odd_hatchの読書ノート

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フィリップ・K・ディック「ザ・ベスト・オブ・P・K・ディック III」(サンリオSF文庫)「ゴールデン・マン」「ヤンシーにならえ」「小さな黒い箱」「融通のきかない機械」

 マーク・ハースト編、『 The Golden Man (1980) 』 の邦訳。二分冊の第一巻。

「はじめに」 Foreword /マーク・ハースト
「まえがき」 Introduction ・・・ 記載からすると「暗闇のスキャナー」と「ヴァリス」の間に書かれた。散漫な内容ではあるが、気になるワードを拾ってみる。「1950年代、貧乏、犬用の馬肉を妻と食った」「SFは嘲られていた」「権力は嫌い」「SFは反抗的な芸術形式」「世界は狂っている」「私は怒っている」「50歳を過ぎた、長生きしすぎた」「人間の置かれた状況は滑稽」「エージェントと会ったことはないが、SF作家とは友人」あたり。

「ゴールデン・マン」 The Golden Man 1954.04 ・・・ 核戦争のあとミュータントが激増している。現在の人類がミュータントに取って替えられないためにDCA研究所はミュータント狩りをしていた。今度つかまえたのは金色の(神のような体の)男。なんと前頭葉を持っていないのに、未来を知り、暗殺から免れる。DCAは研究所を包囲して、金色の男を抹殺しようとした。未来に対する無力、諦念。ミュータントと人類は共存できず、人類はミュータントに取って替えられる(生存闘争はなく、たんに繁殖率に差があるから。人間は事故死するがミュータントは寿命まで生きる)。一方で、人類からミュータントへの激しい憎悪と差別が向けられる。これも未来に対する無力感や諦念の裏返し。

「リターン・マッチ」 Return Match 1967.02 ・・・ 宇宙人のつくったカジノは手入れがあると、爆破してしまう。ロボットをいれて、ピンボールマシンを押収した。それを動かすと、マシンは鋼球をとらえる投石器をつくりゲーマーに報復しようとする。ある捜査官がのめりこんでしまったために、ピンボールは捜査官を標的にして攻撃を開始した。ほかのどこにもなかったホラー。理由なく攻撃する宇宙人やモンスターやBEMならなにか説明か理窟があるのに、このピンボールマシンにはどこにも意図がみえず、しかし生き物らしい振る舞いをする。その得体のしれなさをなんと名付ければよい?

「妖精の王」 The King of the Elves  1953.09 ・・・ コロラド州の片田舎。流行らないガソリンスタンドのおやじ(老人)の家に、エルフの一隊が雨宿りにきた。その夜、疲れた王はなくなり、おやじを後継者に指名した。町から出たこともないのに、と仰天していると、その夜トロールの大群が押し寄せてきた。おやじ、どうする? ハートウォーミングな妖精譚。翻訳の裏話をこちらでどうぞ。
牧真司他編著『サンリオSF文庫総解説』:落ち穂拾いなど - 山形浩生の「経済のトリセツ」

「ヤンシーにならえ」 The Mold of Yancy  1955.08 ・・・ 衛星カリストはなぜか全体主義国家になっていた。地球から派遣されたエージェントは、「ジョン・ヤンシー」という架空の人物に衛星中の人が魅了され、意見をあわせているのがわかる。このプロジェクトをやめたがっているエンジニアとあって、対策を考える。うわあ、怖い。このソフトな全体主義愛国主義と排外主義がマスコミによって主導されていること、人々が自分で考えるのをやめ意見にあわせていくようになっていること。全部21世紀の日本で起きていることではないか。自分で考えられるように教養と古典をソフトに注入するというのが短編中の対策なのだが、それができないくらいにこの国の全体主義は浸透し、分厚いものになっている。ああ、怖い(といっているだけではだめなので、自分でできるプロテストをやっている)。

「ふとした表紙に」 Not By Its Cover 1968夏 ・・・ 火星の出版社がルクレティウスの「事物の本性について」をワブ皮装丁にしたら、本文が書き換えられていた。ワブ皮の冴えた使い方。ワブはこちらを参照。「輪廻の豚」 Beyond Lies the Wub@地図にない町

「小さな黒い箱」 The Little Black Box  1964.08 ・・・ その箱の取っ手にふれると、荒野の修行者ウィルバー・マーサーと共感(テレパシー)する。彼の苦痛を自分の苦痛とし、自己変容に至る(同時に現実の管理社会から離脱を試みる)。その箱は秘密裏に流通し、多くの人がマーサーと共感していてた。政府はマーサー教と名付け、ボックスを回収・破壊して脅威を除こうとしていた。禅の研究者とジャズ・ハープ奏者の夫婦がマーサー教に改修するまでと、彼らを囮に組織を暴こうとする政府の秘密組織の暗躍が描かれる。取っ手を触れると、共感して自己変容が起こるので、捜査する側が捜査される側になってしまう。見かけはサスペンス、そこに自己の曖昧さと神秘主義との親近感も加えた。いびつだけど、妙に心に残る。作者によると、この構想は「アンドロイドは電気羊の夢を見たか」にも反映したのだって。

「融通のきかない機械」 The Unreconstructed M 1957.01 ・・・ ある研究所で殺人発生。そこには髪の毛や煙草の灰、加害者の血痕などが残っている。容疑者特定システムを使うと80億人から容疑者を絞り出せる。最終的に絞り込まれた7人のリストを見て、警察は逮捕に行く。しかし、犯罪はクラッカーの箱でTV受像機の機械なのだった。特定の人物だけをターゲットにし、人知れず侵入し暗殺、捜査を撹乱する証拠を残す。まあ、アイリッシュやブラウンあたりのミステリーをSF仕立てにしたようなものか。そこに宇宙的奴隷派遣会社の陰謀とか、捜査官のなかのいさかいがあるなどして、自分にはよくわからない作品だった。


 PKDの未来社会はたいてい全体主義国家か、そこに至らなくとも強い監視と規制が置かれている。そこではプライバシーはないし、些細な理由で簡単に逮捕拘留でき、カフカ「審判」のような罪状のわからない裁判があったりする。いや、そうなるまえに、警察が合法的にシミュラクラを殺すことができることもある。人権はさほど尊重されていないが、組織や集団の権利や自由は大いに尊重される。常に戦時状態にあって、増税が簡単に行われ、物資は欠乏し、品質も悪い。環境や気候は悪く、生活するところはごみごみしていてほこりっぽい。まあ、オーウェル「1984年」のような、バ―ジェス「1985年」のような、その他さまざまな20世紀のディストピア小説がほぼそのままあるような場所だ。
 ただ異なるのは、小説世界にいる人たちはそのような抑圧や管理の状態を受け入れている、あるいは権利や自由のある社会を知らない、疑うことがない、貧困にあえいでいても町の中にほぼ閉じ込められているので幸福な社会を想像できない。停滞や退廃が社会を覆っていて、個人はばらばらに分断されていて孤独で無気力(せいぜいバーでビールを飲んで憂さを晴らすくらい)。革命や暴動で社会を変革するとか脱出するとかが不可能になっている。社会の仕組みよりも、個人の退廃した気分のほうがより恐ろしい。
 「ヤンシーにならえ」や「小さな黒い箱」 は50年前の20世紀半ばに書かれたのに、1980年代にはおとぎ話にみえ、21世紀の10年代にはリアリズム小説になってしまった。むしろ現実の方が恐怖と不安で煽られる全体主義社会になりつつある。PKDのオブセッションを実現させてしまったピープルや市民の反知性主義がホラーそのもの。

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