのね)が、ドタバタ騒ぎをしていると、アメリカの富豪と縁ができる(この富豪は「パリのアメリカ人」と思いなせえ)。この男は鉄道王で金の使い道に困るほどだが、さらに金を貯めたいといんちき霊媒師に金のありかを探らせる。すると、「飛びゆくオランダ人」の船長があらわれ、大西洋に沈んだ金塊船のありかを教えよう、その代わりにわしの願いを聞きとげよと上記の要求を持ち出す。富豪はどこかの女を用意するつもりが、船長が目に付けたのはなんと目に入れても痛くないほどかわいがっている姪(芳紀19歳)。この姪には、陽気な詩人のパリジャンが目をつけていて、富豪に取り入れられようと、オランダ船の船長と渡り合う。
 まあ、こういうストーリーなのだけど、どうしても小さなコントに目が向くのは、作家の腕がこちらにむいているから。130キロの体重を減らすために毎日エッフェル塔を上り下りするデブとか(訳者はこの男に関西弁をしゃべらせた)、箪笥を運ぶアルバイトの途中日暮れたので箪笥の中に眠るとか、なんでも金をだして解決するアメリカ人の富豪が最後には破産するとか。主人公のパリジャンも無責任で陽気で騒がしく、できもしないことをやろうとしてかえって騒ぎを大きくするだけ。まあ、タッチはことなるけどジャック・タチ「ぼくの伯父さん」シリーズのようなしゃれたコメディなんだ。
 といっても、冒頭の死体消失の謎にしろ、現代に現れた亡霊船にしろ、船長の素性など、ストーリーのすべての謎が合理的に説明される。これは不要だったかも。荒唐無稽ではない説明をしたおかげで、前半のドタバタと調子が合わなくなったのでね。それに今となっては長すぎる! この半分ほどに圧縮したほうがよいのではないかな。1929年初出とそれほど古くはないけど、書き方が古いのだ。
 作者カミの経歴が解説に書かれていないので想像するしかないが、1880年ころの生まれで第一次大戦以後に人気のでたコント作家のようだ。作家の活躍期間はモーリス・ルブランと同じくらい。なので、古い探偵小説の書き方で、よりフランスの土着の文体を持った人。

エッフェル塔の潜水夫 (1969年)

エッフェル塔の潜水夫 (1969年)

 ちくま文庫に移っていたんだ。