odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

コナン・ドイル「傑作集1」(新潮文庫)-推理編 シャーロック・ホームズが登場しない探偵小説。ホームズのライヴァルたちの登場作品に劣ること数倍。

 コナン・ドイルの書いたシャーロック・ホームズの登場しない探偵小説。作品を読むと「ホームズの回想」でホームズをいったん退場させてから「バスカヴィル家の犬」を出すまでの間に書かれたと思う(個人的な意見ですので、信用しないように)。


消えた臨急 The Lost Special ・・・ 1898年に記した1890年の事件。ある資産家が急いでいるといって、臨時急行列車を用意させた(昭和40年代には学校の遠足で臨時列車をだせたので、珍しいことではない)。別の客が同乗したいと申し出たが、資産家は拒否した。ロンドンを出発した列車は目的地に到着しなかった。途中で、汽車や客車もろとも消失したのである。ホワイトチャーチ「ギルバート・マレル卿の絵」1912年@ 江戸川乱歩「世界短編傑作集 2」(創元推理文庫)では、途中の客車一両を消失させたが、ここでは連結した列車全部を消失させた。まあ、実現可能性を問うのは野暮。

甲虫採集家 The Beetle-Hunter ・・・ 売れない医師が新聞をみると、「短期アルバイト求む。頑健な医師、昆虫好きならなおよし(超訳)」の広告が載っていた。これは俺のことだとおもって面接に行くと、さっそく採用される。博物学冒険に行くのかと思いきや、郊外の甲虫研究家を訪問することになった。一泊することになったとき、雇用者は寝ずの番をして、襲撃に備えよという。始まりが「赤毛組合」で後半が「まだらの紐」。解決は21世紀の今日には通用しないのが欠点。

時計だらけの男 The Man with the Watches ・・・ 列車の客室(当時はコンパートメントタイプ)で射殺された男が見つかった。奇妙なのは金時計を6つも身に着けていたこと。身元不明の男はなぜ殺されたのか。物語の半分は、匿名氏の手紙による告白。まあ、「4つの署名」の圧縮版だな。1892年の事件を5年後に書いたというから1897年の作。

漆器の箱 The Japanned Box ・・・ 古い館に家庭教師に行ったら、主人の評判が芳しくない。若い時、道楽者のならずものといわれていた。それが改心して、塔の秘密の書斎にこもるようになる。夜になると、女の声が聞こえるのだが、その塔に出入りはできないはず。秘密は書斎にある漆器の箱にあるが、覗き見をした掃除婦は解雇されてしまった。当時の最先端技術がいまではレトロなアイテムになってしまった。同じ秘密を知った「わたし」を解雇せずに、真相を明かすというのは、当時の女権がいかに低かったかの証。全編が「わたし」の告白。

膚黒医師 The Black Doctor ・・・ 遠方から来た医師は、肌黒いスペイン系と目されたが、どこの出身かはわからなかった。地元の貴族の令嬢との結婚話が決まったが、突如破綻。令嬢の兄は医師を深く憎む。深夜に待ち伏せしていることろをみられたので、兄が医師の殺人の実行者として逮捕された。しかし令嬢は検死審問で死者からの手紙を受け取ったと主張した。ゴシック・ロマンスの書き方でできたとても古い物語。タイトルは今日風ではないな。「日焼けした医師」くらいにしないと(当時の上流階級では、日焼けはご法度のマナー違反。なので日焼けした男はインドかアフガニスタン南アフリカかのイギリス植民地移住を経験した人だとわかる)。

ユダヤの胸牌(むねあて) The Jew's Breastplate ・・・ 若い学者がオリエントの博物館の館長を任されることになった。前館長は娘の結婚で準備中。しばらくして、匿名のしかし前館長のものとわかる貴重な宝石を厳重に監視しろという手紙が届く。一笑にふしていたら、実際に盗難が起きた。奇妙なのは本物の宝石が残っていること。なぜ、模造品を盗んで、本物を残したのか。カーの「軽率だった夜盗」@短編集2の前駆。若い学者の名前がモーティマーで、「バスカヴィル家の犬」の前に書かれていると面白い(同名の人物が登場)が、初出は不明。

悪夢の部屋 The Nightmare Room ・・・ 熱の冷めた夫婦。夫は妻の隠し箱に毒薬をみつける。そこに、妻の不倫相手がやってくる。夫は狂おしく。どちらの瓶(片方は妻の用意した毒薬)を選ぶのかと迫る。そこに彼らを見つめる不気味な男が入ってくる。他の作品よりもずっと新しい書き方。不気味な男の正体が見事なオチ。悪魔じゃないけど悪魔みたいな生殺与奪の権を特定の状況下で合法的に持つ男。その特定の状況とは。

五十年後 Jhon Huxford's Hiatus ・・・ 不況のイギリスを逃れてカナダで一旗揚げようとした男。妻とその老母を残して旅だったが、到着の手紙の後行方が知れない。それから50年後、二人は生きていた。ハートウォーミングな、O.ヘンリー風のおとぎ話。
2021/05/07 オー・ヘンリー「傑作集」(角川文庫)-1 の「二十年後」を参照。


 ホームズが登場しないので、登場する諸作よりも、押川曠 編纂・翻訳「シャーロック・ホームズのライヴァルたち 1」(ハヤカワ文庫)に収録された他の作家と比べたほうがよさそう。そうすると、ホームズのいない諸作はこれらのライヴァルたちの登場作品に劣ること数倍というていたらくになる。ほとんどがゴシック・ロマンス風の書き方で、事件の謎は犯人の告白で解決される。これが知的カタルシスを起こさない理由であって、その告白にある古めかしい因縁と恩讐の物語は短編の構造を壊すほどに長い。なるほど、探偵の登場しない探偵小説は黒岩涙香などにいくつか翻案されたが、今に残らない。
 それはひとえに「名探偵」というキャラクターの有無にあるわけで、探偵小説が普及するには、その存在が極めて重要だった、あまたいる「名探偵」の中でもホームズの個性は際立っていたというのがよくわかった。


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