odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

法月綸太郎「ノックスマシン」(角川文庫) 探偵小説を語るためには探偵小説がかかれた社会を再現するしかないのか。袋小路に入って自作パロディだけになっている探偵小説の最前線。

 「そうそう、こういうのを読みたかったんだよ」というすれっからし、ファン、マニアの声が聞こえそう。おれも数ページを読んだだけで、これは俺の求めていた本だと確信した。過去に作者の本はでるたびにすぐ読んでいたが、このところ離れていた。久しぶりに作品を手にしたが、期待とおり(というか期待以上)だった。

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ノックス・マシン ・・・ 2058年、上海大学の文学部の院生が当局に呼ばれた。出頭すると、開発中のタイムマシンに研究成果が使えるという。それまでタイムマシンは過去や未来に介入すると、パラレルワールドが現出してこの世界Aに帰還することができない。しかし、ノックスが探偵小説の十戒を書いた日だけはこのパラドックスが生じない特異日なのである。そこでノックスの十戒の専門家を派遣することにした。おお、1970年代で絶滅したはずのタイム・パラドックステーマが復活している。多世界解釈コペンハーゲン解釈を同時に満たす(ということはいずれとも決定できない)特異な解となる出来事を見出す。
(このアイデアよりも、探偵小説作家の作品ということで、数理文学解析に魅了される読者の方が多いかもしれない。物語を成立する方程式があり、それを利用すれば、過去作品の解析のみならず、新作や亡くなった作家の新作まで作れる。これはブラウンやドールに同じアイデアの短編があった。とくに探偵小説の中でも謎解きといわれるジャンルでは、「ノックスの十戒」が創作のみならず、ジャンルの栄枯盛衰まで説明可能なパラメーターになる。こうした科学と疑似科学の(現時点では)正確で精密に記述される。その知識をもっているものには、満足心をくすぐられる。)


引き立て役倶楽部の陰謀 ・・・ 1939年7月、名探偵を引き立ててきた「ワトソン役」が臨時の総会を開く。この年に刊行された「テン・リトル・インディアン(そして誰もいなくなった)」がワトソン役の存立基盤を破壊する問題作であったからだ。すでに12年前の「アクロイド殺し」で引き立て役倶楽部は警告を発していたが、その時の約束をA・Cは破った。倶楽部はある提案を議論した。そのさなか、一人のワトソン役が毒殺される・・・
(このパスティーシュの設定が面白い。本作の少し後に「カーテン」が書かれ、生前発表されなかった未完の作であるとする。それに編集者の注が追加される。書物やキャラクターの引用で書かれ、探偵小説の歴史が換骨奪胎される。その知的なエンターテインメント。加えて、小説の作者と小説のキャラクターが同一時空間に存在し会話するというしかけ。作品の壁を壊し、「自由」にする。こういう文学の方法も面白かった。山田正紀「僧正の積木唄」(文春文庫)と同じく、ヴァン・ダインがくそみそにけなされているのがおかしい。)


バベルの牢獄 ・・・ サイクロプロス人(もとはギリシャ神話にでてくる一つ目の巨人)にとらわれたヒューマノイドサイクロプス人の精神波動検査に対抗するため、鏡像人格とシンクロしようとする。しかし訓練で十分に実践できたはずのことができない。相手の思念は暗号のようであり、時間を逆転しているように見える。どうやって脱出するか。
(ずっと独り言。現在の状況に関する推理と思考実験。キーワードは光学異性体ワームホール。これが書物の中に顕現する。最後の謎解きを読んだ後、もう一度読み直して、その通りのできごとが起きているのを確認して驚愕する。これをやりきったのは、知る限りでは竹本健治泡坂妻夫のふたり。通常はタイトルや作中の引用でボルヘスに気を取られるだろうが、これはレッドへリングだった。)


論理蒸発-ノックス・マシン2 ・・・ 「ノックス・マシン」事件から15年後。電子テキストの貯えにあるクイーン「シャム双子の謎」が発火し周囲に延焼していく。このままでは20世紀探偵小説の「図書館」が焼失してしまう。電子図書司書部の原典管理オペレーター(電子テキストの筆者ミスや恣意的な書き換えを調査し修正する)が事件以後行方不明になった文学部研究者を探すことにする。彼を電子テキストに送りこみ、「消火」するために・・・
(こちらは映画「MATRIX」の換骨奪胎テキスト版という趣き。こちらのサイバーパンクでは、サイバースペースと物理現実の行き来は一方向で一回限りという制限がある。その別離と未帰還が「悲劇」の感情を生むことになる。さて、ここではクイーンの「読者への挑戦」が問題にされる。小説の時間順を無視する(物語が終わった後に書かれたテキストが時間軸を無視して挿入される、作中人物ではない別のレベルのナラティブが混入するなど)のはなぜか。国名シリーズのなかで「シャム双生児の謎」にだけないのはなぜか。北村薫「ニッポン硬貨の謎」(創元推理文庫)も同じ問いに答えているが、アプローチが違う。「シャム双生児」から本の連想は「チャイナ橙」「九尾の猫」「見えない人間@ブラウン神父の童心」「アレクサンドル四重奏」などに次々と飛んでいく。ミステリとは別の連想の鍵を本と本の間にかけて、思いがけない飛躍を見せるのが楽しい。)

 

 以下は本書が出た直後の自著解説。もちろん、この感想を書き終えるまでは読みません。

shoten.kadokawa.co.jp

 この本はストーリーに注目する読み方でもいいのだが、知識をたくさんもっているとより楽しめる。サイバー空間の疑似科学的な説明に、それを支える物理学の知識。文学自動生成プログラムのアイデアに、それを支える文学知識。ことに戦前の西洋探偵小説に関するトリビア。ドイル、チェスタトン、クイーン、ヴァン・ダイン、クリスティというミステリ通が必ず通過する探偵小説作家に代表作(それが新たな読み直しで、斬新な視点を与えてくれる。一度(のみならず数度)読んだ本であっても再読したくなる)。バベルや図書館のイメージから純文学の書作(ことにボルヘス)も想起する。本書の記述をきっかけとしたさまざまな連想飛躍を広げていくには知識が必要。こういう連想飛躍が小説に書かれたことよりも広がると、読者(すなわち<この私>は勝ちと思うのだが、本書では作者の勝ち。作者の広げた連想飛躍の外にはでられなかた。
 いっぽうで、「本格」探偵小説はこういうパスティーシュやパロディでしか成立しなくなったのか、ことに21世紀においてはという感も強く持つ。パーソナルな犯罪が起きて、パーソナルな探偵が捜査し、論理的な推論で謎解きをするというストーリーが単体では成立しなくなり、別の物語と組み合わせるか、寄生するかしないとリアリティとならない。20世紀前半の西洋の風俗とテクノロジーでできた社会は、読者の物理現実の延長上には存在しない。そうすると、探偵小説を成立させる場所は古典的な探偵小説の書かれた場所をテキスト化することによってしかありえない。探偵小説を語るためには探偵小説のかかれた社会を再現するしかない。探偵小説はそこまで袋小路にはいっているのか、と物悲しい気分にもなった。


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