odd_hatchの読書ノート

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アントニイ・バージェス「1985年」(サンリオSF文庫)-2 労働者が国家公務員になる大多数のワーキングクラスが少数の特権階級と異端者(アノマリー)を抑圧するディストピア小説。

2015/12/07 アントニイ・バージェス「1985年」(サンリオSF文庫)-1


 では「1985年」の社会をみることにしよう。
 オーウェル1984年」では人口の1.5%の特権階級が「党」を作って、国家を統制する社会になっている。バージェス「1985年」ではそのような特権階級がない。この国家資本主義の進んだ社会では、ほとんどすべての産業が国有化されていて、労働者は国家公務員になっている。彼らは労働組合に所属している。そこで賃金アップや労働時間短縮などを目的に、しょっちゅうストライキをしている。生産性とか競争とかには興味がなく(国有化された産業には新規参入者がいないので、市場競争による企業の淘汰が起こらない)、業務のステークホルダーへの配慮が一切ない。社会のインフラは彼らのストライキのために整備が遅れ、メンテナンスが行われず、サービスが低下している。なにしろ警官や消防担当者が事件や事故を前にして、ストライキ中という名目でなにもしないのだからね。小説ではおもに公共サービスの品質低下を問題にしているが、同様なことはその他の生産でも同様で、食品や消耗品も入手が困難で、しかも品質が低下している。社会サービスは労働組合員にだけ提供されていて、組合を脱退したり、排除されたりしているものは、失業手当ほかのセイフティネットから除外されている。「悪質」とされる人やグループは更生施設に強制参加させられ、労働組合への忠誠を誓わせられる。また、組合組織の維持のために、教育内容に組合が介入して、伝統や文化に関する知識は教えられず、ワーカーズ・イングリッシュという語彙や文法を簡略化した言語が使われ、本や雑誌などの活字メディアはない。ワーキングクラスがあって、その統合体が国家の権力を持っているのだが、そこには中心がない。「ビッグブラザー」のような象徴や崇拝の対象はない。代わりに持ち出されるのが、組合員の一般意思になる。一般意思はその都度の情勢によっていかようにでも変異することができるので、綱領やマニフェストのようなテキストはない。なので、組合=国家の意思や政策に抗するときに、オブライエンのような党の代表はでてこない。たんに官僚制の分厚い壁にはばまれるだけ(カフカ「城」にそっくり)。抵抗するものは消耗し、セイフティネットからはじかれ、更生施設に死ぬまで収容されることになる(そこには強制労働はないし、日常的な暴力はないけど、脱出することができない)。
 オーウェルは少数の特権階級が大多数のワーキングクラスを圧制する全体主義を構想した。バージェスは大多数のワーキングクラスが少数の特権階級と異端者(アノマリー)を抑圧する全体社会(きわめて権威主義的なサンディカリズム)を構想した。オーウェル全体主義社会が1947年の風俗と政治の反映であるとすると、バージェスの全体主義社会は1978年の風俗と政治の反映。第2次大戦の終結の後、イギリス国民は戦勝の立役者で保守主義チャーチルを捨てて、労働党政権を選んだ。その社会民主主義の政策はときおりの保守政権になっても変わらず、上のサマリーにあるような資本主義ではあるが、重要産業を国有化し、労働者を公務員にし、セイフティネットを充実させる政策をとった。労働組合は団体交渉やストライキで政府を揺さぶる。その結果、公共サービスと生産性の低下を生み出し、1970年代のイギリスではインフレと失業が蔓延する社会になっていた。それは例えば、モンティ・パイソンのスケッチでみることができる(とくに「ガスコンロ」「バカ歩き省」が秀逸)。
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 生産性の低下と赤字予算の続く国家がこのような運営を続けられるかという疑問がある。イギリスでも、このあとサッチャーが首相になって、労働組合と大喧嘩して、組合の政治介入を縮小していった。炭鉱組合との対決が有名。まあその他の政策でサッチャーは支持されず、退陣寸前まで追い込まれるけど、1982年のフォークランド紛争で支持を回復できた。この辺りの事情は、ヤーギン/スタニスロー「市場対国家」(日経ビジネス文庫)に詳しい。
 そういう事情を知った後では、バージェス「1985年」のようなサンディカリズムによる全体主義社会は構想しずらいものであると思った。
(と思う一方で、フィクションにあらわれるユートピア共同体主義や組合主義の影響が強い。そこでは物資の配分や労働の分担など、生活や労働の機能がうまくコントロールされ、個々人の自発性や権利が尊重されるようになっている。モリス「ユートピアだより」ル・グイン「所有せざる人々」ハインライン「月は無慈悲な夜の女王」など。古いカンパネルラ「太陽の都」もそう。なぜうまくいっているのかは説明がない。また官僚主義が入り込んだり、管理者の横暴や独裁者の専横が起こらないのも説明がない。システムの運用と責任の所在から権力が発生することはあること。なので、注意しておきたい。)

2015/12/09 アントニイ・バージェス「1985年」(サンリオSF文庫)-3